夜明けを意味する日本語はたくさんある。こんなに多いのは日本語だけなのかどうかそのことについて私はまるで知らない。雪を表現するエスキモーの言葉には数十種類あると聞いたことがあるから、季節の変化にかかわる民族の歴史そのものが言葉にはつながっているのかも知れない。

 毎朝5時過ぎから6時前後に目覚めるのが習慣になっていることと私の部屋が南東に向いていることもあって、日の出と付き合うのは季節限定になっている。つい一週間前が冬至であった。この季節の日の出は7時頃だから外はいつも暗闇で、手探り状態で明かりのリモコンスイッチを探すのが毎朝の習慣でもある。それでも冬至を過ぎたことを知らされると、どことなく夜明けが早くなったような気持ちにさせられる。

 とは言えそうした感覚は実は錯覚で、日の出にしろ日没にしろ冬至の頃の変化はサインカーブの底をのろのろうろつくようなものだから、その変化を実感することなどできはしない。しかも、冬至を過ぎても実は夜明けはまだ少しずつ遅くなっているのである。冬至の日の夜の時間がもっとも長い、つまり昼がもっとも短いことはその通りなのだが、夜明けと日没の両方が真夜中を挟んで同時に昼の長さを長くしていくわけではない。

 インターネットというのはけっこう便利なもので、ご丁寧に毎日の日の出日没の時刻を地域別に示してくれるサイトがいくつもある。それによると日の出はまだ底にまで到達していないのである。夜の時間が最長になると言ったところで、その最長の日と次の日を比べたところで、分単位では区別がつかないらしいからもしかしたら数秒数十秒の違いなのだろう。それに加えて日の出は来年の8日、つまり1月の8日頃までは僅かながら遅くなっているのである。それにもかかわらず昼の時間が少しずつ長くなっていくということは、つまり日没の時刻が冬至の日よりも少し前から日の出の遅くなる量を超えて遅くなっていることを示しているのである。と言うことはこれを書いている日から、あと10日ばかりは少なくとも私の部屋から見える日の出は冬至よりも遅いということである。

 だからといって午前7時近くの日の出を毎日のように眺めているわけではない。新聞を読んだりテレビを見たりしているうちに気がついたら日差しが部屋に差し込んでいたというのが現実だし、それも雪の日や曇天などで日の出に気がつかないことのほうが多いくらいである。

 ただ冬至を過ぎたことの意識の中で、毎朝部屋の明かりをつける前に窓の外を眺めるのが半ば習慣になっている。それは日の出が今でも遅くなっているという事実を知った後でも同様である。正確に6時に目覚めるわけではないし、日の出の時刻に特別な意識を抱いているわけでもない。それでも夜の長さが底を打ったとの意識は、寒さはまだまだこれからなのだと言う実感としての季節感とはまた違った気持ちを抱かせてくれる。だからその気持ちが僅かにもしろ、窓の外の夜明けの気配にチラリとにもせよ意識を向けさせるのだろう。
 明るさの兆しが現れるのが6時頃なのか、それとも6時半近くになっているのかさえもきちんと分かっているわけではないが、マンションの6階からの地平線の眺めがどうしても気になってしまう。

 曙、東雲、暁、払暁、夜明け、朝ぼらけ、白み、未明などなど、うっすらと東の空が明るくなっていく様を表す言葉は多い。ほかにも日の出前の状態を表す言葉はたくさんあるだろう。島崎藤村の小説「夜明け前」は、夜明け前がもっとも暗いのだとの意味を込めたものだから、人は「真っ暗」であることの中にも朝、つまり夜明けを予感できるのかも知れない。
 私はこうした日の出前の状態を示す言葉の数々について、その順番はおろかその状況や程度などについてもまるで知識がない。うっすらと僅かに白み始めた状態から太陽が顔を出す寸前まで、この刻々の変化に万葉の時代のずっと以前から私たちは様々な思いを重ねてきたのだろう。そしてそうした思いの様々が夜明けの状態を示す異なる言葉に表われてきているのだろう。

 夜明けの明るさや雲の色づきの違いを見分けるだけの知識がなくても、この頃の夜明けの白みに「冬至過ぎ」のイメージを重ねることはできる。なぜなら朝の窓の外の明るさが気になりだしたのは冬至を過ぎてからだからであり、明るさはそのまま今日の天気が晴れるだろうことの予感でもあるからでる。
 枕草子が語る「春はあけぼの」の到来は、季節としてはまだまだ先のことだっただろう。寒さは冬至から1ヶ月も2ヶ月も先になってから訪れる。たとえ正月が冬至の祝いであり立春が寒さの底に重なろうとも、私たちは僅かにもしろ日差しが復活する兆しに初春の思いを重ねてきた。それは日本人特有の記憶の伝承なのかも知れない。季節を二十四に分けて感じるそんな日本人のDNAが僅かにもしろ私にも伝えられている、そんな感じを受けながら眺めるこの年末の朝の白みの気配である。


                                     2012.12.29     佐々木利夫


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冬至と夜明け