防空識別圏という線引きを中国が発表し、その線引きと日本の線引きとが重複しているなどの理由で抗議したと日本政府が発表した。いかにも日本の言い分が「その通り」みたいな発表で、あたかも中国が我が国の領空を侵犯でもしたかのような言い方である。

 私は実のところこの「防空識別圏」というシステムをきちんと知らなかった。知らないままに国際問題にまでなりかけている話題に口を突っ込むのは無茶だとは思っている。思ってはいるが、新聞やテレビを見ている限り日本の主張が100%正しくて中国の言い分は全く不当であるとばかりは、必ずしも言い切れないのではないかと思ってしまったのである。

 それは、まず第一に防空識別権というシステムが国際的にきちんと決められていないことにあった。そうしたシステムは多くの国が設定しているらしいが(20数カ国と言われているからそれほど多いとは言えないかも知れない)概要は理解できた。日本もアメリカから引き継ぐ形で、第二次世界大戦以後から採用していることは今回のトラブルで初めて分った。

 このシステムの概要を私が理解できた範囲で少し述べておこう。どんな国にも領土があり、その領土が海岸に接している場合には領海がある。領海は領土の海岸線から12カイリ(約22キロ)と国際法で認められている。領土の境界や島の帰属などを巡って国家間に紛争があり、それに伴って領海もまた紛争の種になっていることは知っているけれど、ここではとりあえず触れないことにする。

 領土と領海の上空を領空と呼ぶ。ここまでは理解できるだろう。領空は自国の領土と同じであるから、そこに外国が勝手に侵入することは許されないし、もし侵入の事実があれば実力で排除することも自国防衛の範囲として認められることは自明であろう。その反面、領空の外側は自由な空域であって誰もが自由に航行できることになる。

 ところで領空が船ならともかく航空機などで侵犯された場合、侵犯の事実を把握してから自国の戦闘機などが侵犯機を排除するために飛行を開始しても、そこまでに到達する時間を考えると有効な排除行動をとることは難しい。ましてや最近の航空機は飛行性能が向上し、レーダーに探知されることの難しいステルス機などが開発されている現代では、その排除は一層困難になるし、もし仮に侵犯が自国への侵略や爆撃などを意図したものであるなら手遅れの恐れすらある。そこで「防空識別圏」の登場である。領空の外側に一定の空域を設けてそこに不審機が表れた場合、万が一の領空侵犯を警戒するため自国の戦闘機を確認のために飛行させるシステムである。この万が一に備えた一定の空域のことを「防空識別権」と呼んでいる。

 だだこの空域は飽くまでも領空外であるから、どの国もその飛行を制限されることはない。ただ通常はこの空域を飛行する航空機に対しては、防空識別圏を設けた国へ飛行計画を提出してもらい無駄な緊急発進(いわゆるスクランブル)を避けるようにしているのが慣行になっているようだ。

 ここまで書くと分るかも知れないが、ある国が他国と地上で国境を接しているとき、他国の領空に防空識別権を設けることがあるということである。つまり領土と領空は同一なのだから、他国が自らの領空を僅かでも超えたならそれはそのまま領空侵犯になるということであり、それはその航空機が民間飛行機であっても状態としては同じである。領土領空を守るのは、国としての基本的な責務であるから、たとえ他国がその国の領土内であろうとも我が国の領土のある程度の距離まで近づいてきたとき(つまり防空識別圏に入ったとき)には、領空侵犯を防ぐための措置をとらなければならないことを意味する。それが飛行計画の提出と緊急発進を区別するルールなのである。

 そこでもう一度確認しておこう。この防空識別圏は飽くまでも自国の防衛のために勝手に設けるものであって、国際法や他国との条約などで決められたルールはない。だからそうした空域は自国の責任において設けることができるのである。そしてここもまた肝心なのであるが、中国はこれまで自国の防空識別権を設けていなかったことを理解しておく必要がある。

 そして今回中国は、新たにそうした識別圏を設けることを世界に発信したのである。その防空識別圏にどんな内容を盛り込んだかどうかは後から論ずるとして、少なくとも識別圏を設けることにも、そしてその識別圏の範囲についても国際的なルールはないのだから、言ってみれば主張する国の自由な裁量に委ねられていると言ってもいいだろう。

 この設定について我が国は中国を批判しているが、どうもその辺が理解できない第一歩になっている。ただ、何を批判しているのかは、必ずしも明らかではないからである。一つは尖閣諸島(中国の言う釣魚島、別稿「魚釣島の領有権」参照)を含む識別圏の線引きをしたことであろう。だが、中国は尖閣諸島を自国の領土だと主張しているのだから、その適否はともかくとして、領土の主張に沿った形で識別圏を設定したところでそれは当然のことであろう。そしてそれは領土・領海の問題であって、防空識別圏固有の問題とは言えないと私は思うのである。他国の領空にまたがる識別圏でさえ成立する時代である、識別圏の線引きが他国の領土と重複したところで驚くことではないし、またそれを批判するようなことはないと思うのである。

 ただ、中国の主張する防空識別圏の設定に問題がないわけではない。それは一点のみにしぼられるような気がする。それは防衛識別圏を通行するすべての航空機に飛行計画書などの提出を義務付け、「指示に従わなければ防御的緊急措置を取る」としていることである。「防御的緊急措置」が何を意味しているかは必ずしも明らかでないが、一応は「スクランブルをかけ、場合によっては軍事的な手段によって警告・攻撃・排除をする」との威嚇であると理解すべきものだろう。
 この言い分には、明らかに「領空」と「防空識別圏」との混同があるように思える。領空は自国の管轄空域であることに異論はないけれど、「防空識別圏」はあくまで領空外に設けた任意な空域であり、飛行計画などの求めもあくまで運行する航空機に対する「お願い」の域を出ないものだと思うからである。

 この領空と識別圏とを混同した運用について断固として批判することに否やはないし、国際慣行に従うよう現在の運用方法の撤回を求めることも当然だと思う。だだ中国が防空識別圏を設定したことに関して日本政府が批判したり抗議したりするのは、どうみても筋違いのように私には思えてならないのである。
 これは単なる中国が世界に向けた政治的な駆け引き、つまりゲームなのかも知れない。だが運用するのは人であり、スクランブルする軍用機のパイロットは軍人である。どこかで意思の食い違いが起きてしまうと、結果は予想のつかない方向へと向かってしまう恐れがある。

 中国の運用意思に対して、日本は全体として無視、米国は民間機は従い軍は無視との対応をしているようだ。今のところトラブルは発生していないが、こうしたゲーム感覚が時に惨劇を招くことを私たちは何度も繰り返し経験してきたような気がする。


                                     2013.12.25    佐々木利夫


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