円安が続いて、私にはその相関関係が必ずしもきちんと理解できていないのだが株価も急騰し、日本経済は当面好況方向へと向かっているようである。ところで円安ということが全面的に日本経済を好況へと導くものではない。外国に物を売るときには円安になればそれだけ受け取る代金が増えるから、企業に入るお金が増えることになって潤うことになる。それだけを単純化することはできないけれど、企業が儲かれば従業員の賃金やボーナス、株主の配当、企業そのものの設備投資など、波及効果もあって日本が好況になることは事実だろう。日本は自動車、工業機械など輸出を中心とした「外国に物を売る」ことで成り立っている国だから、そうした意味では円安は日本経済にとってプラスに働くことは否定できない。

 ところで「外国に物を売る」場合はいいけれど、逆に「外国から物を買う」ときにはこれと正反対の現象が起きる。一番分りやすい例が原油であろう。日本は石油のほとんどを外国から輸入している。それは車のガソリンのみならず、工場の動力、発電のためにも必須である。しかも原子力発電が、福島第一原発の事故以来、大飯原発の一基を除いて日本中の全部が停止中なのだから一層深刻である。こうした原油の輸入は、円安によって支払うコストがそのまま燃料高となって跳ね上がってくることになる。

 そこで円安で燃料費が高騰するとの理由で、渡島半島沖のスルメイカ(マイカ)漁を休漁するとのことである。イカ釣り漁船には動力源としてだけでなく集魚灯にも重油を使うから、燃料高騰によって採算が合わなくなるというのが理由である。そしてお決まりの「政府がなんとかせい。つまり補助金、補償金みたいなものを寄こせ」の大合唱になる。イカ漁だけではない。こうした動きは全国の漁業者に及び、更には原材料を輸入に頼る多くの業者の声にまで拡大していっている。

 こうした意見が分らないことはない。昨日まで100円で買えたガソリンが、ある日突然150円になるのだし、その差額が必ずしも価格に転嫁できるとは限らないのだから悲鳴を上げたくなる気持ちの分らないではない。でも・・・、と私は思うのである。

 話は少し変わるけれど私は5〜6年前に、ドルを円で買ったことがある。アメリカのドル建て生命保険で、保障こそは少ないけれど満期の利率が高いという商品であった。1万ドルの商品であった。当時の円相場は一ドルが120数円であった。だから120数万円出してそれを買った。利率が良くて5年後には1万4〜5千ドルになる。だが円はあっと言う間に一ドル70円台に上がって行った。結果として手取りは5年間無利息同然、つまり元本程度しか手にすることができなかった。

 このことはいい。こうした結果を招いたのは円相場を読みきれなかった私の責任であり、まさに自己責任を承知の上でこの商品を買ったのだから当然の報いである。ただこの急激な円高によって、輸入を中心とした利益を、日本は、そして日本人は多額に得たはずである。円高差益還元セール・・・、そんなふうに銘打ったチラシや宣伝文を聞いたことがある。ワインやブランド輸入雑貨、海外旅行などなどであり、当然原油価格もそうである。

 だから漁業者が使う燃料にも当然恩恵が及んだはずである。だが、私の耳には、円高還元重油為替利益還元特別イカサービスなどの言葉など届いたことはない。僅か1円2円の円高ではない。極端に言うなら、半値とも言えるような50円近くの円高であった。この時、大雑把に言うことを許してもらえるなら、漁船が使う重油価格は数年にわたって数割から半値くらいにまで低下したはずである。その間に生じた利益はいったいどこへ消えてしまったのだろうか。

 私はこの間の経済変動をきちんと理解しているわけではない。円高があった反面、重油価格そのものが高騰したとか、あるいは魚市場でのせりのシステムが変わって円高利益を消費者に還元することができなかった、ということが背景にあったのかも知れない。そうしたことを知らないままに批判だけするのは誤りだとは思うけれど、そんな言い訳が今回の「円安被害をなんとかせい」との大合唱の背景にはまるで聞こえてこないから、恐らく私の勉強不足ではないような気がする。

 だとするなら、漁業者はその円高による燃料低価格による利益を、現実に我が身のものとして受けたはずである。それは確かに自分の利益である。自分だけの利益であることに違いはない。だからその利益で飲み屋で一杯やろうが、自宅を改修しようか、はたまた家族と旅行しようが自由である。

 だったら、円安になって燃料が高騰したからと言って、それを政府や自治体に「なんとかせい」と訴えるのは筋違いというものではないだろうか。儲かったものは自分のものだけど、損したときは他人の懐をあてにするというのは余りにも身勝手な考えなのではないだろうか。

 もちろん色々方法はあるだろう。為替相場に伴う差益を自分なりにか、または業界等で積み立てておいて、差損が出たときの補填に充てるという方法もあるだろう。また、為替相場の変動による差益、差損は、国単位で考えるなら輸入超過、輸出超過も考慮しなければならないけれど、見かけ上は相対的なものである。だとすれば、差益を得た企業から国がその差益を吐き出させ、差損の発生した企業に補填するという方法も考えられるだろう。そうしたシステムが、政治や企業による為替介入だとして世界の批判を受けることになるのかどうか私には分らない。また、そうすることが健全な企業経営と言えるのかどうかも分らない。

 けれども、くり返しになるけれど、「儲かったものは自分だけのもの。損した場合は他人にねだる」そんな考えは、私にはとうてい理解できないでいるのである。


                                     2013.6.11     佐々木利夫


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円安とイカ漁