男女協働社会などと言われてきて、男も女も同じように社会に参画することが当たり前と思われる時代がきている。そのことを別に否定しようとは思わない。でも「否定しようとは思わない」と言いながらこんなことを書くのは、結局否定していることになるのではないか・・・、そんな思いを抱きながら複雑な気持ちで書いている。

 「男は仕事、女は育児と家庭」、そんな役割分担が長く続いてきた。それは人類の歴史の中で数千年、もしかしたら数万年の規模で続いてきたのではないだろうか。男は狩猟で家族の食べ物を獲得し、女は家族にその食べ物を加工して提供し育児に専念する、そんな時代が数万年も続いてきた。その原因は簡単である。「女性」と「出産」が不可分だったからである。そしてその系譜は現在でも同様である。雄と雌、男と女の性差が必然的に妊娠、出産による区分になっていることは、地球に生きる生物として「生き延びること」を選択した種としての本質的な結果だからである。

 母親だから子供を無条件に保護せよと思っているわけではない。でも最近の論調を見ると、「育児に飽きた」とか「育児が負担だ」、「子供が可愛くないときがある」などと言った言葉が、当たり前のように飛び交っている。それはしかも母親自身がそう話している。

 私は女性の育児が義務だとか、本来の仕事だと思え・・・と言うような、「ねばならない」との理屈を展開しようと思っているわけではない。それでも「育児が母親の負担になっている」との理屈が、母親自身の口から出てくることに、どこかしら違和感があるのである。「負担だと思っても母親なんだからちゃんとやれ・・・」と言いたいのではなく、そうした負担感を口にすることが当たり前の社会現象になっていることに違和感を感じるのである。母親がそうした気持ちを何の抵抗もなく口に出せる社会になっている、そのことに違和感があるのである。

 そしてそうした社会にしたのは、もしかしたら母親自身の変化によるものなのではなく、私たちが余りにも人の生きる許容範囲を広げ過ぎてしまったからなのではないかと思い始めているのである。
 例えば女が食事を作るとする。そうした役割が長く続いてきたことによって、それが当たり前と感じられるようになり、更にはそれが当然のことであり、もっと進んで義務でもあるかのような錯覚さえ抱かされるようになる。そのことに疑問を抱いてもいいだろう。本来そうした行為には、男が狩猟で獲物を運んできたときと同じように感謝を求めたとしても理解できないではない。

 もしかしたら、男の狩猟と女の出産や食事の支度とは同等なものであると解し、互いに感謝を表示するかもしくは感謝の表示を相殺して習慣化させたところで特に疑問はないようにも思う。そうした関係がいつの間にか、狩猟に力点が置かれ男の役割だけが評価されるような時代へと変遷してきたことは否めないだろう。だから女性から同等の評価を望まれたとしてもそれに否やをとなえるつもりはない。

 それがどうして、女の意思が「育児や家事を評価して欲しい」との要求ではなく、「嫌だ」とか「苦痛だ」とか「負担に耐えられない」といった方向へと変化して行ったのだろうか。
 私はどこかで「育児、家事は女性の専属的な役割」みたいな思いを抱いているのかも知れない。それは妊娠から出産にいたる女性にのみ課された種としての役割からくる必然だと思っているからかも知れない。だからと言ってそうした役割を当然だとして無関心でいいと思っているわけではない。男がそうした役割に対して労り、助言し、補助し、協調し、そして感謝していくのは当たり前だとも思っているからである。

 でもそうした思いと、女性がその役割を苦痛だとか耐えられないと主張することを認めることとは違うと思っているのである。私たちは、女性に「育児は嫌」と言わせ、そしてそうした意識を持つことを許容するような社会を、いつの間にか作り上げてしまったのだろうか。

 私たちが本能と理解してきたことどもの多くが、実はそうではなかったと理解すべきことなのか、それとも現代の社会は人の本能をも変えてしまうまでの力を持ってしまったと言うべきなのだろうか。
 くり返すけれど、私は女性が男性に依存する社会を肯定しているのではない。「男女協働」という表現が言葉として望ましいかどうかは疑問もあるけれど、そうした考えに賛成してもいる。ただそれを強調するあまりに、女性の持つ本来の力、性質、役割、特性、そうした様々を、女性自らが放棄してしまっているかに見える現代社会が、どこかでオーバーランになっているのではないか、そんな気がしているのである。

 「狩猟」と「出産・育児」が対等だと考えられる社会、そんな大切な思いの社会を私たちはどこかで跳び越してしまったのではないだろうか。それは男も、そして女自身もである。


                                     2013.8.15    佐々木利夫


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