最近自宅の書棚を整理していたら、150件近くもの数の温泉名を記した古いプリントが出てきた。かなり昔のもので、かろうじて「そう言えば行ったことのある温泉名を整理したような記憶がある」との思いがよみがえってくる。現在なら表計算ソフトを使って簡単に入力できただろうが、プリントされている用紙は熱転写紙という感熱紙よりも少し前の時期に用いられたもので、恐らくは私がBASICというプログラム言語を使っていた旧いパソコンの時代に、自分でこつこつプログラムを組んで整理したものであろう。当時はプリンターも高価だったはずで、今となっては貴重(あくまでも自身にとってであるが)な記録になっている。

 メモによれば、温泉に行った時期は昭和の40年前後から平成の初め、西暦1960年代から1990年代にかけてが中心である。今となっては湯船に浸かった記憶はおろか、行った記憶さえも覚束ない温泉名もあるが、旧いアルバムに証拠写真が残っているものもあるので事実なのだろう。

 ただ、私がそもそも温泉好きだったとは思えない。職場の旅行や自分で計画した旅行で温泉を利用したことは多々あるが、特に目新しい温泉を目指したような記憶はないからである。ましてや職場や友人との温泉旅行などでは、入浴なんぞそっちのけでマージャンや宴会の酒にうつつを抜かしていたような気がしている。それがどうして150もの温泉名を記録するほどの数になってしまっているのだろうか。まあ、観光でも宴会でも、どこかへ一泊するような計画を組むとき温泉がとりあえずの候補地になるだろうことは、日本人が温泉好きで湯に浸かってのんびりしたいと言う気持ちを潜在的に持っていることなどから分らないではない。

 でもそれはそれだけのことで、恐らく普通の人ならぱ近隣の数箇所の温泉名の積み重ねになってしまうの普通ではないだろうか。例えば札幌に住んでいれば定山渓温泉か少し遠い支笏湖、登別、洞爺湖などと言った具合である。どんなにしたって50とか100にはならないと思うのである。

 そこで思いついたのは、私の場合は恐らくはテレビドラマでしか知らないのだが、私の癖が連続殺人犯の持つ記念品収集癖に類似しているのではないかということだった。連続殺人犯は殺人現場に残っているものを記念品として持ち帰る習癖があると聞く。だから私にも同じような収集癖、こだわりが心の内に存在しているのかも知れないということであった。
 知人の一人に、同じように温泉にこだわる人物がいる。ただ彼のこだわりは「温泉に数多く入ること」にあり、それは同じ温泉での複数回であってもよかった。つまり定山渓温泉だけでもよく、とにかく「温泉に100回、150回入ること」が目的で、150もの異なる温泉に入るとの思いはさらさらないようなのである。その彼と比べるなら私のこだわりは、「数多く」の点では共通しているものの、「異なる」という冠詞がつくのである。つまり私は、一回でも行った温泉はそれだけで「こだわりとしての温泉めぐり」からの興味を失ってしまうのである。だからこのメモは、職場の慰安旅行や懇親会などで普段から利用するような場所はともかくとして、ほとんどが一回しか入浴していない温泉の列挙なのである。

 こうした思いは温泉に限らず他の分野でも私の習癖になっているのかも知れない。例えば職場でだろうが観光旅行だろうが昼飯を外食するときでも、店そのものにこだわることはないのだが注文するメニューは必ずと言っていいほど「食べたことのないメニュー」、「聞いたことのないメニュー」が中心になってしまうからである。カツ丼だの天丼やザルソバみたいな定番メニューはほとんど注文した記憶がない。

 また事務所でも同じような癖が出ている。昼飯は自炊しているから変化には乏しいが、自分で飲んだりまたは仲間との居酒屋に変身したりすることなどから、事務室に缶ビールや日本酒の常備は欠かせない。そのビールや日本酒の銘柄はほとんどの場合、美味かったとかいい酒だったなどの基準ではなく(私が基本的に味音痴であることに起因するのだろうが)、これまでに買ったことのない銘柄、飲んだことのない銘柄になるのである。
 ピールはメーカーこそ数社に限定されているものの、季節や発泡酒や第三のビールなどの登場により多様な商品名が店頭を賑わす。また日本酒はビールのような商品名の多様さは少ないけれど、日本全国に酒造メーカーが溢れていてそれぞれがオリジナルの銘柄をつけていることから、重複するようなことはない。ただ単純に「聞いたことのない、飲んだことのない銘柄」だけを基準に選べは足りるからである。

 一度そんなふうに思い込むと、あとはのめり込むのは私の癖でらしい。温泉も同様に、新しい場所探しみたいな癖が、いつしか私の中に染み付いていくことになる。そしてそれは次第に「新しい温泉に泊まる」とか、「日帰りでもいいので単に入浴する」という限度を超えることにもなっていった。常にそうだとは限らないのだが、「温泉めぐりのための温泉」、「数を稼ぐだけのための温泉」という目的と手段とが混同してしまうことも多くなる。それは「近くに知らない温泉があるから入ってみようか」という思いを超えて、温泉めぐりそのものが目的になってしまい、いわゆる「温泉のはしご」にまでなってしまうのである。

 私のそうした、やややり過ぎとも言える習癖は、私の知る限り一日で5箇所のはしごになったことがあったことでも分る。東京へ出張したときのことである。当時の公務員はそれほど厳格でなかったせいもあり、例えば10日と11日の二日間東京で会議があるとき、会議をないがしろにするわけではないが、「会議にきちんと出席すればいい」のだから、その前後の旅行日を私的に利用することにそれほどうるさくなかった。会議が10日、11日なら、札幌からなら前後に一日ずつの旅行日がついていた。つまり9日に札幌を出発し、12日に戻ってくればいいのである。

 そうしたとき職場には「明日から会議に行ってきます」と挨拶して辞するのだが、それは前々日の午後6時頃である。その足で夜行列車を利用するなら、会議当日の午前9時近くまでの丸々一日以上がフリーな時間になる。会議当日の直前まで私的に利用するのはきついにしても、少なくとも前日の夜遅くまでに旅館に入ることができれば、翌日の会議には悠々と間に合うことになる。それまではまさに自分の自由な時間になるのである。更には、もし仮に会議が火曜日からだったとするなら旅行日は月曜日になるので、土曜・日曜日を利用するつもりなら、そうした自由な時間を更に増やすことができる。しかも札幌〜東京間の基本的な出張旅費は支給されているのだから、迂回分の旅費や宿泊費だけを負担すれば気ままな途中下車を存分に楽しむことができるのである。

 そんなチャンスを利用して私はあちこちの温泉を巡った。その最たるものが加賀温泉経由東京行きであったと記憶している。この地には温泉がたくさんありそれぞれに宿泊していたのでは旅行の隙間で全部を回ることはできない。それで夜行列車を利用して目的地に朝着くと同時に、一人旅日帰り入浴ツアーを始めるのである。粟津、山中、山代、芦原、片山津など、バスや列車を乗り継いでの温泉行脚である。湯疲れなんぞなんのその、ひたすら新しい温泉目指してせっせと通うのである。

 そんな風にして積み重ねた温泉行脚の足跡は私にとっての記念であり、その後マイカーを手に入れてからは北海道内を中心にその数はドンドン増えていった。そんな記録を今回「私の温泉行脚」として発表することにした。温泉名、所在地、メモ程度の記録なのだし、当時から1〜2行のメモを残していたので簡単に発表できると思ったのは早とちりであった。
 150件近くもの温泉を一度に羅列することは難しいと分ったので、何回かに分けることにした。北から南への地域別を考えたが、当然のことながら北海道が多すぎてバランスがとれないこと、温泉名から探すのが難しいことが分ってきた。それで50音順に並べることにしたのだが、カナ文字入力した温泉名をエクセルでソート(並べ替え)するのなら簡単だか、自分であいうえお順に並べるのは思ったほど簡単ではない。こんな調子ではいつ完成するか分らず、とりあえず「あ〜お」で始まる温泉名だけを第一回目として発表することにした(別稿「私の歩いた温泉あちこち」参照)。


                                     2013.10.8    佐々木利夫


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