444 報道の自由 雑誌切抜き 2005.3.10

 ・・・報道の自由というのは、読者すなわち国民の知る権利を守り、常に正確なニュースを的確、素早く知らせ、国民の判断を誤らせないようにするということである。しかし、国民がそこまで知る必要が少しもないと思われるものまで、報道の自由の名の下に、無情にもえぐり出し報道する行き過ぎが多分に存在する。報道する側にほんの一歩だけ報道される側に立ったある種の謙虚さ、更には良識、思いやり等の細やかさが必要なのではないかと思われる(出展不明 岩瀬 義郎 第一勧業銀行顧問)。

445 老害度 雑誌切抜き 時期不明

 声高に「高齢化」とか「老人社会」などと言われると、それでなくても、いささか、ひがみっぽくなっている年寄りは、意味なく「責任を問われているよう」で、肩身のせまい思いだ。・・・定年直後は、だいたい「老害度0〜1」くらい。時に老化を自覚するが、まあ健全な一般市民というところだろう。「老害度2」は、目標を喪失してイライラする。・・・「老害度3」になると、気分はもう半病人。社会から脱落する寸前で、・・・「老害度4」  性格破壊で、イジワルをする。モノ忘れがひどくなり、食べた直後に『ごはん食べてない』と近所にふれ歩く。・・・「老害度5」は完全に自信喪失して、どうしていいか自分で自分がわからない。眼光鈍し。・・・「老害度6」はもう家庭の枠からはみ出してしまう状況。・・・徘徊をくり返す「出たきり老人」とか、「鉄砲玉シルバー」といわれ、遂にはアル中か自殺に追い込まれる。・・・「老害度7」になると、もうお悲惨である。家庭崩壊につながり行政もお手上げで、そのまま、・・・ということは「生きた屍」として社会の片すみに放棄されるゴミのような存在になる・・・(徳永 清 税務会計 P2 煉瓦道 一本の白髪)

446 宗教 雑誌切抜き 1993.1

 ・・・宗教ブームの発生する時期は、大きな時代に変革期と常に軌を一にしていると思われる・・・。近世から現代にかけて、日本における宗教ブームと目せられた時期は、大きく分けて二つあった。第一次宗教ブームは幕末なら明治にかけて発生している。その代表的なものには、1838(天保九)年に中山みきが創唱した天理教、1898(明治二十五)年に開教した出口王仁三郎の大本教、さらに下って、1924(大正十三)年に御木徳一が開いたPL教団の前身ともいうべき「ひとのみち」などがあげられるであろう。・・・第二の宗教ブームは、1945(昭和二十)年の太平洋戦争の終結と相前後して出現した。もっと正確にいえば、このような事態を予知して、すでにそれ以前において、その萌芽がそんざいしていたというべきかも知れない。その代表的なものが、創価学会と立正佼成会である。・・・両者に共通している点は、創価学会は日蓮宗、立正佼成会は法華経と、・・・いずれも「仏教」を原点に据えていることである。・・・政、官、財のいずれの領域においても、制度疲労は極度に進んでいる。さればこそ、それを予知する第三次宗教ブームがさかんに警告を発しているのである(雑誌バンガード P37 新井喜美夫 東急総合研究所長)。

447 日本社会の病理 雑誌切抜き 1993.8

 私は十数年前から日本の大衆社会状況の病理を指摘してきた。言いたい放題、甘ったれで、権利ばかり要求する、趣味も俗悪・・・そんな状況に警告してきた。それに対して「まあまあいい社会ではないか。日本人は集団的熱狂に駆られて安保だ、ローキードだ、消費税だ、リクルートだと次々騒ぐ。しかし終われは元に戻る。政党でいえば自民党に票を戻す。なかなか賢明だ」と反論あるいは批判された。・・・しかしそんなことをいっているうちに、日本人はみんなお手々つないで、社会民主主義的なものの泥沼にズブズブと沈み込んでゆく。それが現状である(バンガード P22 評論家 西部 邁)

448 団塊ジュニア 新聞切り抜き 2005.10.4

 団塊ジュニアに接した大人たちの第一印象は「素直」。建前や権威を信じている大学の先生や企業人にとって、この「素直」さが巨大な衝撃となっています。授業中に私語し、企業のセミナーではニコニコ本音しか言わない。これまで誰も信じて疑わなかった権威を、権威として受け止めることの出来ない世代が登場してきた。建前が通用しない、本当の「個人」の世代が誕生したとも言えます。・・・つまり彼らは「気分の良いもの」としか付き合おうとしないのです。それ以外は無関心。親や家・会社に対しても良い面・便利な面としか付き合わない。トータルな関係よりも、お互いメリットのある面だけと付き合う、ユニットな関係に移っているのです(毎日新聞 本と人 作家 橘川 幸夫 「生意気」の構造)

449 学徒出陣 雑誌切抜き 1993.11

 (学徒出陣)によって、日本は十万人にものぼる前途有為な学生を戦場で失ったのである。これらの戦没学生たちの手記は、「はるかなる山河に」「きけわだつみのこえ」などの書物を通じてある程度は知ることができる。だが、これらの手記が、検閲の厳しい当時にあって、戦場に散って行った学生たちの真実の叫びを必ずしも伝えていないという点に関して、疑わしき部分の存在していることを指摘しておかねばなるまい。・・・日本国民による、日本国民に対する戦争責任を明らかにしないかぎり、一般の戦争被害者はもとより、学業半ばにして青春の生命を散らしていった人びとの霊も浮かばれまい(バンガード P36〜38 新井喜美夫 東急総合研究所長)。

450 日本の租税制度 雑誌切抜き 時期不明

 日本の租税文化は稲作文化と結びついていたのに対し、西欧諸国の租税文化は貨幣経済の発展と結びついていた。わが国の場合も貨幣経済の発展に伴い、封建的貢租の形態と異なる近代税制の導入が急がれたわけであり、西欧税制を従来の税制に接木する形で税制の整備がなされた。ごれが明治以降の税制改革であった。わが国の税制は、大化改新時の唐税制の輸入、明治維新後の西欧税制の輸入、第2次大戦後のアメリカ税制の輸入の例にあらわれているように、諸外国の影響を大きく受ける形で形成されてきた。それにもかかわらず、日本人特有の租税文化が維持され、現在にまで継承されているように思われる(税務弘報 vol37.No5 P74 聖書と税金 新潟大学教授 佐藤 進)。


                                  雑記帳始末記、始末し終わりました。


                                     2013.6.4     佐々木利夫


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雑記帳始末記(35・了)

自作のホームページに雑文を発表してから10年になる。資料として作成したメモや切り抜きなどは発表したつど処分しているが、作品にできなかったものが残ったままになっている。それは作品にするだけの力がなかったことを意味しているのだが、それでも私の感性に訴える何かを含んでいたことだけは事実であろう。このまま朽ちさせてしまうのもどこか忍びないものがあり、処分する前にここへ刻むことにした。