どんな人だって、自分の思いを人に伝えようとするときにはその思いに同調してくれる意見であるとか、承認してくれるような見解などを味方に付けたいと思うのは当然のことであろう。そしてそうした同調者が一人もいないような場面だとするなら、恐らく「正義」だとか「真実」だとか場合によっては「神がかり」みたいな超自然的な抽象論だって、「私を支持する意見」として飛び出してくるかも知れない。

 そこまでの極端な話ではないのだが、昨年の新聞記事の切り抜きの中にこんなものがあったことを思い出した。それは「日本対がん協会」のPRともいうべき広報記事であった。その記事は「学校でがんの授業を実施しませんか。授業を希望する学校を募集します」との一文から始まっていた。そしてその記事はこんな風に続いていく。

 「・・・『がんになる最大の原因は?』という問いに、授業前では正解の『たばこ』と答えた生徒は半分以下で、『遺伝』や『お酒』などの誤答が目立ちました。それが授業後には全員が正解に。2時間ほどの授業の前後で生徒のがんに関する知識は大きく変化します」(2012.11.14、朝日新聞、「がん新時代」53)。

 これを読んで、気になった点が二つあった。一つは「遺伝」や「お酒」との回答をあっさりと誤答の範囲に含めてしまっていいのだろうか、との思いであった。確かに質問のテーマは「最大の原因」になっているのだから、その正解の根拠を私は見ていないのだが、恐らく「たばこ」にあることは科学的に実証されているのだろう。

 日本における最大の死亡原因に「がん」があげられていることは、恐らくどんな人も知っていることだろう。念のためネットで検索してみたところ、厚労省の人口動態統計によると日本人の主な死因別死亡数(平成22年)は、悪性新生物(つまりがん)が29.5%でトップ、次いで心疾患15.8%になっている。国も「がん撲滅」を目標に掲げていることだし、対がん協会ががん対策に力を入れようとしていることは理解できる。

 だががんにも色々な部位や種類などがあることは、これもまた多くの人が知っていることだろう。私の乏しい知識でしかないけれど、がんは「心臓」以外のあらゆる部位で発生するように思えている。胃がんや脳腫瘍や大腸がん、それにすい臓や腎臓や肝臓、場合によってはメラノーマなどの皮膚にだってがんは発生している。もしかしたら心臓にだってがんは発生し「人にとってがんは部位を問わない」のかも知れない。つまりそれだけがんにも多様な部位や種類があるということである。

 そうした多様ながんの全部に「たばこ」が関係しているのか、私の知識からはどうにも結びつかないのである。肺や食道や胃などの呼吸器系統とそれにつながる器官に「たばこ」が影響しているかも知れないことくらいは想像できないではないけれど、大腸や脳腫瘍や皮膚がんなども含めた「がん全部」に対してたばこが最大の原因として関わっているようにはどうも思えない。

 まあ、胃がんや肺がんにかかる患者が多く、結果的にそれによる死亡が多いので、「がん=肺がん」に代表させ、「肺がんの原因=たばこ」という図式にがんの最大原因を集約したのかも知れない。だから、そのへんのところはあんまり理屈をこねないほうがいいのかも知れない。それでも「最大の原因」を「たばこ」に代表させることはともかく、「遺伝や飲酒」を誤答としてしまうことにはどこか間違った方向に相手を誘導してしまうような気がしてならない。

 さて、気になった二点目は、がん協会が授業をやったことで「授業後には全員が正解に(なった)」とする、がん協会自身の思い上がりである。「正解」とは、理解した上での回答を意味していることくらい当たり前のことである。だとするなら、あらかじめ答えを教えておいて求めたような回答は「正解」の部類に入らないと思うのである。

 この対がん協会の行なったテストは同じ日に二度行なわれている。その具体的な流れを私は知らないけれど、想像するに次のようなものだろう。

 まず、授業の最初に「がんになる最大の原因は何か」との第一回目のテストを行なう。もしかしらた回答として「たばこや遺伝や酒、もしかしたらダイエットのしすぎや食べすぎ」などが例示された択一式になっていたのかも知れない。次いでそのテストを集めて回答をまとめ、その結果を話題にしつつがんに関する授業を行なう。その授業内容には当然「がんの最大原因に遺伝やお酒と答えた人がいたけれど間違いであること」、そして「正解はたばこであること」が含まれることは当然である。そしてその授業後直ちに、(恐らく第一回のテストで正解だった人も含めた全員に対して)同じ問題で再試験を行なう。

 私はそのテストの内容を知らないと言った。だから場合によっては一回目と二回目とでテストが違っていることもあるだろうし、また提出された問題も「がんの最大原因」に関する一問だけでなく、例えばがんに関する数十問もの質問が並んでいたのかも知れない。しかもこの授業を行なったのが高校なのか中学校なのかも、この記事からは不明である。

 でも講義希望の募集要領によると講座の対象を主に高校と中学にしているようである。だとするなら高校入試や大学入試の模擬試験ではあるまいし、がん知識普及のための講義なのだから、学力を知るためのテスト問題など入り込む余地はなく、単に講義のための話題作りにあるのだろう。だからそのテストは「がんの最大原因」に関する一問だけだったような気がする。

 その結果を「講義の成果によって100パーセントの理解が得られた」と評価していいものなのだろうか。確かに二回目のテストで講義を受けた者全員から正解が得られたことだろう。それはそして、講義の中で「がんの最大原因はたばこである」ことを教えた効果によるものだろう。
 だとすれば、その全員正解の事実を「講義による理解率の上昇」ととらえることもあながち間違いだと指摘することは理不尽かも知れない。でももし「たった一問のテスト」の答えを直前に教えておいて再試験をやったのだとするなら、「全員正解」が得られたことをもってその教えたことによって「全員が理解した」ととらえる思考には私はどうしても納得ができないのである。

 同じテスト問題を使って再試験するようなケースの全部が全部を、いんちきだと決め付けるつもりはない。でもこのがん協会の講義に対する「全員正解が得られた」との評価は、「なんとなく」の程度を超えてあまりにも身勝手過ぎるような気がしてならない。私の意識の中では、身勝手を超えて「嘘つき」とさえ思ってしまうのである。

 この記事の掲載は恐らく対がん協会の幹部の承認を得てのことだろうから、記事の思惑はそのまま協会そのものの意見と理解していいだろう。この記事の掲載目的は「協会による講義を希望する学校の募集」である。だとするなら協会にはこうした体質、つまり自己欺瞞、自惚れ、正当化、自己満足、そうした鼻持ちならない意識が潜在しているように私には思え、そうした臭いを持ったまま組織は自らの行動を進めていくことだろう。

 「全員正解という成功の呪縛」にいささかの疑問も抱くことなく、成功という報酬に酔いしれているかに見える組織としての危うさに、その組織はやがて方向を見失ってしまうのではないだろうかと私は密かに危惧しているのである。自惚れや自己欺瞞から抜け出すことはとても難しく、それが組織であればなお更であることをどこかで感じてしまうからである。


                                     2013.1.1     佐々木利夫


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