巷には様々な相談窓口がある。そうした窓口は、もしかしたら「無数」といっていいほどあるのかも知れない。苦情受付や商品説明、法律や手続の相談など、有料無料を問わずに数えるなら、「無数」という表現は決してオーバーではないような気がする。だからそんな中からいくつかの例をとりあげてトヤカク言うのは、もしかしたら「相談窓口」というシステムに対する間違った評価を与えることにもなりかねない。それでもなお、窓口というのは国民や消費者という不特定多数でなおかつ特別な分野の知識が乏しい者が頼りにするところなのだから、やはり納得できる対応が求められるのではないだろうか。

 これから書こうとするのは、ブラック企業に就職したアルバイトがその不当な扱いを相談した窓口の対応についてである。つまりブラックバイトの実態がいかに不当なものであるかを訴え、その訴えの相談を受けた窓口での話である。

 この窓口が有料だったかそれとも無料だったか、弁護士が設営した窓口だったのかそれとも司法書士や社会保険労務士などの専門家が開いた窓口だったのか、それとも単なるボランティア集団の任意のサービスだったのか、テレビで見たときにメモしなかったこともあり記憶がない。それでも、その窓口担当者の対応の仕方が、どうにも納得がいかなかったのである。

 「客の入り具合で賃金が下がるんです」、その窓口を訪ねたアルバイターの訴えである。日給なのか時給なのかは分らないけれど、勤務時間の長短によって賃金に増減が生じるのは当たり前のことだろうけれど、客の入り具合というその日の営業成績によって賃金が増減(この場合は減少のみ)するのはどうしたって不合理である。

 こんな賃金の仕組みが不合理なことくらい、誰にだって分る。時給1000円で契約したなら、6時間働いて6000円になることくらい小学生にだって分る理屈である。もちろん芸能界での大入り袋のように、経営者が意図する以上の観客動員があったことなどを喜んで、スタッフにいくばくかの賞与を出すことはあるだろう。つまり時給以外にプラスアルファを加算するような事例がないとは言えない。
 でもそれは給与の一種ではあろうが、あくまでも経営者の恩恵としての支給である。支給するほうにも受けるほうにも、何らかの義務や強制を伴うものではない。

 だが今回の相談のケースは経営者による一方的な賃金の減額という強制である。採用時の契約で、売り上げによって賃金が下がる場合のあることが決められていたとは思えない。もしそうした契約があるのなら、相談は賃金が下がったことではなく、そうした契約の適否についてになるはずだからである。

 そして私が納得いかなかったのは、その相談に対する窓口の対応の仕方であった。「違法です」、窓口の担当者はこともなげにそう回答したのである。そんなことくらい分っている。使用者の裁量か店長の権限によるものかは分らないが、売り上げの多寡によって勝手に給料を下げることの違法性くらい誰にだって分る。そしてそれが違法であることくらい、相談しているアルバイター当人が一番良く分っているはずである。むしろ、分っているからこそ、こうした窓口を訪ねたのだと思う。

 窓口担当者は更に回答を続ける。「まずは雇い主に話してください」。それが相談に対する回答になっていると、回答者は本当に思ったのだろうか。そんな回答を期待して相談者は窓口を訪れたと思っているのだろうか。そんな答が回答になるのなら、相談者は相談に来なかったと思うのである。相談前に問題は解決しているはずだからである。相談者がこの窓口に来るまで、一度も雇い主に不服を言わなかったのかどうか、不服を言えるような状況にあったのかどうか、窓口担当者にはその程度の想像力すらなかったのだろうか。

 回答は更に続く。「それでも解決しなかったら、労働基準監督署に相談してください」。この一言で回答は終了した。これが「客の入り具合で賃金が下がるんです」との相談に対する窓口からの最終回答である。「違法です」、「雇い主に話してください」、「解決しなかったら監督署に相談してください」が、相談者がこの窓口から引き出した回答のすべてである。

 これを聞いて私は思ったのである。この窓口は何の回答もしていない、「相談窓口」なんぞという看板を掲げておきながら、その役割は少しも果たしていないと思ったのである。そして相談窓口という名を借りて単に頼りなさをばらまいているだけの非情なシステムにしかなっていないのではないかとさえ思い、腹立たしささえ感じたのである。この程度の回答なら、誰にでもできる、なんの資格も権限も持っていない私にだってできると思ったのである。その窓口は、「相談窓口というシステムそのもの」が、頼りないどころか無意味なものだということを逆に外に向けて宣伝しているかのように思えたのである。

 そして相談窓口というのは結局は無責任なものであり、そうした無責任さを「専門家に相談してください」との一言で、回答に伴う責任を100%他に転嫁してしまうだけの機関、つまりは看板だけの偽りの機関でしかないように思えて仕方がなかったのである。

 その相談窓口に解決のための権限がどこまで与えられていたのかは分らない。それでも、「専門家に相談してください」しか言えないような窓口なら、私には「そんな窓口なんかいらない」としか思えなかったのである。もう少し相談者に寄り添った対応ができるのではないか、寄り添うのが窓口としての役割ではないか、窓口というからにはそこまでの対応が求められているのではないか、そんな風に思ったのである。

 この窓口が回答した対応方法くらい相談者は十分に分かっているはずだし、場合によっては既に実行済みなのではないだろうか。もし仮にそうした方法のあることを知らなかったというのなら、窓口が発した意見は有効に機能したことになる。だが、雇い主などに話すことや場合によっては監督官庁に相談するくらいのことは、誰でも知っている常識的な知識になっているのではないかと思ったのである。雇い主と話し合いをし、監督官庁に相談をしたにもかかわらずそこで行き止まりになってしまった、もしくはそうした行為を取れない状況にあるからこそ、この窓口に相談に来たのだと思うのである。

 もし仮に相談者が雇い主と話し合いもしていないし、監督官庁に相談もしていないのだとするなら、その原因はたった一つしかないのではないだろうか。それは方法に対する無知ではない。「解雇への恐れ」である。場合によっては「雇い止め」や「昇給の停止」などに対する恐れが含まれるかも知れないが、結局は不安定な雇用に対する雇い主からの報復を恐れてのことではないだろうか。相談担当者にはそれしきの想像もできないまま、こんな回答で済まそうとしているのだろうか。

 だから私は、「解雇の恐れ」に対する心配りがまったく欠けているこうした回答を信用しないのである。そんな回答は回答になっていないと思うからである。恐らくそうした恐れに対しても回答者は「解雇は違法です」、「監督署に相談してください」を繰り返すだけだろう。労働問題に対する紛争機関や調停機関の名称、裁判所へ訴えることができる程度の助言までするかも知れない。

 ただそんなことを言われただけで相談者はどこまで納得するだろうか。下げられた給料に不満を抱きながらも、相談者は沈黙のまま明日もまた売り上げの減少によって下がるかも知れない時給1000円の仕事を繰り返すことになるのではないだろうか。ここを解雇されたら明日からどうしたらいいのか、雇用者と被用者の余りにも大きな力の差、そんな背景をまるで知らずに「相談窓口」なんぞを開いていることに、私は憤りさえ感じるのである。

 そうした相談者の態度を被用者の弱さであり、権利放棄であると批判し、もっと強くなるべきだと激励することはたやすい。でも窓口は決して相談者を助けてくれることなどないだろう。窓口での回答どおりに行動したとして、その結果がどんなに不当な結果を招こうとも、窓口は相談者を救うことはないだろう。「相談窓口の責任はここまでなのです」と、平然と切り捨てるだろう。だから私は、窓口を信用しないのである。

                                     2014.7.10    佐々木利夫


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相談窓口