本放送なのか再放送なのか分らないけれど、毎週のように見ている番組の一つにNHKeテレの「メデイァの目」というのがある(私が見る時間帯は毎週木曜日の午前10時40分ころである)。若者というか、もう少し若い中高生を対象にした新聞、雑誌、携帯などに関する問題点や視点などを解説するものである。現代若者気質であるとか、マスコミがどんな視点で社会(特に若者)を研究しているかなどに気づけさせられることもあって、熱心とは言えないもののそれなり興味を持って見ている。

 先週(10月15日)のテーマは少女雑誌の女性編集者を追いかけて、「少女の髪型」の特集記事の編集に苦労する姿であった。間もなく後期高齢者を迎えようとする私にとって、中学生の女の子はどんな髪型で海水浴に行きたいのかとか、浴衣を着て花火大会に行くときに彼氏はどんな髪型が気に入るだろうと考えているのかなどの特集にはなんの興味もない。せいぜいが、「まあ、こんなものか」程度の少女の色気を知らされるだけである。

 ただそのときに、こんな映像が写り、「おや」と思ったのである。それは女性編集者が、分厚い読者アンケートの束に目を通す場面であった。彼女はアンケートの束を見つめながら、全部で一年分約10万枚あると言う。そこまでは特に異論はなかった。だがこれにすぐ続く映像が、アンケートに回答した読者の髪型の希望に関する集約結果であり、この画面があまりにも誇張されているように思ったのである。誇張というよりはそれを超えて、むしろ嘘の範囲にまで及んでいるのではないかとすら思ったのであった。

 番組に流れる解説の声は、一番人気は○○の髪型で17%、二番目は××型で何パーセント・・・などと伝えていた。ただ、どんな髪型が人気の上位に並んでいたか、私にそうした知識がないのでよく分からなかった。ポニーテールとかおだんご型などが並んでいたような気もするが、残念ながらそこまで覚えていない。だが気になったのは第一人気の髪型が「17%で26人」と手書きで書かれた紙が映された場面であった。

 17%はいい。それを嘘とは言うまい。でも26人、17%と書かれた映像を放映したことには放送者としての責任があるように思ったのである。26人、17%は割り算をしてみるとすぐに分ることだが、分母は153人である。153人中26人がある特定の髪型に投票したということである。数学的に言う限り153人中26人が例えばポニーテールを選択し、それが17%で第一位になったからアンケートに答えた少女はこの髪型を好んでいるとする結論を間違いとは言えないだろう。

 それでも私は、この数字と結論をとてつもなく胡散臭く思ったのである。10万枚のアンケートがすべて髪型に関するものだとは思わない。少女向け雑誌のアンケートなのだから、メイクやネール、ファッションから靴や下着などにいたるまで、多様なアンケートをとっているだろうことは分る。でも、10万枚のアンケートの束を前に編集者が一枚一枚めくりながら次回の雑誌の特集である髪型のテーマに頭を痛めている映像を流し、その結果としてこのアンケート集約結果と次回の雑誌の編集方針などを示す映像を見て、どうしても誇張だとしか思えなかったのである。
 たとえ放送者に誇張する意図がなかったとしても、10万枚のアンケートに続いて17%の解説なり映像を流すことは、そうした誤解を招くに十分な気がしてならなかったのである。

 10万枚のアンケートにすぐ続く17%の映像は、それなりの重みのある数字だと思うのである。こうした手法誇張と感じたのは、あるサラリーマンが昼食で食堂へ行ったときに店にはサラリーマン風の2人しか客がいなくて定食と掛けそばを食べていた、後から行った本人がラーメンを注文した事実を捉えて、サラリーマンの昼食は33%がラーメンであると定義するようなものだと思ったからである。数字としての33%に嘘はないけれど、母集団が3人では統計としての意味などまったくないことくらい誰にでも分る。三人に一人なら、サラリーマンの昼食傾向は定食だともかけそばだとも言えるのだし、統計数値としてまるで意味がないからである。

 どの程度まで母集団を集めれば統計的に意味のある数字が得られるかは、統計学の検定検証に任せるしかないけれど、少なくともこの髪型特集を企画した雑誌の編集者が、153人と26人のデータを使って結論を出したとするなら、わたしはその編集者を信用しないだろう。ましてや、テレビが「メディアの目」と銘打って雑誌の編集過程を番組として紹介することなどは、あまりにも誇張が過ぎると思うのである。そして私はテレビ局がこうした場面を挿入したことの中に、あたかも母集団が10万人であるかのような、それでなくとも少なくとも相当多数の読者の17%が特定の髪型を好んでいるとの情報を視聴者へ与えたいとする故意を感じてしまったのである。極端に言うなら「嘘か誤解」を広めるために利用したような思いをすら抱いたのである。

 番組に流れた一瞬ともいえる短い映像を捉えて番組全体を批判するなどは、それこそ独断と偏見だと言われても仕方のないことかもしれない。それでも17%の根拠の母集団が僅か153人であったことに、私は番組全体に対して不審、更には意図的な誘導の念すら感じてしまったのである。

 番組がこの映像を流すことなく、単に17%という音声のみを流したのならこんな疑問は抱かなかっただろう。でもそれはその数値が評価に足りる母集団の存在から得られたものであると、無意識にしろ信じた(信じさせた)結果による効果なのではないかと思う。153人という映像をあえて流したのだから、そこに番組の良心を感じてもいいのではないかという意見があるかもしれないけれど、私には無意識と実際の母集団の格差の大きさは、そうした良心の推定を否定して余りあるのではないかと思えるのである。


                                     2014.10.21    佐々木利夫


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統計と雑誌の誇張