この本(ゼンゼレへの手紙、J.ノジボ・マレイレ著、三浦彊子・訳)を読んで、人がわが子と向き合うとき、それは単なる親子としてだけの関係なのか、それとも互いに社会や歴史や時代や民族を背負った者同士としての関係なのかがふと気になり、そんな視点が私には欠けていたような気持ちにさせられた。

 「・・・アフリカ人の女であるということは、あなたがそこからつくりだすものを言うのよ。けれど、忘れていけないのは、大多数の人々にとっては、それはほかの人より早く起きて、寒い台所を温め、太陽にじりじり灼かれて野良仕事をし、頭に水瓶を載せ、両脇に薪を抱え、背中には赤ん坊をおぶって、埃っぽい道を何マイルも歩くことなのよ」(P55)

 これは昔の苦しかった自らの生活を伝えているのではない。たとえ娘が優秀でアフリカを出て米国ハーバードに留学したとしても、そしてカラーテレビやスマートフォンに囲まれた生活が日常になっているとしても、なお根っこに残しておかなければならない民族として血の教えでもある。

 母は娘に、かつて自分が嫁いできたときに起きた出来事を語る。結婚式の前、他部族から嫁いできた新婚の妻の寝室へ夫の母親がそっと入ってきてドアに鍵をかけたのだ。

 「・・・わたしの手をとって、ベッドに連れて行った。『さあ、おいで、娘や。ここへお座り。あんたに見せるものがある』わたしは頭がくらくらした。・・・私は恐ろしさに身がすくんだ。・・・わたしがぎょっとしたのは、老女がガウンのボタンをはずしにかかったことだった。ゆっくり、苦労しながら、年寄りの節くれだった手が、隠しておいてもらいたいものを晒していった。・・・大きな黒いブルーンのようなしなびた乳房が、黒光りしてぶらぶら揺れながら、瘠せて骨の浮き出た胸から垂れていた。『いま、あんたには若さの美しさがある。・・・だけど時が経つのを待って見るがいい』」(P56〜57)

 そして姑は嫁に自分の顔を触らせ、自分の皺やしみや傷、しなびた乳房を示しながら言う、「全部自分の乳で育てた」、「これが人生のしるし」、「細いウエストや丸い乳房があんたにとって大切なように。これはわたしが家族に捧げた愛の証なんだよ」。「あんたの目には老いぼれの、ひからびた、冴えないものに映るだろうけれど、そのうちあんたにもわかるだろう、どの時期にもそれぞれの美しさがあるってことが」(P59)

 姑の話は続く。「女の体は月に従うんだ。・・・女の幸せや悲しみはいろんな形になる。・・・女は大地に立っているが、天にも近い。・・・若いときの体は若さとともに消えて、そのあとには人生の刈り入れどきの体がくる」(P60)

 なんと美しい情景だろうか。私にはこの姑と嫁との密室での会話が、人生そのものを見せているかのようにまざまざと浮かんでくる。「『おやすみ、娘や。あんたはまちがいなく、私の息子を幸せにしてくれるよ。わたしたちの自慢の嫁になるだろう』そういい残すと、彼女はドアの鍵を開け、・・・出ていった。わたしは真っ暗闇のなかに残された。その迫力に圧倒され、呆気にとられていた。・・・その晩・・・わたしが気がついたのは、わたしたちはみんな自分の道と、言葉と、季節を見つけ出さなければならないということだった」(P60〜61)

 「伝える」というのは、こういうことを意味するのだろうか。義母の行為が特別に奇異だとは思わない。でもこの伝承する力の圧倒さはどうだ。行為の中に歴史や教訓を含んでいるとの思いは、むしろ邪魔になるだろう。義母もまた夫の母から伝えられたのであろう当たり前の行為や意味が、これほどの力を持っていることに、私はこの小説をベッドの脇に置いて少しの間目を閉じ沈黙していた。

 この物語は、一人の母から一人の娘への伝承の記録ではない。アフリカとは何か、アフリカの女とは何か、そして更には人とは何かを問いかけるものである。著者は都会から戻ってきた者たちのことをこんな風に言う。「・・・みんな道徳面で混乱をきたし、きらびやかな物質主義に屈してしまった。エキセントリックなマナーを身につけ、文化的記憶喪失にかかって帰ってきた」(P95)。そんな揶揄されるような環境を私たちは作ってしまったのだろうか。

 「新しい世界と後に残してきた世界との溝は埋められないほど深いものになる」(P95)ほどの世界を作り上げてきた私たちに、それを文明だの文化だのと呼んでもいいのだろうか。「二重の国籍と折り合いをつけるのではなしに、古い国籍を拒絶して新しいほうを受け入れてしまう」(P95)ことが正しい選択なのだと、私たちはいつの間に思うようになってしまったのだろうか。

 「彼らはわれわれを貿易収支や、国民総生産や、一人当たりの所得や、乳児死亡率で評価する。われわれの公平なヘルスケアや、すべての人々が受けられる教育や、家族や、麻薬に汚染されていない学校や、障害者のための支出・・・こういったものは彼らの簿記には記載する欄がないのだ」(P105)と言わしめる背景は一体どこにあるのだろうか。バケツで遠くの川から運んでくる水と、蛇口をひねるだけでほとばしる水の、どちらを私たちは文化と呼べばいいのだろうか。

 「わたしたちはわたしたち自身の姿を見定め、わたしたち自身の歴史を書かなければならない」(P107)。こんな気恥ずかしいほどの正論が、まっすぐに私の心に染み込んでくる。それはまた、「自分という人間や、自分の国を、他人の評価に任せてはいけない」(P124)ことを伝えようとする力であり、「わたしたちは根を張っている。・・・わたしたちはじぶんたちのものを闘って取り戻したのだ」(P125)とする揺るぎない自信へとつながっている。


                                     2014.3.28    佐々木利夫


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ゼンゼレへの手紙 2