2010年6月、ハヤブサと名づけられた小惑星探査機が、小惑星「いとかわ」の構成物質を微量ながら地球へ持ち帰ったとされるニュースは、日本のみならず世界を驚かした。それは片道切符が一般的な無人宇宙探査の世界で、宇宙から資料を採取して再び地球へ戻ってくるという、日本のロケットコントロールの技術が世界を驚かせたからである。しかもその成果には、資料回収後にこの探査機が一時的にしろ行方不明になっていたというおまけまでついていた。つまり、行方不明になった段階でこのハヤブサ計画は失敗したと、発案者も含め多くの人たちが思っていたということである。

 それが「諦めの悪いハヤブサプロジェクトチームの何人か」によって、当然放棄・中止されるべきこの計画が密かに維持されており、行方不明後数年を経て突如として「満身創痍ながら探査機を発見できた、僅かだかコントロール可能、地球へ帰還させる可能性もある」との事態にまで変化したのである。本体は地球の大気中で燃え尽きてしまったけれど、資料を回収したカプセルはオーストラリアの地上へ無事着地することができたのである。

 2003年5月の打ち上げ以来のこうした経過は、探査機が地球に近づき一部の装置が地上に回収できるかも知れないとの期待が高まるにつれ、日本中の人々の感動を呼び起こすことになった。その反応はまさに「期待」の渦であり、地球帰還を巡る賞賛の嵐であった。

 こうした世間の騒動の内容は、このハヤブサを巡って二本もの映画が作成されたことや、関係者へのインタビューや講演などが何度となく繰り返されたことなどで多くの人の知るところである。

 こうした賞賛に私はけちをつけようとしたいのではない。とにかく地球に戻ってきたのだから、当初の「回収する」という目的は成功したことに違いはない。行方不明に伴う一部関係者の諦めの悪さも、逆に「信念を貫き通した不屈の精神」みたいなものに昇華されてしまったが、それを批判するつもりもない。そしてやがてこの「諦らめの悪さ」は「成功を信じる心」みたいな思へと純化され、それはそのまま日本人の精神論に強くに訴えるものになった。そしてそうした思いはやがて「有り得べきリーダーの資質」であるとか、「研究者はかくあるべきだ」と言った理想論にまで発展していった。

 私にしてみれば今回の成果は、結果的な成功なのだから「後出しじゃんけん的栄誉になっているのではないか」と思わないでもないけれど、「終わりよければすべてよし」とする日本中の賞賛を拒否するほどのことでもないだろうと思っている。ただ、結果的にではあれ成功した事実にこうした言い方をするのはとても難しいのだが、私としては「失敗を認めて計画を断念するという決断をしなければならないことも、リーダーに求められる大切な資質である」と思うし、賞賛オンリーで済まされることではないような気がしていることは事実である。

 そのことはともかくとして、「探査機ハヤブサ」そのものを擬人化して、「よくやった」、「がんばった」、「おめでとう」、「苦労したね」などと帰還を賞賛する声が多かったことは、気持ちとして分らないと言うのではないけれど、いささか的外れな反応であることは言うまでもないことだと今でも思っている。

 ここで私がここで言いたいのは、賞賛についてはともあれ、この結果には重大な危険が伴っていたのではないかとの疑問から抜けきれないでいることである。それは「地球人への危機」、「人類の危機」への配慮が、誰からもまったく指摘されていないことである。もしかしたら計画には、そうした危険を予想した対策が講じられていたのかも知れない。だとするならこうした思いは単なる私の杞憂であり、取り越し苦労なのかも知れない。でもそうした安心できる背景の説明がまったくないままなのは、一体どうしたことなのだろうか。

 私の思う危険・心配とは、未知の天体の成分を地球に持ち込むことである。たかが小惑星の資料である。惑星の軌道からするなら、太陽に近い水星、そしてその次の地球、そして火星、そして小惑星群である。太陽系全体を見るなら地球のごく近くであり、月などとそれほど変わらない近さの天体であると言ってもいいかも知れない。何万光年も離れた遠い宇宙からの資料ではない。だからその小惑星の存在する空間は、宇宙と呼ぶほど広大なものではないのかも知れない。

 だが地球内でも、検疫というシステムがある。昨年からアフリカで猛威を振るっているエボラ出血熱が数カ国に伝染し、日本でもその恐れありとして緊急対策がとられたことは記憶に新しい。私自身もアメリカに占領されていた時代の沖縄へ旅行したときには予防接種を受けたし、また沖縄諸島内ではあるがある種の昆虫の移動を防ぐために船舶や飛行機に瓜類の持込みを禁じられたことを記憶している。

 海外旅行などでの検疫は、対象となる細菌やウイルスなどの原因菌、そして発症した場合の対症療法や治療システムなどが一応確立しているだろうから、とりあえずは安心である。このことは国を異にする人間の移動にすら、なんらかの危険があることを示している。だからこそそうした危険の拡大を防ぐための検疫システムが、各国共通に設けられているのである。

 ましてや宇宙である。その規模から考えるなら、小惑星群など隣近所みたいに身近な天体かも知れないが、人類がまだ足を踏み入れたことのない天体である。だからこそ探査機を送って、その実体を知ろうとしたのだと思う。

 何が危険なのか私にも分かっていない。未知がどんな場合にも危険だと即断してしまうのは間違いかも知れない。だが私には「安全であることが確立される」までは「未知はとりあえず危険」と判断することが、それほど思い過ごしだとは思えないのである。

 一般的に危険な対象は微生物であろう。地球上で発見されているものにしろ、はたまた未知のウイルスにしろ、未知の天体から何らかの物質を持ち込むということは、場合によっては人類や地球上の動植物にとって危険な細菌などを持ち込む可能性があるということである。場合によっては今の技術では治療不可能な病原菌が持ち込まれる恐れだってあったのである。

 その他には、例えば毒性物質もあげられるるだろう。ただ物質であるなら、仮に毒性の強いものであったとしても、その被害は回収地点などの限定的な範囲に限られることだろう。そしてそれは病原菌による汚染のように被害が拡散するようなことはないだろうことを意味しているかも知れない。

 しかし私たちの知らない物質だった場合はどうだろうか。元素は周期律表などで見る限り調べ尽くされているように思えるが、化合物や有機物質などはまだまだ未知である。例えば地上の窒素や酸素と結合して未知の毒物を生成するような物質が含まれている可能性だってあるだろう。それが単なる合成ですむなら、そし合成物は持ち込まれた物質の量の範囲に止まるだろうから、被害も限定的かも知れない。だがそれが触媒などのように作用して、当該物質が消耗されたり変化することなく存続するようなものだったらどうしたらいいのだろうか。

 私には防御の手段がまったく分らないが、仮に「意思・思念・思考」みたいな生物(?)が単独に存在していたとして、それが持ち込まれたらどうするのだろうか。そんなことは単なるSF世界の妄想に過ぎないと一笑に付されるかも知れないけれど、未知にはそういうものものも含まれるのではないかと、私はどこかで思いこんでいるのである。

 恐らくある種の防疫や検疫のシステムはハヤブサにも組み込まれていたとは思う。そしてそれは回収された時点で十分に機能したのかも知れない。想定を超えるようなどんな危険に対しても防御が必要だと、不可能を強いるつもりはない。だが、今回のハヤブサをめぐる報道には、賞賛だけが目立ちその裏に潜む危険に対する報道にはまるで触れられていないことが、どうにも気になるのである。

 ハヤブサ2号の計画が進んでいると聞く。どこまでやれば安全といえるのか、私にはもちろん分らないけれど、その装置が安全であることをきちんと人類に伝えることもまた最重要に必要なことだと思っているのである。むしろ賞賛以上に、ハヤブサになど何の興味もないと思っている人々やまるで理解できない人々、更には幼児や老人にとっても大切なことだと思っているのである。


                                     2015.4.18    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ
 
 
 
ハヤブサへの疑念