過ぎて行く時間を早いと感じるか、それとも遅いと感じるかは人それぞれだろうと思う。子どもと大人と老人とでも違うだろうけれど、一概に世代で感じ方の違いを区別することはできないように思う。また自身の中でも、その時々の気持ちによって長く感じたり短く感じたりするものなのではないだろうか。それは例えば時間の経過を未来にある願望の成就として描くか、それとも過去の想起として思い浮かべるかなどによっても違うのかも知れない。

 そうした個人にとっての時間の違いのほかに、時代もまた「過ぎ行く時間」に大きな影響を与えるような気がしている。

 私が生まれたのは昭和15(1940)年だから、今から75年も前のことになる。私の過ごしてきた時間の長さは、既に歴史とも評価されるような長さになっている。そうした老人が振りかえる時間の長さは、もちろん今の若者や幼い子どもたちの感じる長さとは当然違うことだろう。

 昭和15年、それは日本が世界に向けて戦争を仕掛けた一年後であり、原子爆弾が広島長崎に投下されて神風に守られているとの神話が崩れることになる5年前の時代である。つまり私の生まれた時代は、日本中が戦争に巻き込まれていた時代であり、敗戦から打ち続く「物のない時代」そのものであった。

 「物がない」、そのことと時間の経過とが関係しているとは必ずしも言えないだろう。だだ、少なくとも私が生まれた頃の時間は、今よりとてもゆっくりと流れていたような気がする。その流れに関する感じ方の原点は、言ってみれば「便利さ」に象徴されていると思っている。つまり、今の時代がその頃に比べてとてつもなく便利になっているということでもある。

 「物がないこと」に代表される社会環境を戦争だけのせいにすることは、少し早とちりかも知れない。現代の便利さの背景には、経済成長やそれに伴う消費者の所得の延び、更には提供される「いわゆる物」の増加などがあるだろうからである。また、科学技術を中心とする技術の進歩・発展にも無視できないものがあるだろう。

 ただ、私の生きてきた時代の変化は、その大きさが困惑するほどまでに大きくなっているのではないかと思っているのである。言ってみれば私の生まれた頃の環境は、極端に言ってしまえるなら「物ゼロ」の時代であった。もちろん、ゼロとは言っても生き延びるだけの食料はあったのだし、穴や継ぎはぎだらけだったにしろかろうじて身にまとうだけの衣服はあった。それでもその「あった」は、人によって違ったかも知れないけれど最低限のものだったような気がする。

 それでも小学生時代の学年写真が残っているところを見ると、貧しいながらもそれなりの生活ができていたことを意味しているのだろう。たとえわらじを履いている同級生が何人もその中に写っていたにしてもである。

 そんな時代が、今ではこんなにも変化した。そして便利になった。人間の欲望には限りがないだろうから、もっと欲しいと思い気持ちが消えてしまうことなどないのかも知れない。それでも、多くの人が持ち家を持ち、タンスの中には洋服が溢れている現実がある。そして人は「実用的な物が欲しい」の思いを超えて、ブランドものであるとかより高級なものが欲しいと言った「必要な物は間に合っているけれど、それを超えてもっと欲しい」という気持ちにさせられている。

 情報は一種の技術なのかも知れないけれど、その街の有名商店数件にしかなかった電話(いわゆる固定電話)が、今や携帯電話・スマートホンとして一人一台を超えるまでに普及した。かく言う私も、携帯こそ持っていないけれど、こうしてパソコンに向かってネットサーフィンに浮かれ自作のホームページ作成を楽しんでいる。

 私の人生は高々75年でしかない。だがこの75年の変化は、まさしく目まぐるしさを超えて信じられないほどのスピードを私たちにぶつけてくる。鳥の真似をして空を飛ぼうとした人類が、今では木星土星よりももっと遠くを目指す宇宙探査への変化を、僅か一世代で経験しようとしているのである。

 現代は生活のリズムがすさまじく早くなっている。昔の話だけれど、北海道観光旅行や北海道での交通事故の多発防止に関連させて、「北海道、そんなに急いでどこへ行く」というキャッチコピーがあった。現代はあらゆる人々に、駆け足での生活を要求するようになった。もしかしたら駆け足どころではないかも知れない。もっと早く、もっと高く、もっと強く・・・、まるで全世界の人たち全員がオリンピックにでも参加したように、他者のみならず自己をも競争相手とみなして追いつき追い越そうとしているのである。

 「鶏口となるとも、牛後となるな」とばかりに人は常に先頭を走ろうとする。そしてそうした変化が時間にも表れる。負けるな、の一言はそのまま人を時間競争の渦中に押し込めてしまう。ミヒャエル・エンデは「時間泥棒」テーマとしたけれど、時間競争は私たちを追い詰めるばかりである。「忙しい」が成功のための条件であり、「忙しい」ことが人生の充実を意味するのだと、人はいつから思いこむようになってしまったのだろうか。そして技術はどうしてそれを後押しすることだけのために発達してきたのだろうか。

 言葉として人は「スローライフ」、「スローフード」を口にする。でも「忙しくすることが正義なのだ」する思いは、現代人の頭から消えることはない。

 それで私たちは幸せになったのだろうか。貧しさ中で棒切れ一本、石ころ一個あれば友達と遊べた私たちの幼かった時代、時間がゆっくりと流れていたその時代を、私はなぜか懐かしんでいるのである。



                                     2015.6.17    佐々木利夫


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