目が遠くなることを遠視といい、それが加齢とともに始まることを老眼という。遠視と老眼とは学問的には異なる症状なのかも知れないけれど、眼鏡をかけることで矯正できることや、現実的な症状というか機能低下の現象から見る限りそれほどの違いはない。

 さて私の老眼は、つらつら考えてみるにかれこれ20数年前の50歳代から始まった。老眼であることを日常生活の中で具体的に感じたのではないけれど、新聞などを読むことにどことない不便を感じ眼鏡店で検査を受けて遠視と宣告されたこと、そして不本意ながら専用の眼鏡を買わされる破目になったことなどがその頃だったからである。

 まあそうは言っても不便は「活字を読む」範囲に限定されていて、普段の生活や車の運転などにはほとんど支障がなかったから、仕事も含めそれほどの不自由さを感じていたわけではない。近視や遠視は年齢とともに少しずつ進行していくとの話しは聞いたことがある。私の場合のそうした体験は、新聞などに加えてパソコンの画面に向かうときにも少し不便を感じるようになってきたことなどがあげられるかも知れない。それでも20数年来、同じ眼鏡で間に合わせることができていた。だから眼鏡を必要とする範囲がやや拡大してきているような実感はあるものの、新しい眼鏡を買い替えるまでの必要性を感じたことはなく、最初に手にした眼鏡をそのまま使い続けている。

 さて目の話はこれくらいにし、今回のテーマは耳である。毎日30〜40分をかけて自宅と事務所を15年以上、飽きもせずに往復しているが、その間の伴侶はポケットラジオである。コマーシャルは煩わしいので、専らNHKのニュースやクラシック音楽、そして朗読などの番組が馴染みになっている。とは言っても電車での移動中や駅での待ち時間など、通勤時間帯での利用に限られているから、それほど熱心なリスナーだというわけではない。聴くのは専らイヤホーンで、閉鎖的な空間での孤独な楽しみになっている。

 数日前のことである。なにかの拍子で歩行中にイヤホーンの片耳が外れてしまった。そんなことはありふれた出来事なので、すぐさま外れたのを元へ戻せばそれで済むだけのことである。外れたのは左耳だったのだが、そのときにどことない違和感が残ったのである。

 聴いていた番組の音量が急に小さくなったのである。もちろんこんなことも珍しいことではない。咄嗟に思ったのは、イヤホーンの耳へのはめ方が少しでもずれていると音量に大きな違いがでることであった。それにステレオ放送が普及しはじめてから、ラジオに限らず様々なオーディオ装置には必ず右チャンネルと左チャンネルのそれぞれにヴォリュームダイヤルがついていて、左右の音量を自由に調節できるようになっていることも考えた。違和感を覚えたときは、恐らくイヤホーンのはめ方が悪かったか、右耳の音量を低く設定していたのだろうと思い、そのまま外れたイヤホーンを耳へ戻すだけで終わった。

 数日後、そのことを思い出して確認してみた。そしてこのラジオには、左右の音量を別々に設定するような機能が備えられていないことに改めて気づいたのである。それでなんとなく気になって、確かめてみることにした。ところがいつも通りイヤホーンを耳にセットすると、右耳の音が間違いなく左耳の音量よりも低いのである。感覚的に言うしかないのだが、半分以下の音量でしか聞こえてこないのである。

 もちろんイヤホーンの故障ということもあるぢろうが、小さい音ながらも聞こえているのだから、断線による故障ということはないだろう。イヤホーンの左右を入れ替えて聞いてみる。ところがさっきまではっきり聞こえていた左耳の音が、右耳に差し込んだとたん急に小さくなってしまったのである。難聴が始まったのではないかと気づかされた最初の兆候であった。

 耳が遠くなってきているのかも知れないという予感は、実は数ヶ月前からあった。普通に視聴するテレビ放送はそれほど気にならないのだが、録画してある内蔵ハードディスクや外付けブルーレイディスクの再生、そのほかパソコンで見ている動画や映画などをテレビへ移行して鑑賞するときなどに、ヴォリュームを少し上げないと多少聞きづらくなってきているような、そんな感じがしていたからである。それでもその原因は、その機器の接続方法であるとかパソコンの設定の仕方などにあるのではないかと、勝手に自分を納得させていたのである。

 聴力低下は、左耳を指で塞いで右耳だけでテレビを聴くことで更にはっきりしてきた。左右で聞こえる音量が異なるのである。間違いない、これはまさに難聴である。補聴器のコマーシャルは、日常的に新聞やテレビなどでお馴染みである。またテレビを普通の音量で家族と一緒に聞くために、イヤホーンとセットになった難聴者専用の無線装置をテレビに取り付けるコマーシャルを見たこともある。だから耳が遠くなるというのは、加齢に伴うごく当たり前の現象なのかも知れない。そういえば昨年死んだ母の場合も、隣合わせのマンションのドア越しにテレビの音が大きく聞こえていたことを思い出した。

 私もすでに後期高齢者の仲間入りである。冥界に旅立った友人も何人かいる。だから加齢による難聴が我が身に起こったところで、それほど驚くことではない。ただ、突然にこうした事実をあからさまに突きつけられることは、やはり驚きといささかの嘆きをもたらした。高齢者の多くに訪れる現象だと覚悟はしていても、そのことと「我が身がそうなる」ことの間には大きな差があり、そのギャップを埋めることはそれほど容易でないということである。

 今のところ異常は右耳だけのようである。もしかしたら左も多少聴力が落ちているのかも知れないけれど、今のところ日常会話にも支障は起きていない(と自分では思っている)ように思う。だから普段の生活には何の不便もなく、補聴器の必要も感じてはいない。ただ、一度気になってしまったこうした現象は、どうしても気になるものである。不便は何も感じていないにもかかわらず、テレビを見ながら時々左耳を塞いでみて、「やっぱり右耳の聴こえは良くないなあー」と確かめるのが癖になりつつあるのである。

 ところでここ10日くらい風邪気味の日が続いている。多少咳が出る程度で、熱もないのでそれほど心配することはない。そろそろ治りかけの頃かなと思いつつ、もしかしたら難聴の原因は風邪による鼻詰まりならぬ一過性の耳詰まりということもあるのではないか、そして風邪が完治するとともにこの難聴もどきの症状も一緒に消えていってしまうのではないか、そんな虫のいいことを頭の片すみで考えてもいるのである。


                                     2015.4.16    佐々木利夫

 末尾に書いた虫のいい願いが、あっけなく実現してしまいました。4月24日に、いつもの癖になっている左耳を塞いでみたところ、なんとちゃんと聴こえるのです。少し音が低いかなとの感触はあるものの、とりあえずの難聴は解消したようです。特に不便は感じていなかったにもかかわらず、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。どうも、お騒がせしました。            2015.4.25


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目と耳の造反