NHKのEテレで最近聖徳太子の番組を見た。何しろ日本書紀での話だし推古天皇の時代だと言われているから、今から約1500年近くも昔のことである。どこまで事実なのか、はたまたどこまで正確なのか、歴史学者の間でも諸説あるらしいから、もちろん私にその真実が分るわけはない。私にとっての聖徳太子は、旧い一万円札の肖像に使われていたことと、恐らく中学時代の教科書で学習したであろう薄っすらした記憶くらいのものである。

 そんな僅かの知識しかない私でも、彼(聖徳太子)が十七条の憲法を制定したとの伝承くらいは知っている。そしてその憲法第一条が、「以和為貴・・・」(和をもって貴しとなす)から始まっていることも・・・。

 この憲法は官吏向け、つまり行政官の心構えとして書かれたものだが、原文はけっこう長いので誤解を恐れずにはしょってしまうと次のようなものである。

 一条 みんな仲良くせよ。 二条 仏・法・僧を敬え。 三条 天皇の命令には従え。
 四条 礼儀と身分をわきまえよ。 五条 訴訟を厳正にし、賄賂に惑わされるな。
 六条 善を誉め、悪をこらしめよ。 七条 権利の乱用は認めない。 八条 勤勉に励め。
 九条 信用が大切。 十条 他人の過ちにあまり怒るな。 十一条 相応の賞罰を。
 十二条 勝手に税金をとるな。 十三条 仲間の仕事にも理解を。 十四条 妬むな。
 十五条 欲を捨て公務に励め。 十六条 国民への命令は時期を考えて。
 十七条 一人で判断せず皆の意見を聞け。

 
こうした考えの羅列が、果たして憲法と呼ぶにふさわしい内容かどうかについては議論があることだろう。私たちは憲法というカテゴリーに、国の指針であるとか国民の権利や義務などを定めるものだとの抜きがたい思いを抱いているからである。だからこうした聖徳太子の言い分は憲法という法律ではなく、一種の道徳論を示したものと理解しがちである。つまりこれは単なる人としての望ましさなどを羅列した心情論に過ぎないのではないかと思ってしまうということである。

 ただ、そうした解釈はとりあえずここでは避けておこう。また、十七条の憲法が国民向けではなく、天皇の僕たる官吏に対する指針であったことにも同様である。私がここで言いたいのは、この憲法に込めた聖徳太子の思いについてである。もちろん官吏向けの部分もあるけれど、その多くが国民である人々にも通じる望ましい姿を示そうとしたのではないかということである。

 身勝手な解釈だと言われればそれまでのことかも知れない。だが、一条は平和への宣言、十条は武力の放棄、そしてその他の多くが司法・行政・立法のあるべき立場を示しているように私には思えるのである。

 彼は行政に実力主義を取り込み、争いを否定した。単に紙に書いただけで世の中が変わるとは思わないけれど、彼の思いは現代にも通じる教訓を残している。だが同時に、武力が人を支配し、階級が人と人を区別する風習は彼の時代から1500年を経て、少しも変わっていないことをも私たちに突きつける。

 日本に限らず世界中の人たちが、時代を超え、人種を超え、貧富や階級を超えて、争いのない世界の到来を心から望んできたはずである。いつの、どこの、どんな、人たちもそして時代も、暴力のない平和な世界の実現を望んでいたはずである。

 それにもかかわらず、そうした望みの叶うことがなかったことは、歴史が事実としてあからさまに示してきた。領土紛争や宗教の違いやテロによって多くの人が殺され、難民が地中海にイタリア・フランスへ向かうべくあふれ出し、そして難破して死をつきつけられる、そんなことが毎日のテレビや新聞で当たり前の出来事として報道されている。

 人はどんどん長生きの方向へと向かっている。それは恐らく医学を中心とした科学技術の発達によるところが多いのだろう。ロボットの開発は人間とまごうまでに発達し、スマホと呼ばれる携帯コンピューターは、依存症を起こさせていると言われるほどにも多くの人に普及している。核開発もIP細胞の研究も、宇宙をめぐる様々な開発競争やグローバル化が当たり前と言われている世界経済などなどを考えるなら、人類の進歩には凄まじいものがある。間違った表現であることを承知の上で言わせてもらえるなら、「人類は一発で地球を破壊してしまえるような核兵器を作り上げる」ほどにも発達してしまったのである。

 ところが聖徳太子が言った「みんな仲良く」だとか「怒るな」などの思いは、その意味が単純でこれほど分りやすいにもかかわらず、1500年を経て少しも実現していないのはどうしたことだろうか。モーゼは十戒で「殺すな」、「盗むな」などを示した。世界のどんな宗教もまた人たちも数百年数千年に亘って、暴力は悪だとこぞって否定してきたはずである。それなのに、少しも人は進化していない。

 「戦い」の語源は「叩きあい」からきていると聞いたことがある。「殺すな」、「怒るな」と叫ばれた時代もまた、「叩きあい」が暴力の根源だった時代と軌を一にしているはずである。そして今の時代へと続く。その間に、「叩きあい」は「核兵器」にまで進展した。だが、もう一方の「みんな仲良く」は、その頃と少しも変化することはない。

 「人類の発達だ」などと言うといかにも格好がいいけれど、人は技術だけを先行させた。そのことをそんな風に呼んでいいのか疑問ではあるけれど、一方で人は「情緒」や「信頼」みたいな貴重品をないがしろにしたままにしてきた。私たちは技術のみを追いかけ、両輪となるべきもう一方の車輪に思いを馳せることを頑なに無視してきた。時代はそうした片チンバのまま進化してきた。果たしてこんな状態のまま、人はどこへ行こうとしているのだろうか。


                                     2015.4.25    佐々木利夫


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聖徳太子考