世界の今の人口は72億人くらいだと言う。西暦1900年頃は15億人、紀元前には500万人から1000万人くらいだったと言われているから、それを見る限り人類を絶滅危惧種と呼ぶのは的外れである。国連は逆に人口爆発を恐れており、2100年頃には100億を超えるのでないかとさえ言われている。

 絶滅とはまさにその言葉どおりに、人類が消滅してしまうことである。つまり、人類がこの世から消えてしまうことを意味する。まあ、地球はいずれ太陽の消滅によって破壊されてしまうと言われているから、地球消滅がそのまま地上生物の消滅という意味では、数億年、数十億年先ではあっても人類消滅は現実のものになるだろう。

 ただ、そんなレベルでなければ、今の国連などの予想では、数十年、数百年を経ずして人類は地上に溢れ、環境破壊、食料不足によって生存が維持できなくなることを危惧している。つまり、心配すべきは「人口爆発」であって、「人口ゼロ」ではないことになる。そうするとヒトが「絶滅危惧種」であるとの考えは、まさに空論ということである。そうした意味で、私の掲げたタイトルは荒唐無稽でしかない。

 したがって私の抱いているタイトルは数億年後のSF的にはともかく、現代の状況という意味では誤りである。だがそれは外的要因での人類滅亡でしかない。地球環境が悪化して温暖化や酸素不足みたいなことが起こった結果としての危機だとしても、それは外側からくる危機である。また、食料の生産が不足して多くの人類に飢餓が迫ってきたとしても、それもまた外的な要因である。わたしは、そうした外的な要素ではなく、むしろ「生きる意欲としての人間」というか、「人類の生存本能」という意味での危機を感じているのである。

 それはもちろん私の独断である。少なくとも現象的には人類は増加の傾向にあるのだから、そこまで考え過ぎるまでのことなどないといえるかも知れない。それでも私は現在の人間の意識の中に、人類が近い将来に絶滅してしまうのではないかとの、危機感を抱いているのである。

 それはつまり、現在の人口爆発そのものの中に、人類の滅亡の萌芽が潜んでいるのではないかということである。

 これだけ人口が増えているにもかかわらず、結婚したくない症候群が世界に蔓延してきているのはどうしたことなのだろうか。若者はいまや結婚に魅力を感じなくなっているのである。そしてかろうじて結婚を望むカップルがいたとしても、その晩婚化には著しいものがある。

 出産に適した年齢が何歳くらいなのか、必ずしも私が理解しているわけではない。だが現在のように女性の結婚や出産の年齢が30数歳というのは異常なような気がしている。生物学的な出産適齢期が、必ずしも個々人の結婚生活にとっての適齢期に一致するとは言えないだろう。

 それでも私が知っている時代だけの中だけでも、かつての女性の結婚年齢は15歳からせめて25歳くらいまでであった。それが今や30歳以前に結婚するようなケースは稀になってしまっている。一方において結婚を望まない世代が増加していることに加えて他方で晩婚化が進んでおり、そうした晩婚化は高齢出産という新たなリスクを抱えている。つまり、人は人を生まなくなってきているのである。しかもそれは一過性ではなく、将来も拍車をかけて進むだろうと言われている。

 結婚しない、つまり非婚化の傾向が女性に限らず男性にも増加していることは、結婚が男女で成立することを基本とするなら、子孫減少は当たり前のことになる。ところで女性の高齢出産のリスクと同様に、男性にも生物学的な不妊への傾向が始まっているとの報告がある。男性の精子の数が生物学的に半減といえるほどにも減少しているようなのである。

 男性の精液に含まれる精子の数は数億とも言われている。その中からの一匹が女性の卵子一個と結びついて(受精)、妊娠、出産へと進むことは事実である。なぜ一回の妊娠に数億という、ほとんど全部が無駄と思われるほどの精子必要なのか、女性にしても生涯にたかだか数人からせめて10数人しか生まないのに、どうして数百個もの卵子を保有しているのか、そうしたメカニズムは分らないけれど、人は生物学的に子孫を作らない方向へと変化していっているのではないだろうか。

 そうした背景に私は、人口爆発という現象があるように思える。地球がどれほどの人口を養っていけるのかは分らないが、一説には100億とも言われている。現在は約80億に近い。冒頭にも書いたけれど国連は2100年、つまりあと数十年後に地球の人口は100億になると予想している。

 生物は無限に増殖できるわけではない。食糧不足にせよ生殖能力の欠乏や自死の選択などにせよ、多くの種が、自らの種の中で生存できる数を自動的に調整する機能を遺伝的に持っているといわれている。人類にもそうした遺伝的な調節機能が発動しはじめているのではないだろうか。「生めよ殖えよ地に満てよ」と、人は地球を席巻するまでに種を増加へと導いてきた。国連が「人口抑制」を訴えても人は聞く耳を持たずに、弱者救済、貧困対策などなどへと対策が進めてきた。

 私はそうした方向が間違いだと言いたいのではない。だが、地球は間もなく人を養えなくなろうしているのである。戦争も伝染病も、かつてのように人口を調節する機能を果たさなくなった。このままでは、まさに地球は人口爆発の中に飛び込んでいくことになる。

 それを「種」として人類は、無意識に直感しているのではないだろうか。人が人を生まなくなることで、自動的に人が減少していくことを、私たちは無意識にしかも種として本能的に選択しているのではないだろうか。

 人には他者と付き合う距離が、無意識にせよ存在している。エレベーターや満員電車など、終点が決まっている環境では一種の我慢をすることができるけれど、普通の生活環境でも人口が過剰になっていることに、人は種として反応しているのではないだろうか。しかも私たちの生活は、富裕な者はより富裕に、貧困は更なる貧困へと二極化していく一方である。

 だとするなら、飢餓による死もキレるなどのわけのわからない殺人も、無差別なテロ行為が増加していることも、世の中が他者の命に鈍感になっていること自体が、人口爆発による人類の自動的な調節機能の発露であり、しかももしかしたら人類絶滅へのシグナルになっているのではないだろうか。

 爆発と表現されるほどにも増加している人類の現在が、私には逆に人類の絶滅危惧種への道をどこかで示唆しているのではないか、そんな気がしているのである。


                                     2015.7.22   佐々木利夫


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絶滅危惧種「ヒト」