数日前に、人工知能に関してこんなニュースがマスコミに流れた。ただその更に数日前に、コンピューターが中国で碁の名人と対戦して4勝1敗で勝った(名人が負けた)と騒がれたニュースに比べると、かなり小さな扱いだったように感じられたのは私の思い過ごしだろうか。ニュース性の違いとは、大衆の抱く興味への違いでもあるのかなと私は感じ、いささかの戸惑いを覚えたことを記憶している。

 「AI『ヒトラーは正しかった』MS、実験中止」
 米マイクロソフト(MS)が開発し、実験中だった人工知能(AI)・・・がツイッター上でヒトラーを肯定したり、人種差別的な言葉を発したりし始めた。同社は24日、しばらく実験を中止することを明らかにした・・・
                                            2016.3.26朝日新聞


 この人工知能は、インターネット上で人間とやり取りすればするほど、言葉を学び反応も覚えるようなプログラムが組み込まれていたらしい。解説では、恐らく差別的な内容を覚えさせるように、外部から人為的な操作がなされていたのではないかとの疑問を掲げていた。

 「ヒトラーは正しかった。ユダヤ人は嫌いだ」 「フェミニストは嫌いだ。死んで地獄で焼かれればいい」などの発言が人工知能の発言としてツイートーへ発信されたと言われている。

 プログラムの開発者は、「そういう風に覚えさせた人たちがいた」と解説している。けれども私はこのニュースに、それ以上の何か得体の知れない不安を感じてしまったのである。人間の知識を得る過程を根こそぎ揺るがすような、そんな不安に駆られたのである。その不安は、もしかしたら人工知能は間違ってないのではないだろうか、との思いにつながるものであったからである。

 この知能のプログラムシステムが具体的にどんな風に組まれていたのか、私にはまるで分らない。それでも単なる単語や熟語を多数集積するだけのマシンでないことは確かだろう。数万円の電子辞書でさえ数十冊もの国語、漢和、和英、英和、旅行ガイド、料理レシピ、更には百科事典や専門書など数十ものコンテンツを含む情報が山のようにが盛られている昨今である。少なくとも記憶を保存するメモリーの容量、つまり言葉や情報を寄せ集める数としての限界に関しては、マシンは既に人間の能力や容量をはるかに超えているだろうことは認めざるを得ない。

 だが、広辞苑はどんなに厚くなったところで、それだけでは会話することはできない。広辞苑と大辞林を合わせたところで同様である。レシピ本がどんなに分厚くなってカラー画像がふんだんにモニターに表示され、時に音声で調理の仕方を説明してくれたところで、美味かどうかを別にしても目の前に自動的にスキヤキが出てくるわけではない。
 そんなことくらい誰にだって分っていることである。だが一方で、系統立った理解をしているわけではないけれど、赤ん坊だって数語、数十語の言葉を利用して目の前の母親と会話や意思疎通ができることを、私たちは当たり前のこととして知っている。たとえその内容が、論理的、社会的な評価にはまるで耐えないものだったとしてもである。

 知識はつまるところ発信である。ある人がノーベル賞を凌ぐような知識を有していたところで、その知識を文字にしろ造形や音符、はたまた瞬きや脳波などにしろ、何らかの手段で他者に理解できる形で発信できなければ、その人の知識を評価することなどできないだろう。つまり他者の理解は、そうした手段を交流と呼ぶか対話と呼ぶかは別として、ある種の相互理解を通じてなされる以外に方法がないということである。

 まず最初に、「相手の発信を理解する(誤解にしろ理解したふりにしろ)」ことがあり、その発信に受け手が「呼応するイメージを脳内で組み立てる」必要がある。そして相手に向けて「言葉もしくはなんらかの手段で自分の意識を発信する」、これが交流である。だから、相手が何を望んでいるのか、何を伝えたいのか、の相互発信なしに交流などあり得ないと私は思う。

 それが今回の試行だったのかも知れない。発信された意思は、今回の場合必ずしも明確ではない。恐らく多数のSNSのような媒体から得られるであろう意思を推定し、その推定された意思に対して一つの応答意思を構築し、それを単語の意思表示として組み立てる、そんな実験だったのではないだろうか。

 スパイもどきの映画でしか知らないのだが、多数の電話による会話を盗聴するドラマがある。そしてその中に、例えば「大統領」、「爆弾」、「ハイジャック」など、特定のキーワードを含む会話を収集し、その中からテロ行為に結びつくような会話を抽出するというのがある。無数の会話の中から特定のキーワードを含む会話を盗聴し、テロの防止に役立てようとするものである。

 ただ分るように、特定のキーワードを含む会話を山ほどテープに録音したとしても、それだけでテロの容疑者が自動的に分るわけではない。恐らくテープを聴いた人間が、山のようにある無駄な会話の中から、テロの可能性を感じ取ることのできた会話を抜き出すことで役立てるのだろう。つまり録音を集めるだけでは、無意味だということである。


                                   「人工知能の怪(2)」へ続きます。


                                     2016.3.31    佐々木利夫


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人工知能の怪(1)