多分、高校生の頃か卒業して間もない時期だったような気がしているが、私の机に雲形定規があったことをふと思い出した。特に高価なものではなかったと思う。透明な合成樹脂製の手のひらより僅か大きく、三角定規とそれほど変わらない大きさだったような気がしている。透明と言っても、少し灰色がかった半透明の記憶があるところから考えると、それなり熱心に手にしていたのだろう。

 にもかかわらず、私はその雲形定規を何に使ったのかまるで覚えていない。親に買ってもらうほど高価な代物ではないし、まあ言ってみればはした金で手に入れることの出来る程度のものに違いない。ネットで検索してみると、雲形定規には定まった型というものがなく何種類もあるらしい。中には数枚がセットになって売られているものもあるらしい。しかし私が持っていたのは一枚だけだった。もちろん何かに使用したという記憶もなかったこの定規は、失くしたという記憶すらもないまま手許から消えていった。

 直線定規や三角定規などは、線を引いたり作図したりなどそれなり利用した記憶はあるにもかかわらず、この雲形定規にはそうした記憶がまったくない。それでもこんなへんてこな形の定規が欲しいと思い、そして恐らく文具店で買ったのだろう。欲しいと思った動機は、果たして何だったのだろうか。

 雲形定規は様々な曲線の組み合わせでできている。そして私に残された僅かな記憶によれば、その曲線は様々な方程式の一部分を示したものである。つまり雲形定規は、数学の方程式で示される様々な曲線を形にしたものの組み合わせでできているということである。何に使うのか、何に使えるのか以前に、この雲形定規には想像もつかないほど様々な方程式が詰まっていたのである。

 多少数学に興味を持っていた私にとって、この「方程式の集合体」という抽象的なイメージが具現化された姿を、この雲形定規に見たのではないだろうか。例えば二点を結ぶ直線はただの一つしかない。リーマン幾何学の世界など、曲線か直線かが必ずしも一義的でない場合もあるようだけれど、二点を結ぶフリーハンドの曲線なら無数に描けることくらい誰にだってすぐに分る。つまり「直線とは最短の曲線である」という意味で半径無限の円周の一部であり、それはそのまま曲線の一種なのだとも言えるのである。

 円や楕円や放物線、サインカーブや懸垂線や螺旋などなど、数学の世界には様々な曲線がある。任意に考え出した方程式が、時にモニターに思いもよらぬ曲線を描くことを、私は後年パソコンを趣味にするようになってから知った。私の知識による限り、直線を描く方程式は一つもしくは僅かしかないけれど、曲線を描く方程式は無限ともいえるほどあるような気がしている。

 そうした無限につながるような方程式の示す曲線が、一部にしろこの雲形定規に秘められているのである。一つの雲形定規に示されている曲線は、恐らく数十に満たないかもしれない。それでもここには無限ともいえる数学曲線の片鱗が残されているのである。それは単にそうした曲線が目の前にあるという事実を超えて、難解な「数学のカタチ」が現実のものとして私の手元にあったということでもあったような気がする。

 専門店を探して特別にこの雲形定規を注文して買い求めたような記憶はない。恐らく近くの書店が文具店ででも買ったのだろう。それではどうしてこうした雲形定規が、私にも手に入るような大衆品として市販されていたのだろうか。活用方法をネットで検索してみると、雲形定規の利用者は「漫画を書く人」と「建築設計をする人」に限られているようである。わざわざ、「一般の人が利用できる場面はない」とコメントしてあるものまであったから、恐らく特別な人だけに利用されていたものだろう。

 漫画家が顔の輪郭や体型などの曲線部を描くときに、手書き(フリーハンド)では思った曲線が引けないときなどにこの定規を使用するとのコメントもあった。だが私の高卒時期は今から50数年も昔のことだし、夕張という田舎に漫画家がそれほどいたとも思えない。つまり漫画家による需要によって、この雲形定規が商店に置かれていたとはとうてい思えないのである。

 そうすると残りは「建築設計」である。微かに記憶が残っている。設計図である。「機械か建築物の設計図か製図に雲形定規を使うことがある」、そんな記憶がある。私の生まれ育ったのは夕張であり、夕張は炭鉱の街である。私の父は当時、炭鉱の坑内夫として石炭掘削や搬出などに使う機械の修理を担当しており、家庭では内職で時計の分解修理をしていた。つまり私はどことなくメカニックな生活環境の中で育ったのである。

 とは言っても父は幼い頃に父母を失くして農家に貰われていったことなどから、小学校すら満足に卒業していなかった。だから製図だとか設計の知識などは皆無だったと思う。ただ、長じて時計屋へ丁稚奉公みたいなかたちで勤め始めたことから時計の分解修理の技術などを覚え、そのことが機械への仕事へとつながっていったのかも知れない。

 そうした生活環境が、私に機械に対するそこはかとない興味を与えたのだろうか。そして雲形定規一枚を手にすることで、数学への興味とあたかも機械の設計技師になれたような錯覚の両方の満足が味わえたのかも知れない。だからそれは実用ではなく、一種の畏敬的な思いだったのかも知れない。

 かくして私の雲形定規は、実用的な意味では何の恩恵も与えないまま、やがてどこかへ紛失してしまった。それでも、机の隅っこに緑色(だったと思う)の紙のケースに入っていた透明プラスチック製の雲形定規が一枚あったことを、私はふと懐かしく思い出すのである。それは私が届かなかった数学の世界、設計図や製図といったメカニックな世界へのあこがれにつながるものであった。


                                     2016.3.3    佐々木利夫


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雲形定規に見たあこがれ