前回に続いてまたまた医者の話である。医者というのは我々の身近に存在しているにもかかわらず、その専門性や立ち位置の違いなどから、医者でない者の無意識の萎縮を引き起こすような性質を持っているのかも知れない。そしてそのことが、必要以上に医者を色眼鏡で見てしまう結果を招いているように思える。これから書くことには、そんな偏見があるかも知れないことを承知の上で、前回に続いて医者への違和感を綴りたい。

 ある職業に携わる人の数は、つまるところ需要と供給のバランスの上に成立するものだろう。需要には対価を支払う顧客数であったり、何らかの監督や取締りの必要性によるものなど様々だろうが、日本における医師数31万人、歯科医師数20万人、弁護士3.6万人、警察官・自衛隊各25万人などを見ていると、地域に密着している医師数は群を抜いていることが分る。

 朝日新聞独自の呼称なのかどうかよく分からないのだが、朝刊一面の最下段に「サンヤツ」と呼ばれる書籍の広告専門の領域がある。なんでもこの欄全体のサイズが、昔の新聞の組み段数などから3段8分割になっていたことから名づけられたらしいのだが、その意味を私がきちんと理解できているわけではない。

 それはともかく、このサンヤツ欄は写真や絵画などが載ることはなく、文字のみによる書籍の広告に使われている。へそ曲がりを自認する私ではあるが、割と本を読むのが好きなこともあって、単なる通過儀礼程度の目線移動で終わる場合も多いけれど、この欄に目を通すのは日常になっている。いささか「活字信仰」的な傾向が私にはあるのかも知れない。

 ところで先日のこの欄の広告の一つが気になった。ある出版社の小さな囲み広告である。広告している本のタイトルは「そのサラダ油が脳と体を壊してる」と「認知症が嫌なら油を変えよう」の二冊であった。そしてそれぞれのタイトルの前段に短いコメントが一行添えられていた。「◎話題のベストセラー!!重版出来」、「◎専門医が驚きの新事実を発表!」であった。

 そして書名の後段には更に次のような解説が付け加えられていた。前者には、「サラダ油に病気の原因物質が存在。体調不良、肥満、糖尿病、ガン、高血圧、心疾患等の重大原因になっている!」とあり、後者には「食用油の中には脳細胞を悪くする物質が含まれ、知らずに食べていると体調不良や病気、特に『認知症』や『うつ病』の原因になります」であった。

 広告なのだから、多少の誇張があったところで批判するほどのことはない。しかしタイトルを見る限り、この本には多くの人の興味を呼び、日常生活で一番気にしている内容が書かれているだろうことがうかがわれた。健康管理も認知症も、現代人が大きな関心を寄せるキーワードになっているだろうと思われたからである。二冊とも同じ著者で、肩書きとして「医学博士 脳科学専門医」が付されていた。

 私が気になったのは、この広告がどこまで正しいのだろうかと言うことと、著者が医師であることの二点であった。もちろん「正しさ」にはいくつもの形、程度が考えられる。「丸っきりの嘘」はともかくとして、「私はそう思うけれど、まだきちんと立証はできていない」程度のものから「公表はしていないが、きちんと証明できる事実がある」、「すでに立証済みであり、世界中で承認されている」などまで区々にわたるだろう。

 医者の資格を持っているからと言って、そうした人の全部が正直で人徳者であるとは限らないだろう。もしかしたら、中には殺人者やしたたかな詐欺師だって存在しているかも知れない。権威に弱いと言われてしまえばそれまでではあるけれど、それでも私たちはどこかで肩書きを信じようとしている。特にその権威が広く知られていて、私たちの身近にも多く、しかも接触する機会の多い医者については、妄信的とも言えるような信頼感を無意識に寄せているのではないだろうか。

 どんな場合も「眉に唾つけて」考えよう、きちんと考えて行動しようと、どんな識者もしたり顔に繰り返す。検証しないままに被害を受けたとしても、それは「自己責任」だとされるのが昨今である。過度の信頼によって被った不利益が、自己責任であるとの言われ方が必ずしも理不尽だとは思わない。それでも私たちは医者の言うことを、どこかで信じようとしている。それはすがる思いだと言ってもいいだろう。

 災害や犯罪や貧困などなど、私たちの環境や人生には様々な陥穽があり、その一つ一つに私たちは基本的には自力で対処していかなければならない。そのことに間違いはないと思う。でも、私たちは多くのことに無知である。知っていることより、知らないことの方が何倍も何十倍も多い。そうしたとき、私たちは「知っている人」の言葉に耳を傾けるしかないことが多くなる。

 必ずしもきちんと消化できないことがらでも、「そのことを知っている人」の言い分に従うことがある。それは「きちんと理解できないことはやらない」ことを基本として選んだ場合、その「やらないこと」が我が身の不利益につながってしまう恐れが多いことを知っているからである。

 だから私は、だからこそ逆に「そのことを知っている人」として世の中から承認されている人の行動は、その信頼への見返りとして規制され、拘束されているのではないかと思っているのである。それはつまりその「知っていること」について嘘を言ったり、誤解を招くような言い方をしてはならないという一種の規範である。それを「信頼への担保」などとあっさり呼んでいいのか必ずしも私に断言はできないのだが、その信頼ゆえに私たちは彼等を専門家と呼び、完全に理解できない段階の中でも、その判断に我が身を委ねるのである。

 私はこの本の内容をまるで知らない。書いてある内容が嘘か本当かについても知らない。でも書いてあるだろうことの概要は分かる。著者はこの本の中で、日常生活でごく当たり前に使用している食品の一つが、私たちが今まさに恐れている様々な病気の原因になっていることを警告しているのである。

 でもその警告は、いわゆる一般的な警告とは異なっている。この警告はまず「この本を購入して読め」との発信から始まり、その警告を実行するかどうかは読者次第、つまり「自己責任だ」ということを言っているのである。それはこの警告が、新聞の広告欄に本の広告として掲載されていることから分る。

 もし本当に警告したいのならこんな方法ではなく、他のもっと真摯な手段によるべきではないだろうか。私自身その具体的な他の方法を知らないのだが、例えば医師学会での報告、権威ある医学論文の掲載紙への投稿、厚生労働省などへの告発、警告ビラの配布などなど、本の宣伝以外の手段をとるのが普通なのではないだろうか。

 ことは人の健康である。ガンや糖尿病や高血圧や心臓疾患、更には認知症やうつ病など、多くの人の死にかかわる原因物質を、国民が日常的に口にしていることへの警告である。テロ集団が水源地にサリンや青酸カリを散布したのと、変わるところがないほどの内容を持っている警告である。

 しかもその原因物質を人々は、その危険に気づかず、むしろ安全だと誤解して口にしていると、著者は告げているのである。だとすれば、「まず、この本を買って読め」との警告は間違いである。読んだ人にだけ警告を与えるような手段は、警告方法としては間違いである。

 もし、著者がこうした警告の内容を本当に信じているのなら、その事実はこんな方法ではなくもつと公共的な方法で、証拠を示して説得すべきである。それとも著者には説得できるだけの証拠を提示することができないのだろうか。だとするなら、「この本を買え、読め」という宣伝文句に踊らされた人だけに対する警告まがいの言動にしか過ぎず、その警告は多くの人を説得できるだけの根拠を持っていないことになる。だとするならこのサンヤツの内容は、「嘘」の広告であり、「著者の思い込み」の域を越えていない、つまり詐欺にまで及んでいるのではないかと思うのである。

 「著者の思い込み」がどんな場合も詐欺になると思っているわけではない。それでも医学博士の肩書きを使って、しかも新聞という一種の公器による、現代人が恐れている様々な病気を人質にとったこの「警告もどき」の行動は、単なる「本の宣伝」という範囲を越えて罪であり、詐欺もしくは不作為の殺人だと思われても仕方がないのではないだろうか。それは仮に著者が、そうした事実を真実だと真剣に信じていた場合でも免責されるものではないように思えて仕方がないのである。


                                     2016.2.25    佐々木利夫


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出版と医者の自覚