NHK、民報に限らず、テレビからは謝罪報道、お詫び報道がひっきりなしに流れてくる。しかもそれは「画面が乱れました」、「音声が途切れました」の二つに限定されると言ってもいいだろう。テレビは映像と音声で情報を伝えるマシンなのだから、お詫びの内容がほぼこの二つに限られることはテレビであることの宿命なのかも知れない。

 放送時間帯内であるにもかかわらず、一定時間報道が途切れてしまったような場合も放送事故と呼ばれているらしいけれど、これとてもこの「画面」か「音声」のいずれか、もしくは双方に該当するだろう。

 だがこれしきのことで視聴者は、放送メディアにクレームをつけるだろうか。もちろん謝罪報道とはその放送が視聴者に迷惑をかけたことに対する「お詫び」である。だから仮に視聴者からクレームがなかったとしても、メディアとして自身の報道で他者に迷惑をかけたと思ったのであれば、謝罪したところで間違いではないだろう。だから私は、謝罪報道が無駄だとか悪だと言いたいのではない。

 ただ謝罪報道の頻発やその方向が、いわゆる本来の「謝罪」とは別の効果を生み出しているような気がしてならないのである。

 それはこうした謝罪の画面があまりにも頻繁に見られるからである。それだけいわゆる「謝罪すべき放送事故が多いのだ」と言われてしまえばそれまでかも知れない。ただ、放送中に中継画面と切り替えたり、海外の通信員などと電話回線を接続する場合などに、画面や音声が途切れることがあるときにまで、間髪をいれずお詫びの画面が出てくるのはどこか違和感が残ってしまうのである。そうした放送事故をお詫びしなければならない事件だと批判することなど、視聴者にはないだろうと思うからである。

 私はそうした「軽微もしくは謝罪するまでには及ばないと思われる程度のミス」にまで、報道する側が謝罪を乱発することで、本来なすべき「謝罪すべき報道」がないがしろになってしまっているように思えてならない。それは、言ってみれば機械的なミス、つまりハードの問題に過ぎないからである。

 確かに中継の切替に伴う画面の乱れなどが「一種のミス」であることに違いはない。だが私にはそのミスを視聴者の誰もが指摘しないことを承知した上で、放送する側がそのことに胡坐をかいているように思えてならないのである。「謝罪すること」は簡単である。「間違いました、お詫びいたします」と発言しテレビカメラに頭を下げるだけで事足りる。

 しかもそのミスは一過性の誰も糾弾することのないミスとしてそのまま看過され、ミスであること自体が無視されたままになってしまう。そのミスの責めを負う者は存在せず、「お詫び発言をした者」もその発言をしたことを「お詫び」として認識することもないまま忘れてしまう、そんな経過をたどるように思えるのである。私にはアナウンサーがミスであることすら認識しないまま、「お詫びの言葉」を発しているように思えてならないのである。

 つまり、形式は「お詫び」になっているけれど、それは例えば朝の放送が「お早う」などの挨拶から始まるのと同じような、「お詫び」そのものが一種の常套句になってしまっているということである。発言者に「お詫び」の意識が少しもなく、聞いた視聴者にも「お詫び」の気持ちが少しも伝わってこない、これが繰り返されるのがお詫び報道の実態のように思えるのである。

 しかもそうしたお詫びの放送は毎日のように乱発され、視聴者の前にあふれてくる。しかもそれは「お詫び」の意識の全く含まれていない「お詫びの言葉」だけであり、空疎がそのまま目の前を素通りしていくのである。

 本来「お詫び報道」とは、「誤報」であるとか「やらせ」や「放送局の不祥事」などの場合に必要とされるものであろう。つまり、ハードではなくソフト面に注視したミスの謝罪であるはずである。にもかかわらずそうした本来「謝罪すべき事例」は秘匿され、時に競争相手たる他の放送局が「得だね」として取り上げることはあっても、視聴者に届くことは滅多にない。

 また仮に自社の事例として「お詫び報道」の対象とされる事例があったとしても、「中継時の画面の途切れ」程度の軽微なミスと同列の報道形式になってしまう。「とりあえず謝罪しました」との一過性の取り上げだけにとどまり、「謝罪」であることの真意など伝わることのないまま消えてしまうのである。そもそもそうした報道は、「謝罪報道」であるという形に名を借りた、一種の「言い訳」になっているだけなのである。

 だから私は頻発する「謝罪報道」そのものに、「謝罪の意思などない」ことが見え透いており、そして逆に「真意を持てない謝罪報道」の蔓延が、メディアに「謝罪の持つ意味」を喪失させているのではないか、アナウンサー自身からも「謝罪することの意味」を麻痺させ奪っているのではないかと思っているのである。


                                     2016.1.30    佐々木利夫


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テレビのお詫び報道