数日前、不意にチェロの音が頭の中で響いてきた。と言っても幻聴や耳鳴りのように現実に音が聞こえるというのではない。聞いたことのあるメロディーが、チェロの音で頭に浮かんできたのである。ながらテレビで聞くともなしにその曲がバックミュージックみたいに流れていたのかもしれないし、似たような曲から無意識に連想して頭に浮かんだのかもしれない。柔らかく懐かしい、そしてどこか切ない響きが突然に浮かんできたのである。とは言いながら、音楽を言葉で表すのは少なくとも私の能力では無理であり、どんなメロディーだったかをここに示すことのできないのが残念である。

 言葉や文字で示すことのできない情景というのは、人間の感情や芸術と呼ばれる分野などを含めて多々あるとは思うけれど、音楽が一番難しいように感じている。音符で示すのも一つの方法ではあるとは思うけれど、残念なことに頭に浮かんだメロディーを楽譜に落とすような能力を、私は少しも持っていない。昔見た伝記映画の中で、幼少期のチャイコフスキーが頭の中を音楽が勝手に駆け巡ると、絶叫ともつかぬ訴えをしながらピアノと格闘している場面を見たことがある。だが私には、聞こえている音を中途半端な鼻歌でなぞることくらいはできるとしても、ただの一音も五線に落とすことなどできはしない。

 誰かのクラシック曲の一節だということは分った。知っている曲なので、何度か聞いたことのある曲なのだろう。そしていつものように、この曲が誰の何という曲なのかが気になり始めたのである。チェロの音として聞こえてはいるのだが、果たして原曲がチェロなのか、それとも交響曲やピアノ曲の一節がたまたまチェロを借りて鳴り響いてきたのか、そんなことさえ自信がない。ゆったりと、少し悲しげに、ふと私の通夜にでも流して欲しいと思えるくらいに、どこか静かで懐かしい響きだった。

 しかも、そのメロディーが日を追っても、なかなか消えてくれないのである。消えないということは、誰の曲か、何という曲かを「思い出せ、思い出せ」とせっつかれているのと同じである。一日中鳴り響いているというのではないけれど、それでも忘れさせてくれないのである。

 こういうときの定番は、まず曲調から時代背景を当てはめることから始める。つまり、バロック音楽か、モーツアルト・ベートーベンの時代の曲か、それともラベルなどの色彩的な印象派の時代か、更には現代音楽かくらいの大雑把な分類で見当をつけるのである。そしてその見当に、例えばスラブ的かアメリカ的か北欧風なのかなどを加味していくのである。

 バロックでもなく現代音楽でもないと見当をつけた。そして不確かながらメロディーから、時代はその辺だがモーツアルトでもベートーベンでもないと判断した。もちろん、こうした見当をつけるような行動は過去にも何度かあり、けっこう間違っていることも多いのであまり確信はない。

 それでも恐らくブラームスではないかと思うところまで、自分の中でたどり着くことができた。さてブラームスと言っても、その曲は余りにも多すぎる。交響曲からピアノやバイオリンのソナタなどまで数多くの作品があり、これに歌曲などを加えたならとてもわたしの手に負えないくらいの数になる。

 まず、聞き馴れたメロディーであること、しかも頭に浮かんだ曲調や印象などから、交響曲を除くことにした。優しくか細い交響曲の楽章もないではないけれど、どうも浮かんだ曲は堂々たる交響曲の一部とは思えなかったからである。

 チェロの音で浮かんだのだから、最初はチェロソナタを思い、ついでチェロ協奏曲を思い浮かべた。だが、私の頭にブラームスのチェロソナタやチェロ協奏曲などのメモリーはない。鼻歌と照合するだけのブラームスのメモリーバンクが脳内に存在していないのである。それでも交響曲を除外したのと同じ理由でチェロ協奏曲を除外し、他の協奏曲やオーケストラ曲なども外すことにした。それとメロディーには声が入っているようには思えなかったことから、声楽曲や合唱曲なども外すことにした。

 まだ対象は絞り込めていないながら、「恐らく室内楽ではないか」との思いがしてきた。とは言ってもこの範囲でも、ピアノソナタ、チェロソナタや弦楽四重奏など彼の室内楽は無数にある。残るはこの曲がチェロで聞こえてきたことと、私が鼻歌でハミングができるということが便りである。何度も聞いた曲に違いないだろうから、有名な曲ではないかとの感触を頼りに、名の知れた室内楽から見当をつけることにした。

 別に浮かんできた曲が分ったところで何の益もないことだし、仮に分らなかったところで特に損害をこうむる恐れがあるわけでもない。それでも、頭から消えてくれないこの曲をどうにか始末しなければならないとの思いだけで、曲の特定に挑戦することにした。

 私の脳内メモリーにはない曲なので、手当たり次第に現物を聞くしかない。私のCDやMDでの手持ちのブラームスは、オーケストラ曲を除くとハンガリー舞曲のピアノ曲集など数曲程度である。聞いてみた。該当なし。さて次は図書館の視聴覚教材から手当たり次第に借りまくることを考えた。でもCDの借受けと返却を繰り返す方法では、目的曲にたどり着くまでに数週間も、場合によっては数ヶ月もかかることになりそうである。

 さいわい、インターネットでは、演歌やJポップばかりでなく、クラシックも有名曲を中心にかなりの曲目がアップロードされている。また楽章ごとにはしょって聞くこともできる。オーケストラ曲や声楽曲などを除外したことで、その中に含まれているにもかかわらず除外してしまったという恐れがあるかも知れないとの危惧を抱きつつも、とりあえず当てずっぽうにクリックを開始することにした。

 一日中聞いているわけではないのだが、初日は該当なし。二日目に入って何曲かにチャレンジしている中で、やっと見つけることができたのである。

 「弦楽六重奏曲第一番 変ロ長調 作品18」、その第二楽章がここ数日私を悩ませていた楽曲のメロディーだったのである。久々に全曲を通して聞いてみた。ゆったりとした安心の中で落ち着いて聞くことができた。それだけの話である。原因となる曲が分ったことで、もう頭の中のこの曲にせっつかれることはなくなった。もちろんハミングすることはできる。それでも何の曲なのか分らないままに鳴り響いているのとは違って、豊かな気持ちでこの曲に向かうことができたのである。

 「安心した」以外に、とくに私にとって利益はない。それでもブラームスの曲ではないかと踏んだ私の思いに、どこか満足している自分がそこにいた。ただ、このメロディーはチェロの独奏曲でも独奏部分でもなく、弦楽合奏の一部だった。それにもかかわらず、どうしてチェロの響きとして私の頭の中に流れてきたのか、それは今でも分らない。それでも安心したのである。分って落ち着くことができたのである。そして、ただそれだけのことだったのである。


                                     2017.11.29        佐々木利夫


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チェロが聞こえる