多分数ヶ月も前になると思うけれど、NHKEテレの「テストの花道」という番組で、こんな放送をしていたことを思い出した。

 場所は某大学の学部紹介らしき教室である。学生らしい男が二人、小さな机を前に対面して椅子に座っている。一方の男性〈仮にAとする)の後ろには女子学生らしい生徒が一人立ち、対面に座っている男子生徒(Bとする)は手に水鉄砲を構えてAの顔を狙っている。

 女子学生が「カミノケ(恐らく髪の毛の意味なのだろうが実質的な意味はなく、言葉は単なる信号に過ぎないのだろう)」と発声すると、BはAの顔目がけて水鉄砲を発射する。女子学生が「カミノケ」以外の言葉も発するが、そのときはそれがどんな言葉であっても発射されることはない。これだけが何度か繰り返される。ただ、それだけのことである。

 この動作は何度か繰り返されるが、やがて中断され休憩に入る。しばらくしてこの実験は再開されるが、このとき観察者と称する女子学生二人が新たに登場する。この実験を監視する二人の登場だけが、前回と異なるシチュエーションである。

 Aの背後にいる女子学生は前回と同様に、「カミノケ」、「それ以外の言葉」をランダムに発する。そのことは前回と少しも変わらない。ただし今度は、前回合図役となっていた女子学生が「カミノケ」という言葉を発しても、Bは水鉄砲を発射することはない。もちろん「カミノケ」以外の言葉で発射しない。つまり、Bはどんな言葉を聞いても水鉄砲を発射することはしないのである。

 そのときAの反応を確かめるのが観察者の役割を与えられた女子学生であり、この確認がこの実験の目的らしい。水鉄砲が発射されないにもかかわらず、「カミノケ」という言葉を聞いたAは思わず「マバタキ」をする。恐らく水鉄砲が発射されるとの予感がそうさせるのだろう。このマバタキはAが恐怖を受けている(水鉄砲が発射されるのではないかという恐怖への)反応であると立会いの女子学生二人が証言する。そしてこの言葉とマバタキの関連を、この学部では「条件反射の実験」であると銘打っている。つまり、水鉄砲で水をかけられるという現実の被害がないにもかかわらず、あたかも被害を受けたかのような反応を示すことを捉えて、条件反射の心理実験だとこの学部は称しているのである。

 有名なパブロフの条件反射の実験は、犬の頬に手術で管を通し唾液の分泌量を測定したものである。ベルを鳴らしてからエサを与えるという行為を何度も繰り返した結果、ベルを鳴らしただけで唾液の分泌量が増加したとするものである。

 でも学生の行っている水鉄砲による一連の行為を、条件反射の実験とするのはどこか変なように感じたのである。それは、「条件」と「反射」という要件を、一種の「遊び」というか「必要のない場合であるにもかかわらず反応した」ということに余りにも重点を置きすぎているように思えたからである。

 確かにパブロフの実験にしろこの学生による実験にしろ、結果的には必要がない反応、必然でない反応であることに違いはない。エサがないのにベルの音だけで唾液を流す、水がかけられていないにも関わらずマバタキをするなどの行為は、一見したところ無駄な反応である。

 だがそうした反応は、生物が生き延びていくための必然だったと思うのである。それは生き抜くための学習ではなかったかと思うのである。水をかけられてマバタキをする行為は、単なる「水」であることだけに止まるのであれば、笑い話で済むはなしである。だが、獣の声に反応して逃げる、雷の音に大雨や落雷を予想して避難する、何らかの音に危険を察知する、予感するなどの行為は、生物が生き延びるために学習した大切な知恵なのである。反応の原因となった獣の声や雷の音が、もしかしたら獣の声に似せた無害な動物の偽装した声なのかもしれない。雷の音はもしかしたら自分とはまるで関係のない遠い地域の、心配のない音かもしれない。

 それでもあらかじめ予想して危険を察知し、そして回避の行動をとることは、どんな生物にとっても生き抜くための絶対必要な手段だったと思うのである。その察知は弱い動物であるほと強く反応するのではないだろうか。

 水鉄砲の実験で学生が何を証明しようとしたのか、それは分らない。私には「そんなことくらい当たり前の反応ではないか。やる前から分っている反応ではないか」と思うけれど、「実験してみなければ分らない」と言われてしまえば返す言葉がない。

 ただこのテレビを見ていて、「水をかけられる危険がないにもかかわらず、人はマバタキをするという反応」を一種のゲームとして楽しんでいるように思えてならなかったのである。そして、あらかじめ水をかけられる側の被験者Aに、「休憩後の再開では、同じ『カミノケ』という声が聞こえても水鉄砲が発射されることはない」ことをきちんと納得できるまで説明されていたのなら、「マバタキ」という反応は起こらなかったと思うのである。

 この学生の学部まで利用した実験を見ていて、果たして何を証明しようとしたのか、その実験により何が分ったのか、実験の意図や目的はなんだったのか、そこのところの疑問が解けないまま、いつまでも私の中で不消化のわだかまりが続いているのである。

 だからこの実験を条件反射を調べているのだというのなら、それはそれで認めよう。ただそこで終わるのではなく、条件反射はなぜ起こるのか、条件反射の中には排除すべき反応もあり、例えば条件反射がトラウマになって何らかの逃れられない反応を引き起こす例があること、そしてそれを除去するための研究をしているなどの目的をきちんと示して欲しかったのである。

 少なくともこのテレビを見る限り私には、思わず目をつぶってしまう被験者を眺めて、「危険がないのにマバタキしている」との動作を、単純に笑いのネタにするゲームにしか見えなかったからである。


                                     2017.10.14        佐々木利夫


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条件付けの心理