「『株主ファースト』に未来はない」と題する投書があった(2017.12.9 朝日新聞、大分県 21歳大学生)。会社経営における社員の非正規化、内部留保の拡大や低賃金化、品質管理違反会社の続出などをあげて、「株主ファーストの会社にもはや未来はない」と断じている。

 投書者の若さゆえの義憤は、良く分る。だが、「株式会社は誰のためにあるのか」と始まり、「顧客」のためか、「従業員」のためか、「株主」のためか、と折角並べ立てたのだから、私はもう少し深く考えてその思いを展開させて欲しかったと思ったのである。

 投稿者の主張はタイトルからも分るとおり、「会社経営は株主のためのものではない」ことにある。もちろん彼は「『株式会社は株主のためにある』という考え方も分かる。株主の投資によって生産活動を行い、販売して利益を上げるからだ」とも言っているから、タイトルの主張だけが正しいと断言しているわけではない。それでも彼の投稿には、どこか偏見があるように感じられてならない。

 彼の主張に見られる誤りは、大きく三つに分けられると思う。第一は、株式会社の全部を一まとめにして判断していること、そして第二は一部の企業の不正を全部の企業の行為にまで拡大してしまっていること、更に第三は企業の不正による利益追求の目的を株主重視によるものだと断じていることである。

 第一と第二の誤りについては、この投書を読むことですぐに理解できるだろう。問題は第三である。恐らくこの主張が彼の一種の思い込みになっているのだろう。不正な利益追求をどう捉え、とこまで許容するかはこの際置いておくことにしよう。なんなら、不正な利益追求があったことを前提に話を進めてもいいと思う。

 そうしたとき、彼の主張に対する疑問点はすぐに指摘できる。利益追求の手段が正当であろうと不正であろうと、その目的が「株主」に限定されるとは言えないからである。社長や専務など、会社の経営トップ(彼等の立ち位置を会社そのものであると認定することには無理があるだろうし、中には株主と並立している場合もあるだろう)が、自己の利益のために不正を行う場合もあるだろうし、従業員のボーナスを獲得するために行う場合だってあるだろうからである。

 そんな多様なケースにおける不正な利益獲得手段を糾弾するのではなく、投稿者はただ一点「株主目的」だけを非難しているのである。つまり彼は、明言こそしていないけれど「不正な利益追求」を責めているというのでなく、むしろ「株主のために行う不正利益追求」だけを責めているのである。

 通常の利益追求が企業の存続目的として当然であることは、彼の投稿から読取れるしまた社会的にも承認されることだろう。だとするなら、非難すべきは「不正な手段を用いた利益の追求」である。そこに彼の主張を重ねると、「株主のため」以外の目的による不正の糾弾が、すっぽりと抜けていることに気づく。

 つまり、「従業員」つまり「労働者」のためであったり、将来の安定のために利益を確保しておく「内部留保」のための利益追求であるなら、たとえ手段が不正であっても許容してもいいと思っているようなのである。株主以外は何も限定していないので、目的が倒産するのを株主や取引先から隠蔽するために行い不正や、新規事業のための資金留保のために行った不正など、どんな目的でも許容してしまうことになる。

 恐らく彼の思いの中には、「不正な利益追求」を糾弾することだけがあって、たまたま表れた「株主のため」という伝聞情報が拡大されものであろう。だから彼の投稿の欠点は、本来「不正な利益追求は許さない」という点にあったのだろうけれど、いつの間にかそれらを網羅的に批判することを超えて、株主批判へと跳んでしまったのかもしれない。

 株主だろうが、企業本体だろうが、労働者だろうが、はたまたそれ以外の目的によるものだろうが、企業が利益を追求するのは当たり前のことである。その利益をどんな風に配分するかの問題もあるけれど、特定の分野のうける利益だけが「悪」になるのではない。ただ、その利益獲得手段に不正があってはならない、ただそれだけのことである。

 それとも、「どんな目的であろうと、不正な手段による利益追求は決して許さない」とする主張はあまりにも当たり前過ぎて、新聞投稿として採用されないだろうと彼は考えたのだろうか。


                                     2017.12.21        佐々木利夫


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