「お産の痛みが親子の絆を作っている」などと思っているわけではない。でも妊産婦が「痛いんだから痛くなくして」という発想のみで無痛分娩を選択しているのだとしたら、そうした思いには「ちょっと待って」とどこか違和感を覚えたのである。

 こんなことを思ったのは、無痛分娩を麻酔医が担当しているケースが、診療所で9.1パーセント、病院で47パーセントだとする新聞記事を読んだからである(2017.11.23 朝日 日本産婦人科学会発表)。つまりこの記事で無痛分娩では、診療所の約一割、病院の約半数しか専門の麻酔医が担当していないことが分ったのである。

 無痛分娩は脊髄を保護する硬膜の外側に、細い管を入れて麻酔薬を注入する方法である。だから専門の麻酔医のいない無痛分娩は、非常な危険を伴うことになると言われている。

 この産婦人科学会の公表は、無痛分娩が実施された全体数を示しているわけではない。単に無痛分娩に際して、どの程度専門の麻酔医が担当したか、その割合だけを示しているに過ぎないからである。

 だからこの公表をもって、病院で生まれた子どもの半数が無痛分娩で生まれたということはできない。この数値が無痛分娩による出産を選択した妊婦の割合を示したものではないからである。したがって、このデータだけで病院で生まれた赤ん坊の半数が無痛分娩による出産だったと結論付けることはできない。

 ところで無痛分娩の実施率は、日本産婦人科医会の発表によれば6%とされている(2016年度)。そして同会の発表によると、「死亡した妊産婦271人のうち5%が無痛分娩だった」とされている(,ネット検索、毎日新聞、2017.8.23、産婦人科や麻酔科医らで作る厚労省研究班の会合の取材記事)。だとするならこのデータだけからでは、特に無痛分娩が危険だと断ずることはできないだろう。

 それでも今年に入って大阪や神戸、京都の産婦人科医院で妊産婦が死亡したり、母子に重い障害が残ったりする事故が相次いで表面化しているのは気がかりである。だからこそ無痛分娩の記事が発表されたのだろう。だがこうした記事の存在自体が、無痛分娩の選択が世の中に広まってきていることを示しているのではないだろうか。今や無痛分娩は、出産に当たって当然含まれる妊婦の選択肢になっているような気がしている。

 「痛みを避けることができたなら・・・」という気持ちがまるで分らないではない。例えば医療の歴史、中でも外科などの分野において「手術における痛みからの解放」は、患者はもとより医師としても悲願であっただろう。そのために開発された麻酔の発達は、医療の歴史そのものでもあったような気がする。

 他人の痛みなど、共感はできても具体的に感じることなどできないのが人である。ましてや女性でない私に、「出産の痛み」などは想像することすらできない未知の感覚である。そんな傍観者でしかないお前に、理解もできないような感覚について好き勝手なことを言われる筋合いはないと言われてしまえば、そこに返す言葉もない。それでもなお私は、「出産の痛み」は、例えば「虫歯の痛み」や「麻酔なしで行う足の切断手術などにおける痛み」と同じ種類の痛みなのか疑問を抱いているのである。

 私のこれから書こうとしていることは、「出産の痛み」などとはおよそ無縁な男性の、無責任な独りよがりである。知らないことをあたかも知っているかのように言い募るのは、誤りを通り越して犯罪じみた考え方になっているかもしれない。それでも、「出産の痛み」は「いわゆる出産以外の痛み」とは違うような気がしてならないのである。

 そう思うことに、特別な根拠があるわけではない。女性が生涯に生む子どもの数を示すデータを、出産率と呼ぶのかはたまた女性の再生産率と呼ぶのか、それとも出生率、合計特殊出生率、純再生産率などと呼んでいいのか、多様な用語があってそれらをきちんと理解できているわけではない。ただ単純に言って今の女性が生む子どもの数は1人か2人であるのに対し、昔は5人や6人は普通であり、場合によっては10人を超えることも珍しくはなかった、そのことを言いたかったのである。

 つまり、「出産に伴う痛み」を否定するつもりはないのだが、その「痛み」は「子どもを生んだとたんに忘れてしまえる痛み」なのではないかと思ったである。だから次の妊娠に際して、「痛みゆえの抵抗や恐れ」を感ずることがなかったのではないかと思ったのである。

 もしかしたら、「出産の痛み」とは、分娩を促すために仕組まれた本能的な感覚であって、本来の意味での「痛み」とは別次元の仕組みなのではないかと思ってしまったのである。

 「だからその痛みは軽いに違いない」と言いたい訳では決してない。でもそれは一種の「擬似的な痛み」なのではないかと思ったのである。もちろんもちろん、私がこの「痛み」についてどんなに理論的で、どんなに合理的で、更にはどんなに説得力のある考えを示したところで、妊産婦の放つ「そんなこと言ったって、痛いのは痛いんだもの」の一言で、あっさり霧散してしまうであろうことは承知しているのだが・・・。


                                     2017.12.7        佐々木利夫


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