1940年生まれの私にとって、77歳に至るまでの生い立ちがまさに第二次世界大戦から始まったことくらいは知識として知っている。ただそれは知識であって、歴史上の人物としてモノクロ写真で語られるあの人この人が、今では故人ではあるものの少なくとも私と同じ空気をかつて一緒に吸っていて同時代を生きていたことがあると知ることは一種の驚きである。

 幼少の私にとって、新聞もラジオも無関係な生活だったから、戦争にも反戦にも文芸や哲学にも興味はなく、向こう三軒両隣の猫が子どもを産んだようなこと以外は、まるで関心のない生活を送っていた。空腹も、空腹そのものの実感はあったけれど、それを戦後の食糧不足に結びつけるようなことなどなく、後になってそのつながりを知ることになる。

 人物だけではない。家庭に水道がないため、共同水道から天秤に下げたバケツで水を汲み、それを台所の大きな水がめに日に何度も運ぶ日常も、背丈ほどもあったそのセトモノの水がめが、将来は博物館に歴史として陳列されるようになるだろうことも、当時の子どもにとっては何の感慨もなく過ごしていた毎日だった。

 社会や世界の変化は、私個人の年齢などに関わりなく否応なしに影響を与えてきたのだろうし、仮に私にに無関係だったとしても詩人は詩を書き、画家は絵筆を握っていたのだろう。だが私はそうした諸々を知ることなどまったくなく、無心と言えば無心、無関心と言えば無関心、あたかもそんな世界など存在していなかったかのような毎日を送っていた。

 どうしてこんなことが気になってきたかというと、今年の1月に天皇が自らの退位に触れた「お気持ち」と称するメッセージを表明したことを契機に、いわゆる天皇引退みたいな話題が日本中を駆け回ったことがきっかけであった。それを契機に国会でも皇室典範の改正か、それとも臨時特例法として一代限りの制度としてこの問題を捉えるかも含めて、退位をめぐる議論が国会・世論を巻き込んで沸騰してきている。

 退位とはいわゆる天皇を辞める(後継者に引き継ぐ)ということであり、天皇の「お気持ち」を聞くと「歳をとったので、そろそろ隠居したい」みたいな気持ちがはっきりと伝わってくる。そう思って改めて本人の容姿を見てみると、なるほど腰も少し曲がり、歩幅も小さくなって、確かに老人になっていることが分かってくる。

 この退位問題以外にも、今年二月末から今月にかけて天皇皇后両陛下がベトナムとタイを訪問し、その行動が割と頻繁にテレビで放映されたことが私の思いに拍車をかけた。そうした映像を見るにつけ、改めて彼等夫妻も歳をとったなと思ったのである。

 両陛下を指して「彼等夫婦」などと言ったら、昔なら不敬罪として糾弾されたかもしれないけれど、実は両陛下と私とはそれほどの歳の差はない。天皇が生まれたのは昭和8(1933)年12月、皇后は翌9(1934)年の10月である。だから現在は83歳と82歳であり、私より6歳ほど年上ということになる。

 彼等の結婚(ご成婚)は昭和34(1959)年4月、私が19歳の時であった。18歳で高校を卒業し公務員試験に合格して、夕張という炭鉱町から都会イメージの強い札幌へ一人で移り、税務講習所とその寮で30人の仲間と共に一年間の研修を受けた直後のことであった。

 ご成婚式の4月10日というと、私には既に夕張税務署への転勤が発令されていたとは思う。だが、そのテレビ報道を見たのが赴任前でまだ札幌にいたときのことなのか、それとも既に夕張に着任していた後なのかは定かな記憶がない。それでも、モノクロテレビでその報道に接した記憶だけは鮮明に覚えている。

 若きプリンス、プリンセスの式典は、それと前後して放映された互いがテニスを楽しむ姿などとともに、世代の近い私にも青春・恋愛・結婚などへの刺激を与えることになった。特に二人でテニスをしていた妃殿下の白いミニスカート姿はそうした刺激を更に加速した。

 そのカップルの今の報道の姿である。「突然の現実」というほど突然ではなかったけれど、日ごろ皇室行事などにほとんど興味のない私にとっても、退位問題を契機として世論を巻き込んだ天皇陛下の映像は嫌でも目を向けさせる契機になった。

 そしてそれが「天皇陛下の老い」、「皇后陛下の老い」をまともに感じる場面になったのである。別にこの二人が老いたことをどうこう言いたいのではない。ただ、二人の「老い」が我が身の老いをそのまま写すものであることに気づかされたのであり、同時にそのことに一種の感慨を感じたのである。

 天皇陛下の小刻みな歩みは、そのまま私の通勤のスタイルにつながっており、ゆっくりとした所作そのものが老いた私の緩慢な動きに重なるものだったからである。

 子どもも独立し、妻と二人だけで暮らしていて、「共に老いた」と感じることがないとは言わない。だが、天皇皇后二人の一挙手一投足がテレビで放映されるのを見て、客観的というか無責任というか、傍観者として利害から離れた私は、肉親や身近な者との係わり合いとは別の意味での「老いの姿」に身につまされたのである。

 老いが誰にでも無差別に迫ってくることは、知識としては知っている。それでも、佐野洋子のエッセイだったろうか、「いつ、お迎えに来てもいよ。でも今でなくてもいいよ」の心境のように、どこか死や老いは、現実感とは少しかけ離れたものとしてあるような気がしている。そうした思いが、他者の老いと我が身と重ねてしまうことで、突然距離が短くなってしまう。

 そのことを恐れるているのではない。むしろいつ来ても受け止められる心構えはできていると思っている。それでも他者の老いと自らの老いとの重なりは、日常に感じている自らの老いと死への距離を、単なる感覚だけにしろあっさりと縮めてしまうのである。


                                     2017.3.12        佐々木利夫


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他者に重ねる老い