C<K・{red(abc)}**1+ε   (ε>=1、K>=1、Kはεによって決まる定数)
                     (**はべき乗の意味、以下同じ)

 この数式が、1985年に提示された整数論の未解決問題だとされている。

 ど素人ではあるが、ともあれ数学好きを自認している私である。ところがこの数式を見ても何のことか、皆目分らない。分らないのみならず、「未知に対する感動」みたいな感慨はおろか興味さえ湧いてこないのが不思議であった。

 まあ、直観的にはこの数式が不等式であって、整数論の分野だとは言いながらもそこに一義的な割り切りやすさというか、答が一つというような分りやすさがここからは伝わってこないように思えることが原因の一つになっているのかもしれない。

 ともあれこの数式(ABC予想と呼ばれているらしい)が証明されたという情報が数日前に世界をかけ巡った。新聞によると、この予想は、「長年にわたって世界中の研究者を悩ませてきた数学の超難問」であり、それが証明されたのだそうである(2017.12.17 朝日)。

 証明したのは、京都大学の数理解析研究所の望月新一郎教授だそうである。なんでも今から5年以上も前の2012年の8月に、自身のホームページでこの証明を公開し、その後様々な学者による検証を経たが特に異論がなかったようである。そしてその論文が今回国際的な数学の専門誌に掲載されることになったことで、その内容の正しさが正式に認められたとするものであった。

 「今世紀の数学史上、最大級の業績」と新聞は報じているが(同日 朝日)、数学も最早私たち素人の手の届かない彼方まで飛翔してしまったのだろうか。もちろん、ギリシャ時代の数学にだって、私の理解できないものはたくさんある。ほとんど知らない、理解できないものか多いだろうろことは分っている。

 それでも、整数論の分野はどちらかというと、純粋な数学的意味を離れて素人にも頷けるような部分をその裾野に持っていたような気がする。それはその理論を理解できるのとは違うだろう。それでも「どことなく言ってることの意味は分かる」みたいな共感がそこにはあったような気がする。

 E=mc**2 の方程式だって、その正しさを理解できなくとも、質量が光速の二乗のエネルギーを持っているということ、そしてそれが原子爆弾と連なることなどは、理論とは別に「私にも分る」ことをアインシュタインは伝えてくれた。

 整数論からは離れるけれど、e**iπ+1=0(オイラーの等式)は、その意味はまるで分からないにしても、数学がこれまで何百年何千年と辿ってきた自然対数の底、虚数、円周率、ゼロなどを巧みに組み合わせた方程式を私たちの目の前に示したのである。

 そのほかにも四色定理(二次元の地図は、どんなに複雑でも四色で塗り分けることができる)や一筆書きの条件(ある図形の交わる点を奇点と偶点に分けることで解決した)など、理論は理解できないにしてもどこか身近な接点を数学は持っていた。

 まだ解決されていないけれど、リーマン予想というのがある。素数の分布に関する数学者リーマンの予想なのだが、予想が発表されて150年以上を経過してもまだ証明されないまま残されている。もちろん私になど、意味どころか匂いさえも分からない理論である。

 それでもこの予想が証明されれば、ある数が素数であるか、素数に分解できるかが直ちに分るだろうといわれると、どこか身震いするほどの感動に襲われる。そして現在利用されている巨大素数を利用した世界の信用取引に使われている暗証番号が解読されて、その意味がなくなってしまうるのではないかなどと言われると、とてつもなくリーマン予想が身近なものに感じられてくる。

 このABC予想は、「整数a、bの和cと、abcそれぞれの素因数の積との特別の関係を論じたもの」とされている。冒頭の数式のrad(abc)とはabcそれぞれの素因数を掛け合わせたものだという。

 ここで仮にk=1、ε=1とすると、この数式は「cは(abcの素因数の積)の二乗よりも常に小さい」ことを意味する。例えばa=1、b=8、c=9のとき、左辺「9」は1と8の素因数2と9の素因数3の積、1*2*3=6の二乗である36よりも小さいことになる。これがどんな整数でも常に成立することが証明されたというのである。

 言葉としての意味は分かる。その証明の論文を読んでもまるで理解はできないだろうが、「きっとそうなんだろう」と信じてもいい。ただ、「整数論の様々な問題の根幹に関わる重要な予想」(同紙)とされているにも関わらず、紙面からは数学のロマンが伝わってこない。

 この予想が発表されてから、数学者にはそれなりのロマンを感じる余地があったのだろうと思う。そうしたロマンを少しも感じられないのは、私の数学に対する知識がそこまで到達していないことを意味しているのかもしれない。ロマンを感じるには、そのロマンに対するそれなりの知識や理解がなければならないだろうことくらいは、薄々感じてはいる。

 だから自分の能力を棚に上げて、この理論について語るのは誤りだとは思う。それにしても、このABC予想にまるでロマンを感じることができないのは、単に私の知識が欠けているからだけなのだろうか。新聞で評釈していた「整数論の様々な問題の根幹に関わる」ことの中に、どこかロマンの片鱗を感じないではない。ただできればもう少し、「どんな根幹に関わるのか」の入口というか、匂いだけでも解説してもらえれば、私のようなド素人の数学好きにも、この数式の魅力が少しは伝わってきたのではないかと、いささか残念に思っているのである。


                                     2017.12.23        佐々木利夫


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ABC予想