酪農高校の実習なのだろうか、畜産飼育のための訓練らしく牛の品評会への出品するために生徒が牛の引き回しの訓練を受けている。リードマンコンテストと銘打っているので、手綱のようなものにつないだ牛の誘導方法などを競うコンテストへの出場訓練なのかもしれない。教諭なのだろうか、リーダーらしき大人が生徒に向かって大声を張上げている(2018.6.9 HBCテレビ、17時過ぎの放映)。

 品評会に向けての注意事項はたくさんあるだろうし、「学生だから多少は多めに見てもらえるだろう」などの甘えは許されないだろう。だから、リーターの声も自然と大きくなるのかもしれない。それはそうだと思う。品評会はお遊びではない。多くの畜産家による品評会を想定した予行演習である。厳しい現実を見据えた実習なのだと思う。

 指導者もそこのところをわきまえているからこそ、厳しい注文を実習生に課しているのだろう。ただその大声の叱声の中に、こんな一言が違和感と納得とがないまぜになって私の耳に届いてきたのである。

 「失点は隠せ」、大きな声であった。真剣な声であった。その声を聞いて私は「あぁ、そうなんだ」と思ったのである。そしてそのリーダーの断言が納得できたのである。言っていることの意味が、ダイレクトに伝わってきたのである。

 このリーダーの発言は、言葉の意味としては「不利な点は隠せ」である。もっと極端に言うなら「不利なところは見つからないようにしろ」、「嘘をついてでもいいからごまかせ」につながる内容を、若い学生に命令していることでもある。

 私たちは幼い頃から、「嘘をつくな」、「嘘つきは泥棒の始まり」と教えられてきた。長じて「やさしい嘘」、「相手を守る嘘」、「罪のない嘘」みたいなものも理解できるようになってはきた。それでも、「嘘は悪である」ことを、社会生活なり人生における基本姿勢として教えられてきたことに変わりはなかった。

 本音と建前という言葉があって、「それはそれ、これはこれ」と時に応じて使い分けることが大人なのであり、それこそが人なのだと、そんな理屈を知らないではない。それでも「他人の前」では正直であれ、少なくとも「正直な振りぐらいはせよ」との考えは、大人として当たり前だと教えられてきた。

 そしてそうした考えは、「正直な振りをせよ」の限度を超えて、他者に対する主張にまでその範囲を広げてきた。そしてそれはメディアの主張や政府や識者と呼ばれる多くのインテリの主張にまで広がってきている。

 でもこのリーダーは、大声を張上げて「嘘をついてでもごまかせ」と叫んだのである。そしてその言葉に私は納得できるものを感じたのである。そしてそして私は、「嘘をつくこと」が、人としての当たり前の習性なのかもしれないと思ったのである。

 人は都合の悪いことは隠すものなのだと気づいたのである。それが少なくともその人にとって、正直な気持ちなのではないだろうかと思ったのである。

 ただそのとき、「都合の悪いことを隠す」ことは、自分にとっては正しい行為であるにもかかわらず、その同じ人が「他人の嘘」にはたとえどんなに小さくても容赦できないほど度量が狭くなっていることにも気づいたのである。

 「自分の都合の悪いことは隠す」のに、同じことを他人が行うとなると、とたんに100%許せなくなってしまう、それが人なのではないかと気づいたのである。そしてそうした思いが、現代は「個人である私」と「私以外の他者全体」という構造から、「私と私の身内」、「それ以外」という範囲にまで拡大していっているのではないかと思うようになってきたのである。

 この酪農高校における「牛の欠点を隠せ」との話は、たかだか自分に都合のいいように解釈してもらうための小さな嘘かもしれない。牛の品評会で審査員に牛の欠点が見つからないように「うまくやれ」程度の話である。それほど目くじらを立てるほどの話しではないのかもしれない。欠点を隠せと煽ったリーダーも、それを聞いた学生も、そしてその風景を撮影し放映したカメラマンや放送局も、少しもこの発言に少しも疑問を感じなかったのだから、その程度の情景なのだとは思う。

 一過性の日常的な風景・・・、見過ごしてしまえばそれまでの軽い話である。私はこのリーターの発言が間違いだとか、教育としてふさわしくないなどと、言いたいのではない。その発言の良否を議論したいのでもない。ただ、人は嘘をつくようにできているのではないか、それなのにどうして人は他人の嘘には容赦できなくなってしまうのだろうかと思ったのである。そしてそんな風景が、この頃は特に目だってきているのではないかと思い、そんなことがこのリーターの発言から気になってしまったのである。


                                     2018.6.12        佐々木利夫


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牛の品評会