10日ほど前の夕方の民放で、北海道を紹介する番組をやっていた。道内産の米を粉に加工する、いわゆる米粉の製造工場での過程を小学生3人と大人のタレント2人の目線で追いかけようとする内容であった。

 工場の案内人が全身を白衣でまとった完全武装のいでたちで、生徒たちの前で工程の概要を説明する。そして、「米粉は学校給食にも使われています。だから、衛生管理には十分な配慮をしています」と付け加える。案内人の言葉に、小学生は感心した顔つきで頷く。

 米粉が学校給食にも使われていることくらい、事前に説明されていただろうと思う。だから、こうした関心顔にも、いささかのやらせの気配は感じるけれど、そのことを知らない視聴者もいることだろうからここまではまあ良しとしよう。

 米粉は学校給食のコッペパンにも使われているとのことで、「身近な毎日のパンにも使われている」と分ったとする小学生は、大感激の様相である。この大感激の表情あたりから、いささか演出の臭いがしてきて、わざとらしさが鼻につくようになってきた。

 パンの原料が「外国産なのか日本産なのか、日本産だとしてもそれはどの地方産の小麦粉なのか」、「小麦粉以外にどの程度米粉なりその他の製品が配合されているのか」など、私は具体的にはほとんど知らない。だが、仮に道内澱粉などが添加されているとしても、それがそれほど感激に結びつくようなこととは思えなかった。米粉で作られたパンが市販されていることくらいは、多くの人の知るところであり、何も学校給食に限られるものではないと思えるからである。

 ここまではまあ、演出にしろ番組の製作の意図なり目的が米粉にあるのだから、多少臭ったとしても批判するほどではないと思った。だが「米粉は学校給食に使われているから、衛生には特に気を配っている」との発言を聞いて、小学生のいかにも納得したような顔つきをそれを重ねてしまった。そしてそのことが私のへそ曲がりに火をつけたのである。

 それはもちろん、給食として生徒が毎日のように口にするのだから、衛生に気をつけるのは当たり前のことである。生徒に不衛生な食品を提供しないように配慮することは、食品提供業者として当然のことである。

 その当然のことを、「学校給食」だけに限定してしまっていることに、私のへそが曲がったのである。恐らく案内人は何の疑問もなく、「あなたたち生徒が毎日口にするのだから、きちんと衛生には十分気をつけているのですよ」ということを言いたかったのだろう。

 だがこのことに小学生の感激ぶりを重ね合わせると、「あなたたちだけのために特別に衛生管理に配慮しています」という意味になってしまう。

 そのように理解してしまうと、学校給食用の米粉だけが特別に衛生管理がされており、それ以外に提供される米粉の衛生管理とは異なる、つまり一般向けは「雑な管理」しかしていないことになるような気がしたのである。

 恐らくこの製粉工場では、製品の販売先が学校であろうと、はたまたスーパーを経由した一般家庭であろうと、更には米粉パンの製造メーカーに向けたものであろうとも、共通した衛生管理をしていると思うのである。そしてそれは米粉メーカーだけに限るものではなく、どんな食品製造業においても同じような仕組みになっていると思うのである。

 だから「学校給食に使われるので特に衛生には気をつけています」みたいな説明は、目の前にいる見学者である小学生に向けた、一種のリップサービスだったのではないかと思う。ただそのリップサービスに対して、見学している小学生の感激の声と喜びの映像を重ねたのは、テレビ局による演出である。

 演出とは何か、やらせとは何か、その違いはどこにあるのか、どんな基準を超えたら演出はやらせになってしまうのか、それとも演出とやらせとはまったく別のものなのか、私はそうした違いを必ずしもきちんと理解しているわけではない。ただ私には小学生を巻き込んだ今回の米粉製造過程を紹介するテレビ放送が、単なる演出の程度を超えて、「やらせ」にまで達してしまっているかのように見えたのである。


                                     2018.5.17       佐々木利夫


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やらせか演出か