日本の各地で、害獣による被害が広がっているようである。害獣という特別な動物が存在しているわけではない。一般に棲息している獣(鳥も含まれるかも知れない)が農家の作物や山林などへの被害、更には人間や家畜などへの加害など、それが人間にとって我慢できないまでに拡大していっている、そんな獣のことを意味している。

 そういった意味では、害獣とは野生の獣もしくは野生化した獣ということであり、例えばペットとして飼育している獣が単に家庭内や公園に増えてきたというだけでは該当しないようである。

 一般的には野生のサルや鹿やいのししなどを指し、それらが増殖して人家の近くまで行動範囲を広げてきているようである。そして畑や田んぼ、植林した立木、更には人畜にまで被害を与えているということである。だからそれは飽くまでも「人命もしくは人が保護しようとしている作物などに被害を与える」という意味での害獣であり、人間と接触がなくいわゆる私たちと棲み分けができている範囲にある生物ならば、特に害獣とは言わないようである。

 ただ、例えば人間の活動領域が広がっていき、元々彼らが生息していた地域を侵略しているような場面も、構造的には逆になるのだが害獣と呼ばれることもあるようである。魚網被害を訴えている、例えば「とど」や「おっとせい」などがそういう意味では害獣としてあげられるだろうし、都市開発などもそうした要因になっているようである。

 ここで取り上げようとしている話は、サルやいのししなどの獣害に悩む農家を抱えているとある小さな田舎町でのできごとである。この町ではこうした被害を防止するため、役場に専任の担当者を置いて対策に乗り出したという。そしてその成功譚が少し前にテレビで放映された(2018.6.17、NHK、10:00)。

 担当者はその成果を誇らしげにこう語る。「害獣というとマイナスのイメージが強く、『殺して終わり』ということになりやすいが、私どもではそれを町民参加という形で解決していくことにした。そうすることで、住民同士のコミュニケーションが活性化し、町が元気になっていく」。

 そしてその町民参加というのが、町民の奥さんを集めた女性軍団の結成と活動であった。彼女等の手を借りて、捕獲したいのししの毛皮などを使った小物(財布やキーホルダーのように見えた)を製作し、販売するのだそうである。ほかにいのししの缶詰なども手がけており、新しい雇用も生まれたと、担当者は自画自賛する。

 そうしたことに特に違和感はなかったのだが、変なところに気が回ってしまい、それが気になってこの取り組みをすんなり受け取ることができなくなってしまったのであった。それは、この町のやっていることが、基本的には多くの自治体が行っている害獣対策(殺処分とその死体の後始末)と、なんら変わらないように思えたからである。

 つまり、毛皮で財布やキーホルダーを作り、肉を利用して缶詰にして販売するという行為が、担当者の話によると「害獣の殺処分」というイメージとはまるで別次元の話だとして理解されているように感じられたからである。

 そしてそのとき同時にこんな思いが脳裏をかすめたのである。「いのししの缶詰」は分った。牛肉よりは味は多少落ちるのかもしれないけれど、きっとそれなりに美味いのだろうとも思った。そしてその缶詰は、「サルの缶詰」とどう違うのだろうかと思ってしまったのである。

 どこまで本当の話なのか分らないけれど、中国でサルの脳みそを頭蓋骨を輪切りにして生のまま食卓に出し、それをスプーンようのものですくって食べるという料理があると聞いたことがある。だとするなら、サルの缶詰があったところで、特別変ではないと思ったのである。

 日本人の食習慣が、人類全体を代表しているものでないことくらい理解している。「たこ」がどこかの国ではデビルフィッシュ(悪魔の魚)と呼ばれて、食用には禁忌とされているとの話を聞いたこともあるし、牛や豚を神聖視して絶対口にしないとの話も聞いたことがある。

 だから、他民族の中にサルや猫やカラスを食べる習慣があったところで、それを異常とは言えないだろう。「鳩」はフランスの高級料理だと聞いたこともある。でも、この町の担当者からは、サルの被害に対する苦言はあっても、サルを捕獲し殺処分し缶詰にして販売するというような話は、まるで聞くことができなかった。

 サルの剥製、サル肉のソーセージ、サルの目玉の佃煮、サルの脳みその塩漬けなどなど、サルにも様々な加工が考えられるだろう。殺処分に抵抗があるのなら、何ならペットとして販売することだって可能だろう。何しろ駆除の必要な害獣なのだから。それにもかかわらず、担当者からはサルの行く末についての話はとうとう聞けなかったのは残念であった。

 ジビエが盛んである。ジビエとは、狩猟で得た天然の野生鳥獣の食肉を意味するフランス語らしい。だから、基本には「食べるために狩猟した動物の肉」との意味があるのかもしれない。だとするなら「害獣として殺処分した肉を食用に転用する」こととは多少意味が違うようにも感じられる。

 だが北海道における害獣対策として得られた鹿肉を、ジビエ料理としてレストランで提供するなどの話もある。また、学校給食でカレーライスの肉として使われているテレビ場面を見たこともある。数十年も前のことになるが、私もかつてクマ肉やトド肉の缶詰を食べたことがある。そしてこれも昔の話だが、北海道の特産品としてその缶詰を東京での研修生仲間数人に帰省の土産として持っていき、部屋での飲み会の肴にした記憶もある。だから害獣対策とジビエの境界がどこにあるのか、実は私はよく分かっていない。

 まあ、それは売れるか売れないかの差、つまりは商品化して採算がとれるかどうかの差であるというのなら、それはそれで認めるのにやぶさかではない。つまりは、サルの脳みそを金を払って食べる客がいるかどうかの差ということなのかもしれないからである。

 ただ私はこの町の担当者が、町内の主婦で手芸品や缶詰を作って、それが町のコミュニケーションになっているとか、更には雇用の増大などで町に貢献しているなどとしている主張が、どこか嘘くさく思えたのである。嘘ではないのかもしれない。それでもそんなに貢献度の高い成果があがっているとは思えなかったのである。

 こんな瑣末なことに抵抗感を抱くなど、へそ曲がりだとは思っている。ただどこかで、サルといのししの命には差があり、そのことを表面に出したくないだけのために、片方の商品化をことさらに持ち上げて成果として評価しようとしているような意図が感じられ、それが私のへそを捻じ曲げてしまったのかもしれない。


                                     2018.6.20        佐々木利夫


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