どこから生物と呼んでいいのか、実は分らないでいる。人間も含めて、犬猫や昆虫などを生物と呼ぶことに抵抗はない。だが、例えば植物を人間と同じような意味で生物と呼んでいいのかどうかと問われるなら、基本的には生物と認めつつも、どこかで少し抵抗感が残る。

 その原因は、独立して移動できるかどうかにもあるけれど、鞭毛運動をする動物的な性質を持ちながらも、植物として葉緑体を持つみどり虫と呼ばれる生物も存在している。だとするなら、生物の定義が私の中でまだ中途半端なままになっているのかもしれない。どうしてこんなことを考えついたのかというと、最近の新聞にこんな記事が載っていたからである。

 『ヒトの活動 哺乳類の8割が消える原因に』、「約76億人のヒトは、生物界全体の0.0.1%だが、文明の始まり以来、哺乳類の8割が消える原因になった----。こんな分析結果を、イスラエルなどの研究者が米科学アカデミー紀要に発表した。・・・研究チームの計算によると、狩りなど人間活動の影響によって、陸や海にすむ哺乳類の83%が過去に失われたという、・・・」(朝日新聞、2018.6.14)。

 0.01%とは一万分の1のことである。そうすると、分母たる生物の総数はヒト76億人の一万倍ということになるから、その数は76兆になる。ここまで数えても、その中に犬猫や鳥や魚、蚊やゴキブリなどの一匹一匹まで網羅されているのか、一本一本の草木などは含まれているのか、更に言うなら線虫や大腸菌などまで含まれているのか、まるで分らないでいる。

 新聞記事を読む限り、「衛星観測やDNA解析などのデータから、地球上の生物の量を推定。生物が含む炭素の量を計5500億トンとして、各生物がどれくらいいるかを計算したところ、植物が82%で、細菌が約13%を占めた。残りの菌類や動物、ウイルスは計約5%だった」とあるから、その前提の「量を推定、どれくらいいるか」という言葉からするなら、生物とはウイルスまで含む広範な種の個体数全体を意味しているように思える。

 ただそうだとすると、例えば人体一人の体内に巣食う大腸菌は、約3万種類100兆とも1000兆とも言われているから、生物界全体を78兆とした根拠と明らかに矛盾する。もちろん草や木や大腸菌それぞれを一種、つまり1と考えることは可能だけれど、そうすると今度は76億人とした人の数もまた1としなければならないことになってしまい、矛盾する。

 もしかしたら76億人という数と0.01%とは無関係で、生物界には一万の種があり人はその0.01パーセントたる一つであることを言いたいのだろうか。そんな知識も私にはないのだが、「種」という定義にもよるだろうけれど、私には生物の種がどんなに大雑把に分類したところで一万しかないとは思えないのである。

 だから生物界と言っておきながら、その定義を示さないのは(それは単に記事を書いた新聞の責任であって、発表した論文ではきちんと明示されているのかもしれないが・・・)、一つの完結した文章としては誤解をまねく表現になっているのではないだろうか。少なくとも、0.01%とする見解そのものの説得にはなっていないことに違いはあるまい。

 このように生物の種としての数なのか、それとも生物界の個体数を示したのか分らないでいるのだが、それはともかくこの研究発表のテーマは哺乳類消滅の原因の8割が人類によるものであったという意見にあるのだから、その点を中心に考えてみよう。

 ここでの主張は「哺乳類の消滅」である。だがこの主張もまた、地球の数億年の歴史に登場した生物のうち、哺乳類として分類される種の8割の消滅を意味するのか、それともカンブリア大爆発も含めた過去の哺乳類の個体数累計の8割の消滅を意味するのかが不明である。

 消滅という言葉を使っているということは、少なくとも比較する時点は現在であろう。だから現在ではかつて存在していた哺乳類の83%しか存在していないことを言いたかったのだと思う。だがその分母は一億種なのだろうか、一億頭なのだろうか。

 「哺乳類の83パーセントが過去に失われた」との記述を読む限り、それは種を意味しているように思える。渡したとの理解できる言葉で言わせてもらえるなら、北極熊が絶滅した、象が絶滅した、鯨が絶滅した・・・という意味での絶滅が人類によるもので、それが哺乳類という種全体の83%に及ぶというのである。

 その事実を私は知らない。また、この新聞記事を読んでも、主張として分るだけで少なくとも理解できる証拠なり説得力のある理屈はどこにもも示されていない。

 確かに見出しはおどろおどろしい。そして少なくとも現代の人類に警告を与えたいと思っていることは分る。この記事には、世界の炭素量などというもっともらしい数字が多く出てくる。だが数字そのものが何を意味しているのか、それが生物の種や総数とどういう関係にあるのか、どういう根拠でそう結論付けたのかなど、まるで説明がないのである。

 根拠を示すことは論文の使命であって新聞記事の目的ではない、ヒトが哺乳類の8割を消滅させたという見出しだけが大事なのだ、と言いたいのかもしれない。犯罪の報道に裁判所が要求するような証拠の羅列を求めたいとは思わない。それでも最小限度、記事の内容を証拠付ける根拠の提示は新聞であっても義務なのではないだろうか。

 科学記事なのだから素人の読者に理解できないだろう、だから書かなかったのだと言いたいのなら、それは間違いである。仮に理解できないとしても、可能な範囲で分りやすく伝えるのが新聞の使命だと思うからである。

 人類は現在驕りの最中にあるように思う。そしてその驕りはさらに果てなく膨張していっているように思える。宇宙開発も遺伝子操作も、AIも電子工学も、そして経済も政治も、人類はあたかも自らを絶滅危惧種と自認するように、暴走を続けているように思える。

 そうした中で、この人類の愚行の証拠でもあるかのような記述は、確かに人類への警告になるように思える。だからこそ私は、その愚行の証拠を分りやすく説明してもらいたかったのである。

 数ある生物の中で、ヒトは確かに異種である。霊長類なのか、特別なのか、または神に似せて進化したのか、もうすぐ宇宙を乗っ取ろうとしているのか、それは分らない。いわゆる生物としての種でありながら、犬と猫の違い以上の違いをヒトはもっているように思える。それが時として驕りにつながっているのかもしれない。だからこその警告なのではないだろうか。それなら、どうしてこの記事を分りやすく解説することができなかったのだろうか。そのことがとても残念でならない。


                                     2018.8.31        佐々木利夫


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生物異種としての人類