21 シンデレラ体重

 シンデレラ体重とは、「健康にリスクがあることは知っている、でもキレイでいたい」という、瘠せ願望を言うのだそうである。こうした願望がなぜ過熱するのかはよく分る。だが、「キレイでいたい」との願望が、どこまで責められるべきか疑問になってきた。化粧だって、すっぽんを原材料とした食品やサプリメントを口にするよりは「有害」なのではないかと思えたからである。

 
どの程度本当のことなのか知らないけれど、女性は口紅を一生に何トンも口に入れていると聞いたことがある。「健康管理」だけを理由にダイエットを批判し、肥満にならない程度のふっくらタイプの方が健康で長生きできるなどと言われても、ダイエット願望の本質には迫ることはないのではないだろうか。
 恐らく人は、健康志向だけでダイエットに励むことはないのではないだろうか。それが人目であるにしろ、結婚式式の写真写りのためにしろ、そして仮に高血圧などの目先の治療を目的にしたものであるにしろ、ダイエットにおける健康志向は、仮にそれを目的として公言しているとしても、もっと別の心的状況を隠匿している現象なのではないたぢろうか。

 22 曖昧さの表現 2018.3.14

 新聞の一面全部を使った、ある機能性食品の広告である。「筋肉作りはまだ、間に合います!」が一番大きな活字を用いており、「60代以上の方に筋肉をつくる力の向上が実証されました」と続いている。そしてこの食品を利用した者の体験談が続く。「前より湯がく歩けるようになり、・・・」、「階段の上り下りもラマになり・・・」、「つまづきにくくなった」、「ふらつくことが少なくなり・・・」、「足取りが軽くなったように思う・・・」・・・。


 宣伝広告なのだから当たり前のことかもしれない。そんな場面に、論文や学会報告などの客観的で実証的な証拠を示してほしいと望むのは無理だろうとは思う。それでも、こうした曖昧さの連鎖を見ていると、私はどことなく詐欺まがいの宣伝に思えてくるのである。

 23 70年は長いのか

 @新聞投書「保育士手厚く 基準引き上げて」(2018.3.16、朝日、保育園長、 57歳男性、青森県)
 A新聞社説「憲法70年 まず政治と行政を正せ」(2018.3.16、朝日)

 @で「・・・社会が70年で大きな変化をしてきたのに、(保育士の)配置基準が変わっていない現実・・・」を嘆いている。それは、70年を根拠にしていいのだろうか。
 Aは、70年にこだわる意味が見えてこない。
 @もAも、ともに70年という期間を取り上げることは苦しいのではないか。

 70年という言葉は「戦後70年」という意味で、昨年当たりから使われてきた言葉である。こうした区切りは、10年、50年、100年など、区切りやすい年なり日を使うことが多い。70年という区切りは、いかにも中途半端な感じがする。それでも戦後70年という語は、戦争を知る者の存在を前提として考えられてきたものだろう。日本人の平均寿命が延びて、今では男81歳、女87歳まで伸びている。
 幼児なり青年なりがいくつまで戦争体験を記憶していられるかは個人差があるだろうけれど、70年という数字は、終戦を10歳で迎えた者は80歳に、20歳で戦争を直接経験した者でも90歳になることを意味している。つまり、生き残っているという意味で70年という区切りはそれなりの意味があったのだと思う。
 新聞に出ていた@、Aは、何を根拠に70年という数値をカウントしようとしているのだろうか。

 24 観光公害

 目立つ「観光公害」(2018.5.21、朝日新聞、オピニオン&フォーラム)。「民泊用の古民家に観光客が出入りし、宿泊客が騒いだり、ゴミを乱雑に出したりもする。食堂に入ってきた観光客が食事中の客の皿に手を入れ、味見をして『同じもの』と注文したり、・・・・」
 つまり彼が言いたいのは、「金を落とさないのは観光客じゃない」らしいのである。観光客とは観光地に金を落とす客のことだけを指しているらしい。そうでない客は、無駄で、不必要で、邪魔な厄介者なのだと思っているらしい。

 確かに公害とも思えるような仕草を繰りかえす外人観光客がいることは事実であろう。ただ論者の視点は、「日本人が当たり前と感じている習慣」をベースに判断している。私たちはゴミを分別して曜日ごとにきちんと出すことを普通に感じている。だが私たちだって10数年前までは、分別など考えもしなかったのではないだろうか。手づかみで食事をしたり、トイレの使用方法を間違ったり、私たちが常識と理解している様々が、そのまま外人観光客に通じると理解するほうが間違っているのではないだろうか。観光客は多様である。国も地方も習慣も、当然のことながら法律も異なるのである。そのことを承認し、そのことを前提に受け入れる、それが「観光」なのではないだろうか。自分に都合のいいところ、しかも「手間隙かけずに日本が儲かる」ことだけを前提とした観光立国の思いには、どこかついていけないものがあると感じたのだある。

 25 ダイエット

 肥満の原因は脂肪と思われていたが、そんな常識に反して「瘠せる脂肪」というのがあるとテレビが放映していた(2018.6.20 NHK、19:30)。そこである学者らしい専門家が、したり顔で言う。「本当なんです。瘠せる脂肪というのがあるんです。普通の生活をしていて、一年に1kg減らすことができるんです。10年で10kgです」。
 この理屈には「普通の生活」を10年続けるという前提がある。10年間毎日、普通の生活を続けるのでなければその効果を検証できないのである。私はこの「普通の生活」の意味、そして一年365日を10年続けた結果と現在を対比することに、何とも言えない嘘を感じてしまったのである。


 計算は合っているのだろう。1年1キロ、10年10キロ、小学生でも理解できる計算である。また、そうした瘠せる脂肪が学問的に存在することを否定したいのでもない。私はそうした「普通の生活を10年続ける」という前提そのものが、論理矛盾であり不可能だと思ったのである。「10年を単位とした日常生活の管理」という発想そのものが、果たしてどんな意味を持っているのか理解できなかったのである。


                            2018.12.1     佐々木利夫


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メモの後始末4

エッセイをを発表してから間もなく16年になり、発表累計も
1400本を超えるまでになっている。こうしたエッセイは
メモへの雑書や新聞の切抜きなどから始まることが多い。
 ただ、エッセイにまで至らなかったメモが机上に積みあがり、出番はまだかと尻を叩く。
 途中で少し整理してやらないとならない。それでここで紹介し、廃棄することとした。黄色文字がメモの部分である。