26 長時間労働 

 「重要なのは、より付加価値の高いモノやサービスを効率よく生み出すことであって、労働時間をいたずらに長くするのは、当然、経済的にも不合理である」(2018.3.16、朝日新聞、月刊安心新聞、「裁量労働の落とし穴 『長時間労働の美徳』は古い」、千葉大教授 神里達博)。
 その通りである。一点非の打ち所のない率区のように感ずる。いかなる反論も許さない正論である。だが経営者にしろ、従業員にしろ、そんな抽象論だけで仕事は進んではいかない。
 別に単純労働に限るものではない。「効率を上げる」、「高い付加価値をつける」とは、単純に考えると、「より売れる製品を作る」ことであり、「評価できる一定の成果が得られる」という結果が求められているからである。
 そしてそのためには、もちろん優秀な能力なり効率的な作業手順などが要求されるだろう。だがそうした能力のない者、見つけられないでいる者にとって、もっとも単純な「満足への手段」がある。それが「長時間労働である」。

 
能力のない者を卑下していっているのではない。特に目立つことなく、言われたことを黙々と続ける以外にそれほど力のない者がいたとしても、それは特別に劣っている者なのではない。むしろ当たり前の、普通の、冴えないかもしれないが平凡な者であり、そうした者が世の中には多数存在している。
 考えてみれば(考えなくともそうなのだが)、私もそうした多数の仲間であり、向こう三軒両隣、世の中の大半がそうした人たちで作られている。そうした当たり前の人たちが、例えば「高い給料が欲しい」、「安い賃金で製品を沢山作りたい」と考えたとき、すぐに思いつくのが「働く時間を長くする」ことであり、「安い賃金で働かせる」ことなのである。そしてそれを責めることは誰にもできないのではないだろうか。

 27 拡散する自己責任

 IOT(家電や住宅そのものに組み込まれたコンピュータや人工知能などの機能)の進化が著しい。冷蔵庫や電子レンジが食材を仕分けして不足状況やレシピを指導してくれるのだそうであり。また、住宅のカーテンの開閉や照明の点灯、風呂焚きから戸締りの管理まで自在だという。

 世の中進化しているのだから仕方がないのではないか、と諦めるべきなのかもしれない。それが現代人としての割り切りなのかもしれない。IOTに限らない。あらゆる分野に自己責任がつきまとう世の中になってきている。選択肢があまりにも多様になってきているのである。そしてその選択肢の一つ一つに、あたかも背後霊のように自己責任という観念がつきまとっているのである。
 ここで「昔は良かった」と言ってしまったら、それは単なる「年寄りの繰言」になってしまうだろう。そこのところは良く分る。それでも、自然災害からの避難の時期や手段、オレオレ詐欺の電話に対する応答、月一割の配当を謳う儲け話、健康や美容に関わる無数とも言えるほどの広告宣伝などなど、世の中には選択しなければならない様々が溢れている。
 雪だ、雨だ、強風だ、台風だ・・・、伝染病だ、熱中症だ、入浴中の血圧だ、トイレの温度だ、賞味期限切れの食料品だ・・・、テレビのリモコンだ、パソコンの操作だ、銀行預金のパスワードだ、一ヶ月で美しくなれる化粧品だ・・・、世の中は選択肢に溢れている。そしてその一つ一つに、必ずついているのが自己責任である。情報過多なのか、選択肢の多さは幸せの多様さを意味しているのか・・・、人は目の前に広がっている余りにも多い選択肢に直面して、おろおろと戸惑っている。そして、それほど選択肢の多くなかった昔を、どこかで懐かしんでいる。

 28 can you speake english

 この英語で、最初の言葉は「Do」で始まるのが正しくて、「can」を使うと上から目線になるので注意するようにとの解説があった。そのことがどこまで正しいのか、私にはまるで知識がない。どちらにしても「あなたは英語を話せますか」という意味には違いがないだろう。


 
テレビでの基礎英語の番組である。基礎だからこそ、正しい使いかたから学ぼうとの意図があるのかもしれない。2020年のオリンピック開催だけを目指したわけではないだろうが、「外国人と正しい会話を」と望む気持ちは、間違いとは言えないだろう。また、いわゆる「おもてなし」という意味においても敬語や謙譲語みたいな会話に心がけようとすることも間違いだとは思わない。
 それでも対話者の一方がカタコトしか話せない日本人で、この程度の内容の会話しか望んでいない者からの呼びかけに対して、受け手側が「上から目線」だと気になるような場面が、果たしてあるのだろうか。
 会話というのは、それほど許容性のないものなのだろうか。もちろん日本人同士の会話における尊敬、、丁寧、謙譲の意味を否定したいというのではない。言ってることが正しいのだとしても、会話の場における稚拙さは、互いの立場の中で許容され溶解してしまうものなのではないだろうか。

 29 人間の生殖

 チンパンジーは5年に一度くらいの割合で、妊娠出産が可能である。人間は理論的には一年に一度程度可能である。


 メモにはこれしか書かれていない。何を意図してこのメモを残したのだろうか。人間が一年に一度の妊娠出産が可能であることは、妊娠期間が約九ヶ月であることからもすぐに分ることだし、現に私の生まれた時代は「年子」(としご)と呼ばれる、毎年のように生まれた兄弟が珍しくなかったことからも分る。
 チンパンジーについての知識はないが、このメモに「新潮社、音成文庫、4/3から」と書いてあることからすると(4/3の意味が分からないが)、何かの本に書いてあったのだろう。
 発情期の違いを書きたかったのか、またはサルと人間の進化の過程における違いに触れたかったのか、今となってはこのメモから推測することはできない。ただ、ゲノム的には90数パーセントまで一致していると言われているこの両者に、どんな進化のプロセスの違いがあったのかは、興味の沸くところではある。

 30 満足度

 「今の自分に満足していいのか、新しい自分を見つけろよ」。挑み続ける人生というのもあるかも知れない。でも「これでいいんだ」、「今がいいんだ」と満足する人生もまた素晴らしい。


 高齢になったせいか、挑戦する人生というものにどこか距離を置きたくなってくる。「努力は報われる」、「願えば叶う」、「諦めるな」・・・、そう言われて、一生懸命走り続けることが人生なのだと、私たちはいつも教えられてきた。そして一方で、「夢なんて叶うものではない」、「叶わないからこそ夢なのだ」とも感じてきた。
 しかし、「諦める人生」というのも、あながち悪くはない。夢のレベルを下げて、諦めて、身の丈にあった夢に切り替えることで、時に人生は豊かになることだってあるような気がする。
 サクセスストーリは、成功は努力の成果であり、諦めない根性の結果だと語ってくれるが、それは成功した者の結果だけの言葉でしかない。その裏側に累々とした挫折者の屍が積み重なっていることを、何故か誰も伝えようとはしない。


                            2018.12.7     佐々木利夫


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メモの後始末5

エッセイをを発表してから間もなく16年になり、発表累計も
1400本を超えるまでになっている。こうしたエッセイは
メモへの雑書や新聞の切抜きなどから始まることが多い。
 ただ、エッセイにまで至らなかったメモが机上に積みあがり、出番はまだかと尻を叩く。
 途中で少し整理してやらないとならない。それでここで紹介し、廃棄することとした。黄色文字がメモの部分である。