根拠があってのことではない。絶対そうだと確信していたわけでもない。それでも少なくとも私は子供時代、「お巡りさんは嘘つかない」ことを当然のこととして理解していた。恐らく多くの人がそう信じていた。もしかしたら事実というのではなく、単に信じていただけなのかもしれないけれど、こうした思いは私たちの生活に染みついていたように思う。

 そしてそうした思いは、犯罪を取り締まる警察官、もっと身近には交番勤務のお巡りさんというどこか警官という権威や権力から少し離れた位置にある身近な隣人みたいな存在からくるものであったような気がする。それは、おそらく幼少の頃から親や仲間や近隣や先生などから言われ続けてきた「嘘つきは泥棒のはじまり」というフレーズに集約される思いが背景にあったからなのかもしれない。

 泥棒をつかまえる立場にある警察官(お巡りさん)が嘘をつくということ自体が、その職業そのものに矛盾するものとして考えていたからなのだろう。

 だから「お巡りさんは嘘つかない」は、何の証拠も裏づけも必要としない所与の前提だったのである。始めからそうに決まっていたのである。当たり前のことだったのである。それは性善説だの性悪説などといった理屈を超えて、「そもそもそういうものだった」のである。そしてそうした思いはそのまま、お巡りさんへの全面的な信頼であり、警察組織への信頼であったのである。

 しかもその範囲は、単にお巡りさんだけに限られるものではなかった。お巡りさんは警察官全体へとつながり、警察という組織への信頼はそのまま裁判官などの司法全体へと大きく広がっていった。そしてそうした信頼は単に司法を超えて、学校の先生や市役所の窓口担当者など大きく公務員全体にまで広がり、そして更に更に弁護士や銀行員と言ったいわゆる「硬い職業」と言われる公務員に類似するような分野にまで広がっていった。

 それは別に何の裏づけがあったわけではない。にもかかわらずその範囲は、公務員から公務員に似ている職業というだけで、勝手に広がっていった。

 ところがそうした信頼が、いつの間にか社会から消えていった。「警官は嘘つきだ」と言いたいのではない。ただ警官も、少なくとも私たちと同じように嘘をつくことが分ってきたのである。このことは、私たちの社会を考える上でとても大きな刺激になった。「警官は嘘つかない」は、私たちの社会生活における証明不要の事実であったにもかかわらず、そうした「証明不要の概念」が喪失してしまったことを意味しているからである。

 これは決して警官の責任ではないだろう。警官が嘘をつかないと思っていたのは、私たちの単なる思い込みに過ぎず、警察がそうした思い込みを自分たちの有利な方向へと利用していたとは思えないからである。思い込んだ私たちが悪かっただけで、私たちがそう信じたことによる不利益を、相手たる警官の責任に転嫁することは許されないだろう。

 それでもこうした「警官も嘘をつく」ことが私たちの日常生活に当たり前のこととして広まってしまったことは、とても大きな影響を社会に与えることになったと思っている。それはつまり「検証不要の信頼が社会から消えてしまう契機になってしまった」からである。理屈抜きの信頼とか、黙って俺についてこいなど、全幅の信頼という考え方が、実は間違いであることの証拠になってしまったからである。

 「警官は嘘つかない」ことを、私たちは「権力は嘘つかない」、「強者は弱者に嘘をつくことはない」にまで拡大して解釈し、そうした思いが私たちの社会を支えていたのである。そして時を経て、そうした基礎の上に立つ私たちの描いた様々が、いとも簡単に崩れてしまったのである。

 他者の発言が、どんな場合も丸ごと嘘であるとまでは思っていない。それでも「証拠なき信頼」というものがいかに脆弱であるかを、この「警官も嘘をつくことがある」ことを契機として、私たちは身に沁みて味わうことになったのである。

 それはもしかしたら私たちの責任なのかもしれない。私たちの信頼への思いは、間違った思い込みからくる根拠なき幻想だったのかもしれないからである。その責めは、幻想の社会を作った私たちが負うべきなのかもしれない。

 現代は警官だけでなく、あらゆる権威が嘘をつき自己保身に走る時代になってしまった。政治も経済も、肉親も友人も、時に科学すらも嘘をつき、嘘で丸めた社会を作り上げてしまった。そこでは証拠ですらも捏造されるようになってきているのである。

 今や私たちは、不信のただなかに孤立している。政治不信、経済不信、会社不信、学校不信など、あらゆる不信はやがて人間不信を生み、国際から個人まで「信じられない社会の中で、私たちはどんな行動ができるのか」といった身動きのできない状況のまま、閉塞社会へと追い込まれようとしている。


                                     2018.9.5        佐々木利夫


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お巡りさんは嘘つかない