今日が大晦日で、明日が正月である。あと20日足らずで、私は79歳を迎える。こうしてエッセイと自称する雑文を発表し始めたのは2003年の1月のことだから、間もなく16年になろうとしている。

 まさに乱雑なへそ曲がり雑文ではあるけれど、様々なジャンルを含めてこれが1415本目の文章ということになる。始めたころは、ここまで続くとは思いもしなかった。文章作りは嫌いではなかったけれど、毎週続けるという課題を自分に課したことは、時に負担でもあった。

 そしてたとえ雑文にしろ、自分の文章には自分なりの哲学があると思っている。それが読者に受け入れられる理論になっているか、それとも読むに耐えない愚論の繰り返しに過ぎないかはともかく、私の思いのつまった文章であることに違いはない。仮にその文章に嘘があったとしても、その嘘も含めて発表した文章は私自身なのである。

 ただ、文章が自分であるということは、作られた文章も「己の限界」を示しているということでもある。決して私自身を超えることはできないという宿命を、文章もまた最初から与えられていることを承知しなければならない。

 このタイトルを思いついたのは、平成が今年で最後だからである。切り替えの時期は四月末で、新元号は五月一日から始まるとの報道だが、天皇の崩御以外に元号が変わるのは珍しいことらしい。

 昭和15年生まれの私だから、初めから昭和の時代だった。生まれてすぐ太平洋戦争に突入し、ドイツ・イタリアと同盟し世界を相手に戦った時代だったから、西暦はそもそも敵国の年号であった。そして昭和63年に昭和天皇が崩御し、翌年の1月8日から現在の「平成」へと元号が変わった。なんとなく呼び名になじめない思いをした「平成」も、昭和天皇の皇太子であった平成天皇の代になってから今年で30年になる。

 残る四ヶ月で、「平成」の呼び名ともお別れである。新元号の名称の発表は四月ころと言われているが、恐らくしばらくは違和感の残る名称になるのだろう。そして、少しずつ慣れていくのだろう。

 元号は天皇制度と密接に結びついているが、西暦との併用はどことなく不便な気がする。特に私のように三代も元号をまたぎ、しかも一月から新元号が始まるというのではなく、年の中途で変わるという改元は、年を単位とする考察をするときには混乱を招くことが多い。

 例えば昭和63年は一年間丸ごと昭和だが、64年は1月7までの7日間だけが昭和で、翌1月8日からは平成になったのである。天皇崩御の時期、その後の政府の対応などによって、元号の始期と終期が日にち単位で変わるのである。今回の平成から新元号への変更は今上天皇の引退によるものなので、日単位ではなく5月1日からと月単位にはなるけれど、それでも年が中途で途切れるという中途半端な使いにくさは免れない。

 年齢や事件の経過を年でカウントするときなどは、西暦表示がベターだとは思うし、新聞もほとんどが西暦表示になっている。それでも私たちの中には、天皇一代限りを元号としてとらえる意識が、今も強く残っているらしい。

 今年も年末が迫り、一年の区切りの意味があるのだろうが、「平成最後の○○」みたいな特集番組や記事がメディアで賑やかになってきている。

 まあ、一年を区切って評価する風習は、季節が一年で回ることからすると、それほど違和感なく理解できる整理の仕方ではある。それは、年齢を一年を単位として数えることと同じ意味なのだろう。

 ただ今年は特に、「平成の総括」みたいな特集を組むメディアの姿勢が、どこかすっきりこないように思えてならない。昭和と平成とで、何か画然とした時代の違いがあったのかと問われるなら、時代の変遷がそれなりにその時代に影響しただろうことは否定できない。

 だからといって、特定の災害や戦争や政治的変革を捉え、そのことでその時代を区切ろうとするのは、どこか無理があるのではないだろうか。平成は「災害の多い年だった」というのが、メデイァの評価である。それに異を唱えるつもりはないが、戦争が無かったのは明治・大正・昭和から平成と呼ばれる期間を通じて、平成だけだった。しかし、それだけをもって平成は平和な時代だったと言っていいのだろうか。

 昭和は戦争で始まり原爆が開発され、バブルのはじけた高度成長の時代をも包含している。だからと言って、そのことが何か特別な時代であったことを示しているのだろうか。関東大震災のあった大正は、それでは何だったと言ったらいいのだろうか。明治はどうか。

 様々な変化が起きるのが、私たちの時代なのだと思う。それは、決して社会は天皇陛下の力にコントロールされるような時代変化ではなかっただろう。もちろん、天皇陛下の活動が、社会にまるで影響を与えなtかったなどということはない。

 ただ時代の変化というのは、自然災害もあれば国際政治や国内の為政者や、更にはテロなどの集団の思惑、そして国民の意識の変化などなど、多様な変数によって構成されるものだろう。だからと言って、例えば昭和という時代を第二次世界大戦と世界を席巻するようなバブルの発生を「足して二で割る」ようなスタイルとして評価してはいけないと思うのである。

 それぞれのできごとが、それぞれ別個に存在している、そんな評価でいいのではないだろうか。「平成はこんな時代」というステレオタイプの評価をしてしまうこと、つまり平成を「今上天皇の時代」という意味で区切ってしまうと、東北大震災も北海度大停電も、リーマンショックも、ノーベル賞もガンによる死者数も、取り上げることごとくの事象が、すべて天皇陛下の責任というか成果というか、関わりの中で発生したことになってしまうからである。

 明日からお正月、孫は四人ですが、うち三人が成人です。そんな孫に囲まれて、来年はスタートからうまい酒が飲めそうです。皆さんもいいお正月をお迎えください。それではまた来年、ここでお会いしましょう。


                            2018.12.31     佐々木利夫


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平成最後の大晦日