9月6日に起きた平成30年北海道胆振東部地震は、北海道全域のブラックアウト(全面停電)を引き起こした。それはそれで大変な事態ではあったし、物流から通勤までさまざまな形で道民に大きな影響を与えることになった。そんな影響の一つに、酪農家の被害があった。

 酪農と一口に言ったところで、停電で受ける影響には生乳の保管・輸送・乳牛の飼育・給餌などなど、様々なものがあろう。そうした中に、「牛が乳房炎にかかって搾乳ができなくなった」という被害が報告された。牛の乳房にたまった牛乳が乳房に炎症が起きて搾乳機を取り付けることができなくなり、そのため搾乳ができなくなったというのである。

 酪農家の行う搾乳とは、牛の乳房に吸引機を付けてモーターで吸引するものである。その乳房が炎症を起こしたため、吸引機をつけることができなくなったというのである。そのことは分る。乳房が炎症で晴れ上がり、牛の痛みのために吸引機を取り付けることができなくなったと言うことである。

 乳房炎と停電の関係について、私は必ずしも分っていない。素人なりの考えでは、停電で搾乳機が使えなくなり、乳房に牛乳が溜まりすぎたためのような気がしている。他には、搾乳機そのものに乳房炎を防止するための何らかの機能が付与されていて、その機能不全ということも考えられる。または乳房炎を防止するための電気装置というのが別に存在しており、その機械の不具合ということもあるのだろうか。

 ともあれ直接の因果関係は不明ながら、「停電が乳房炎を引き起こした」という事実は間違いないようである。だとすると、この方程式は一見する限りいかにも奇妙である。

 たとえるなら、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな説明が仮についたとしても、だったら停電が結核感染を引き起こしたり、インフルエンザ患者を増加させることと同じことを言っているように思えるからである。つまり、停電という物理的現象と、細菌感染という現象とがどうにも結びつかないように思えるからである。

 乳房炎というのがどんな細菌による炎症なのか分らないけれど、少なくとも乳房炎菌であるとか化膿菌みたいな細菌が感染して起こる現象であろう。だとするなら、例えば掃除機が動かない、ラジオが聞こえないなど、電気製品が停電で本来の機能を発揮しなくなったということと並列的に考えるのは少し違うのではないだろうか。

 もう少し範囲を広げて、乳房炎菌(仮に存在するものとする)を研究のために培養していて、その培養のためのコントロール装置が停電で機能しなくなり、結果としてその菌の増殖を止められなかった、そして菌の増殖が乳房炎の感染拡大につながつた、というなら少しは理解できる。

 停電は無機質な現象である。一方乳房炎というのは、細菌の感染という有機質の世界のできごとである。無機と有機、互いに関連はないはずである。しかし酪農家はこともなげにこの両者をあっさりと結びつける。あたかも停電が感染源であるかのように、である。

 そして、ふと思ったのである。恐らく乳牛の飼育環境において、乳房炎はつねに発生の危機にあるのだろう、ということである。乳房炎菌は常住細菌の一つであり、24時間常に感染の危機にさらされているのではないかということである。

 発祥の原因は色々あるのだろう。例えば消毒不足などの不衛生な飼育管理をであるとか、乳牛本体の体調不良なども原因になるだろう。また、もしかしたら搾乳が不十分で、乳房内に未搾乳の乳液が残っているような状態も原因になるかもしれない。

 それでも、停電によって機械が機能ししなくなり、それが原因で乳房炎が発祥したのだとしても、決して停電そのものが乳房炎の原因だったわけではないだろう。

 私はそうした言葉の使い方を問題としたいのではない。牛だけに限らず、哺乳類は産まれた子に乳を与えることで子孫を育て種を保存してきた。もちろん哺乳類が生物の全部ではないけれど、哺乳類と乳房炎というのは、種の保存上避けられない関係にあったのではないだろうか。

 それでも哺乳類は、電気なしで乳房炎に対処してきたのである。乳房炎で死んだ母牛もいただろうとは思う。場合によってはある系列の種がそのために絶滅してしまったことだってあったかもしれない。それでも哺乳類は生き残ってきたのである。

 そこまで考えて、現在の乳牛は牛乳製造マシンになってしまっているのではないかと思ったのである。もちろん生命誕生に人間が関わっているという意味ではない。それでも乳牛そのものが搾乳のための牛乳製造機になっているのではないかということである。

 極端に言うなら、電気で動く(電気がなければ即座に乳房炎にかかって本来の機能を発揮できない)、単なるマシンに化しているということである。もちろん、言い過ぎの偏見であることは百も承知である。こんな屁理屈が通らないことも知っている。

 それでも敢えて、乳牛は電動マシンになっているのではないかと思ったのである。ブロイラーにしろ、人工飼育のマグロやタイにしろ、人間に対する貢献度を望むあまり、人は生体のマシン化という踏み込んではいけない分野にまで手を伸ばそうとしている。

 それを神の領域への侵犯とまでは言わないけれど、どこか人を超えてしまっているような気がしてならないのである。たかが牛乳の搾乳と停電である。そこまで考えることはないかもしれないけれど、そんな傾向がいろんな分野にまで拡大していっていることが、どこか間違いなのではないかと、へそ曲がりは思い続けているのである。


                                     2018.10.5        佐々木利夫


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停電と乳房炎