この頃の日本列島は台風ラッシュである。つい先日、台風24号が日本列島をまともに縦断し釧路沖まで台風の規模を維持するまでに長持ちした。10月に入ってこれで今年の台風は一段落かと思ったら、次の25号が沖縄諸島を窺う気配を見せている。1月から台風の発生があるなど、シーズンという言葉は当てはまらなくなっているのかもしれない。

 ここで書きたいのは24号にまつわる話である。この台風は沖縄・奄美に被害を与え、九州南端、四国南端をかすめて和歌山県に上陸した。そしてそのまま北上というか北北東のコースをとって、岩手県三陸沖で列島を抜け襟裳岬をかすめて釧路・根室の南海上を経て国後・択捉方面へと進み、熱帯低気圧になった。

 つまりこの台風は、日本列島全域を巻き込むことになったのである。しかもフィリピンから沖縄方面にかけての海水温が今でも高いこともあって、巨大な勢力へと成長していった。

 巨大台風であることは、それだけ被害の程度も大きくその範囲も広いことを意味している。おまけに九州の南端を通過してから襟裳沖まで僅か一日しかかからず、その分風速が大きくなったこともあって風の被害が顕著になった。

 そんなこんなで、日本列島全体が時々刻々変化する台風被害に見舞われることになり、間断のない避難指示や避難警報に見舞われることになったのである。NHKテレビは通常番組を中断して、終日台風関連ニュースにかかりっきりであった。

 そんな特別番組を聞きながら、ふと感じたことがあった。ニュースはもちろん、死者とか行方不明者などを中心に情報を伝え、それに交通機関の運行情報や各地の被害状況を伝え、更に避難警報や停電情報なども夜通し報じていた。

 まるで聞いたことのない地域の避難警報が多い。県名は分るし、市町村名も一部は分るところもある。だが氾濫の恐れのある河川の名称や、避難せよと伝えられる集落の名前などは、ほとんど私の記憶にないものが多かった。

 それはそうだろうと思う。北海道全域に一括して避難命令が下されるなんてことは、SF的な発想でもない限り事実上ありえないだろうからである。土砂崩れがあった、川が氾濫したなどの事例が多いだろうから、警報は特定の地域に限られるだろうことは明らかである。

 それは市町村単位よりも更に小さく、恐らく部落とか集落を指定しての警報になる。そうした川沿いの小さな部落の名称まで、私に分らないのは当たり前である。しかも、避難する側からするなら、そうした小さな集落を単位とした警報でなければ、そもそも警報としての意味をなさないだろうことはすぐに分る。

 そうした警報は、人々にほとんど知られていない見知らぬ特定の集落を単位として、「世帯数と世帯員数」が発表される。「どこどこ地区に避難指示が出されました。対象者は○○世帯、△△人」・・・、そうした警報が延々と続くのである。それを聞いているうちに、世帯数と世帯員数の関係が気になったのである。

 それは、どの地区も一世帯の構成員が二人以下、つまり世帯数×2以下の人数になっていることであった。世帯数の二倍を超える世帯員数を持つ集落が、一つもなかったのである。

 世帯という捉え方が日本特有のものなのか、またその定義はどうなっているのかなど、その辺のところはよく分からない。それでも基本的には家族が単位であり、時に学生や独身寮に入居した新入社員などが一人で一世帯を構成することなどは理解しているつもりである。また、未婚の独身世帯だっていることだろう。

 だから世帯員数が個々まちまちであるだろうことくらい、容易に理解できる。それでも世帯という単位を、「一つ屋根の下で暮らす家族集団」という程度の大雑把な捉え方をしたところでそんなに間違いではないだろう。私たちの考える世帯とは、夫と妻と子供が二人、それに夫の両親、そんな程度の家族集団がごく普通であったような気がする。そこまで考えなくとも、少なくとも親と子供二人の四人家族くらいの集団は、一世帯の構成としてそれほど違和感はないように思える。

 前にも述べたように、独身・単身・死別・離婚など、世帯にもさまざまな形態があるだろうことは分る。それでも平均して一世帯二人以下という実体が、ある地域トータルで当たり前になっているという現状は、どこか不自然ではないかと思えたのである。

 そんなこと言ったって、事実がそうなのならそれを認めるべきではないかという意見を、否定しようとは思わない。だが、日本全体の数値は、1億2711万人・5340.3千世帯・一世帯2.38人(平成27年)なのである。まだ一世帯当たりの人数は二人を超えているのである。

 それはつまり、一世帯当たりの構成員数もまた都市偏重になっているのではないかということである。全国平均は二人を超えているのに、山深く、急流の近くに住む世帯は、どの地区をとっても二人を切っているのである。世帯員二人以上とは、その中に頼りになる者の存在が感じられるように思う。

 もちろん警報が過疎地域にのみ発せられるということはないだろう。それでも私自身の知識を基に比較するのは僭越かもしれないけれど、私の知らない地域を過疎地と判断したところで、それほど大きな違いはないような気がしている。

 NHKで無機質に放送される避難警報発令地区の対象人員・世帯数の読み上げを聞きながら、そこに私は年寄りが細々と寄り添う不安や、または独居老人の寄る辺ない生活の片鱗を感じてしまったのである。ホームページで確認して最新の情報をチェックせよとのアナウンサーの繰り返しが、果たして誰に語りかけているのか、どこまで真剣な語りかけになっているのか、そんな心細さを感じてしまったのである。


                                     2018.10.4        佐々木利夫


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世帯数と世帯員数