NHKEテレに、「世界の哲学者に人生相談」という番組がある(毎週木曜日午後11時)。古今の哲学者の俚諺、名言を呼び出して、視聴者の悩みを解決しようとする番組である。キャッチコピーはおどろおどろしくも、「あらゆるお悩みを解決します」とある。

 高校生の頃から哲学に興味を持っていた私なので、理解はともあれ哲学者と呼ばれる者の名前だけはそれなり知っている。ギリシャ時代から現代まで、いわゆる哲人とは何かと問われても答えられないけれど、アリストテレスやカント、ニイチェはもとより、日本の西田幾多郎なども含めて様々な名前を知っている。そうした哲人が「お面」スタイルではあるが、番組ごとにとっかえひっかえ10数人出演している。

 そうした哲人グループを前にして、司会者と芸能人らしいゲストが3人ほど、それに哲学解説者とも言える学者を一人加えて、哲人からのアドバイスをヒントに視聴者から寄せられた様々な悩みを解決しようとする番組らしい。

 哲学という言葉に、ペダンティック(衒学的)ではあるものの、ある種の崇高な思いを抱いていた高校生時代を経て、今でも私はどことない憧れを抱いている。とは言っても、哲学なんぞまるで理解できなかったというのが本音なのかもしれない。それでも、様々な角度から私は「哲学」という壁に挑戦し、その都度挫折を繰り返してきた。

 何が書いてあるのか、何を言おうとしているのか皆目分らずに、読むのを中断した哲学書は数多いくある。中にはかろうじて読み通すことができた哲学書もなかったではないけれど、それでも読み終えたという事実と言うか結果だけが残るだけで、一言半句も理解できないままになってしまったものも多い。

 まあそれは、言ってみれぱ私に哲学を理解するだけの才能がなかったということに尽きると言われれば、それまでのことかもしれない。ただそうは言っても、「私の才能」という根本的な原因に気づかないままに、あたら私の人生の多くの時間を費やさせてしまったことには、一面口惜しさが残る。もちろん、そうした能力不足に気づかなかったのは私なのだから、その責任を他人に押し付けることなぞできないだろうことくらいは、百も承知である。

 ただこの番組が、「あらゆるお悩みを解決します」と言い募り、哲学とは人の生き方や人生の指針を与えるものという程度の理解はしている私としては、とても興味深く魅力を感じた。もしかしたら、長年の私の「哲学なんて理解できない」というコンプレックスというか思い込みが、一挙に解決するヒントを与えてくれるかもしれないからである。

 番組の構成は、視聴者やゲストからいわゆる「お悩み」を提起してもらい、それに対する古今の哲人の思想や名言をぶつけることで解決の糸口をつかもうとすることにある。

 そして私は思ったのである。私には哲学を理解する才能がまるで欠けていることを、改めて思い知らされたのである。一つの「お悩み」と称する問題提起がなされ、それに対応する解決として一人または二人の「哲人の言葉」が答として提供される。

 質問があり、答を与える、これで番組は完璧である。まさにクイズ番組と同じである。ただクイズと異なることは、「正解」が示されるだけで「間違い」の提示がないことである。だが違ったのである。まるで分らないのである。どこが答になっているのか、答とされる哲人の言葉がまるで理解できないのである。

 ゲストは頷いているところをみると、その哲人の言葉なりヒントでその「お悩みが解決した」と理解したのだろう。解説者もまた、その哲人の言葉や生い立ち、更には時代背景などを分りやすく解説し、その回答を是認する。

 でも、私には分らないのである。それがどうして答になっているのかが、まるで理解できないのである。100点満点の答でなくてもいい、仮に50点でもそのいわゆる「お悩み」の解決に資するような回答が得られたのなら、それはそれでいいとも思う。私には回答になっているかどうかさえ分らないのである。間違った解答だとすらも言えないくらい、とにかく分らないのである。

 でもそれは、私だけの問題なのかもしれない。番組の司会者や登場者のすべてが納得しているのだから、それは正しい解答なのだろう。恐らく番組の参加者のみでなく、番組の企画や制作に携わっているであろう多くの人たちも含めて、その質問に対する「お悩みの解決」の回答になっていると信じているのだろう。

 だから数回にわたって番組は続いているのだろう。もしかしたら、この番組を見ている視聴者もまた、「お悩みの解決」に納得しているのかもしれない。

 にもかかわらず、私には哲人の言葉が「お悩みの解決」とは程遠い、むしろ無縁の位置にあるように思えてならないのである。これまで約10回ほどこの番組を見てきたが、どの回のどのお悩みにも、解決らしい哲人の言葉は一つもなかったように思えるのである。

 「人のお悩み」とは、これしきの言葉で解決するものなのだろうか、そんな思いが見るたびに重なってくる。「違う」、「そんなの答になっていないだろう」、「質問者はそんな答など望んでいないのではないか」、「そんな馬鹿な」・・・、そんな気持ちで苛つきながら番組を見ているのである。

 そんなに苛つくのなら、無理して見ることなどないじゃないか、と思わないでもない。でももしかしたら私の抱えている哲学コンプレックスの解決のきっかけでも見つかるのではないかと、そんな願望を抱きつつ精神的な苛つきに耐えて何とか30分を過ごしている。

 そして「本当にそれで納得したの・・・」、と参加しているゲストに質問してみたいのである。そして解説者にも、それが「哲学なの・・・」と聞きたいのである。

 数年前の話だが、中国でハンバーガーの肉にダンボールを混ぜて販売していた例があった。羊頭狗肉とは、犬の肉を羊の肉だと偽って販売していることを言う。私はそんな程度の範囲を超えて、まさにダンポールそのものを食べさせられているような、そんな気さえしているのである。


                                     2018.6.27        佐々木利夫


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