78歳になって毎日欠かさず事務所へ通うというスタイルには、歩くという健康管理の面や秘密の基地での気ままな過ごし方と言ったプラスの面が多い。しかしその反面、維持費の家計への負担や雪道での転倒の恐れなどの問題もないわけではない。今日は雪道で滑って転ぶという、転倒の心配について考えてみよう。この冬の転倒事故こそまだ起こしてはいないけれど、足腰が弱ってきてへっぴり腰のヨタヨタ歩きは歳相応である。スマートで格好のいい若者の活発な歩き方とは正反対であり、まさに老人の様相そのものを呈していることだろう。

 それはそれで仕方がないことだとは思っている。いい振りこいてスタスタ歩きを真似たところで、その選択はまさに天に向かって唾するようなもの。たちどころにそのツケが回ってくるだろうことくらい、考えなくても分るぐらいの自覚はある。

 ところで数日前の新聞記事である。北海道版に毎週書かれている、「けんこう処方箋」と題する特集を読んだ。テーマは「高齢者の転倒予防、重要」とあった(朝日新聞、2018.2.14、投稿者は北大大学院保健科学研究院准教授、女性)。

 その中で彼女は「厚労省の調査で、高齢者の5人に一人が、年1回以上、転倒を経験している」と前置きし、「転倒は加齢とともに増加する」、「転倒、骨折は高齢者の寝たきりになる要因の3位」と続けた。そして転倒を防ぐことが大切であり、その原因は身体の位置、神経の障害などによる姿勢制御の不能にあるという。

 読んでいて、少し気になってきたのである。投稿者は転倒の原因を縷々書いているけれど、高齢者に転倒が多いのは理屈ではなく事実なのだから、それらをいくら述べたところで意味がないのではないかと思ったからである。

 投稿者は続ける。20年前に東京で「転倒予防教室」というものが開催され、その費用が8週で56,871円であったという(ご丁寧にこの金額を、『ころばない』の語呂合わせであるとまで紹介している)。そしてその後、この教室の期間が12週に延長され金額も78、000円(これは七転び八起きと洒落ている)で盛況なのだと述べている。

 ここまで読んで、彼女が何を言いたいのか、更に気になってしまったのである。彼女は、転倒予防教室なるシステムを有料で北海道にも作るべきだという提案を、新聞という媒体を使って宣伝したかったのだろうかと気になったのである。

 更に読み進んでいって、そうした気がかりはまだまだ続いたのである。彼女の意見は後段に入って、転倒の原因へと進んでいく。「厚労省の調査結果から、転倒の原因は『滑り』 『つまずき』 『踏み外し』の3種類に大きく分けられています」と述べ、更に「これらを回避する取り組みが転倒予防につながっていくと思われます」と続く。こんなことくらい言われなくても当たり前のことである。記事のタイトルが「高齢者の転倒予防、重要」なのだから、縷々述べいる内容がタイトルの範囲を一歩も出ていないではないかと思ったのである。

 読んできて、あれあれ一体彼女は何を言いたいのかと思っていたら、これに続く言葉がさらに私の曲がったへそを刺激することになった。

 「これまでの報告では最もリスクが高かったのは『筋力低下』、次いで『過去1年間に転倒があった』でした」と続いたからである。記事はそろそろ終盤に近づいている。それにもかかわらず、投稿者はこれまで厚労省のデータを引用して転倒の分析や分類をしているのみで、具体的な転倒防止の方法については何も触れようとはしていないと感じたのである。

 そしてこれに続く次の言葉が、私の曲がったへそに更なる一撃を加えることになった。「その他にバランスや柔軟性といった身体機能の獲得も重要と考えられます。これらのリスクファクターに関するスクリーニング(選別)と修正が大切です。」とあったからである。

 果たして彼女のこの意見は、いったい誰に向けたものなのだろうか。少なくとも新聞を読んでいるだろう転倒を心配する高齢者その人に向けたメッセージでないことだけは明らかである。

 さて記事も終わりを迎えた。彼女はこんな言葉でこの投稿をまとめる。「合わせて、履物や家屋構造などの外的な要因、環境づくりへのサポートも重要な取り組みだと考えられます。そして今後は、運動機能が低下した虚弱高齢者に対して、集団のみならず、在宅ベースの個別プログラムの開発や指導も、必要な取り組みとされています。

 一体このメッセージは何を意味しているのだろう。言ってることが間違いだとか、書いてある内容が不明確だと言いたいのではない。専門用語が多過ぎるような気はするけれど、日本語として意味のある文章になっていることくらい理解できる。

 それでも私にはこの記事全体が、単なるレトリックの空回りになっているように思えてならなかったのである。この新聞におけるこの特集の大きなタイトルは「けんこう処方箋」である。対象者は購読者のはずである。ここは学術会議における論文の発表の場でも、福祉協議会などでの高齢者支援システム構築の提案をする場でもない。読者は新聞の読者である高齢者、もしくは高齢者を見守っている親族などであり、この記事はそうした高齢者への直接的な支援へ向けた特集だと思うのである。

 この記事が、例えば介護にたずさわる病院内の医師や看護師が、通院患者や入院患者の転倒防止に向けてどのように接したらいいか、どんな提案をしたらいいかなどの検討会を開き、参加者からその提言に受ける場でのものだとするならまだ分らないではない。また、地方公共団体や福祉団体などが、高齢者の転倒予防に向けて他者からの意見を求め、それに呼応して寄せられた意見だというなら、それも分らないではない。

 筋力が弱っていることやつまづくことが多いなどをいくら並べところで、そんなことくらい老人自身が既に知っていることなのである。ましてや結語の部分などは、高齢者にはどんな努力もできないことを要求しているのである。つまりこの投稿には、転倒防止が必要な高齢者に向けた顔が、少しも見えないということである。

 そんな提言よりは、「牛乳を飲んだほうがいい」とか、「よく噛んで食べよう」、「階段や通路やトイレや風呂場などには手すりをつけよう」、「こんなに便利な杖があります」などなど、現に起きている転倒予防に向けて何をしたらいいのか、どうしたらいいのかなどの視点が求められていると思うのである。

 その点で、この投稿にはそうした配慮がまるで欠けているのである。抽象的な言葉の羅列だけに終始し、言葉遊びだけが空回りしている投稿、そんなやり切れなさを、私はこの記事全体に感じてしまったのである。


                                     2018.2.22        佐々木利夫


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