おぼろげな記憶だが、昔「一兆円予算」という名称を聞いたことがある。意味が分かったわけではないだろう。予算という意味さえどこまで理解できていたか、その辺も怪しい。

 恐らく「一兆円」というのが想像を絶するほどの金額であり、そうした金額が史上初めて国家予算として登場したのを、新聞か人々の噂などで聞いたのだと思う。九千億台からの上昇だと思うのだが、だからと言って億の単位だって理解できていたとは言えない。

 国家予算と言ったところで、一般会計もあれば特別会計もあり、それらを合算すべきかどうかさえ、今現在でも私の理解は不確かである。それでも一兆円という規模に、日本中が驚いたというのは事実であろう。

 一兆円予算という言葉が、今年の予算編成の中でふと思い出されてきた。来年度の国家予算が100兆円を超えたとメディアが騒いでいたからである。メディアは単純に100兆円を超えたということで騒いでいるのだが、私にはこの一兆円が思い出され、そしてそのギャップの大きさにメディアとは別の驚きが走ったのである。

 それはつまり、私の記憶の中で、私の生きている間に国家予算が100倍になったということだったからである。一割、二割、ではない。二倍、三倍でもない。二十倍、三十倍でもない。100倍とはまさにとてつもない数字だと思ったのである。

 その事実を検証すべく、早速ネットで国家予算の推移を調べてみた。あった、あった。昭和28(1953)年度一般会計予算は、前年度の8,739億円を超えて初めて10,172億円、つまり一兆円を超えたのであった。

 昭和15(1940)年生まれの私にとって、この年は13歳である。中学一年生だろうか。恐らく国家予算なんぞには、何の興味もなかったように思える。それでも、新聞ラジオや大人の会話などからこの「一兆円」という数字だけが記憶に残ったのだろう。

 私は間もなく79歳になる。一兆円予算のときからすると、79-13=66年を経過したことになる。国家予算はこの66年間で100倍になったのである。インフレなのか、それとも経済成長の結果と呼ぶべきか、私には確たることは言えないけれど、100倍という数値は想像を絶する隔絶を示している。

 私が高校を卒業して税務職員として採用されたとき、最初の一年間は雇(やとい)という中途半端な身分ではあったけれど、その初任給は一ヶ月6,300円だったことを記憶している。高校卒業の18歳は昭和33年だったから、このときの一般会計予算は一兆3,300億円であり、来年度予算の100兆円はその75倍になる。

 初任給6,300円にこれを適用すると、月給472,500円になる。しかし、平成28年、つまり2年前の税務職員の俸給表によると、採用時で146,100円、普通科卒業時(一年後)で168,000となっているから(国税庁募集要項」より)、せいぜい24倍程度である。

 こうした感触は正しくないのかもしれないが、少なくとも私個人をめぐる経済環境は、せいぜいが24倍程度であり、予算の拡大規模の四半分程度にしか過ぎないということである。このギャップにも驚いている。国家予算の四半分しか私個人の経済環境は延びていないということだからである。

 そしてその反面、国の借金たる国債残高は現在897兆円にも及び、平成元年の161兆円をはるかに凌ぐ、すさまじいものになっている。

 少なくとも私の経済生活は、一回に使う金額で数万円程度の感触しかない。数百万なんて手の届かない規模になっている。だから国家予算の9倍にも及ぶ900兆円もの国債残高と言われたところで、まるで見当もつかないのが本音である。

 それでもどこかで日本の予算というか、国家活動が、どこかで歪んでいることだけは、直感的に分かる。老い先短い老人なのだし、この身で国債を心配することなどない遠い話なのかもしれないけれど、子や孫にとっては底知れぬ恐怖のネタになっているような気がしてならない。

 私たちはそんなにも借金の恩恵を受け、そのツケを孫たちに負わせたことになるのだろうか。借金地獄の倒産目前といわれながらも、どこかで私たちは国の借金を見ない振りをしている。振りだけで済むうちはまだいいけれど、まもなくにっちもさっちもいかなくなる時代が、いやむしろ時刻が目の前に迫ろうとしているのではないだろうか。


                            2018.12.22     佐々木利夫


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一兆円予算