今年もどうやら無事に年末を迎えることができたと書きかけて、思わず「無事」の文言を削りたくなった。そうは言っても、どんな一年だって365日丸ごと無事だった年などあるわけないだろう。そんな意味で、今年も色々なことのあった一年だったように思う。

 2019年は、このホームページの存続を巡る混乱が尾を引く中で始まった。それまで私の作品を預けていたサーバー、いわゆるホームページの預かり屋が、今年の三月で廃業すると昨年の中ごろに一方的に宣告してきたからである。

 雑文ながら私の作った作品は1500本にも及び数千の画像と共に、インターネット上のデジタルデータとしてその預かり所たるサーバーに保存されている。その保存してあるデータに新たに追加したり、旧作品にリンクを貼ったり内容を訂正したりすることで、私の作品は日々更新されている。読者は検索エンジンで私の作品を探すか預け先サーバーのアドレスを打ち込むことで、いつでも私のページを覗くことができるのである。

 生き残るには、旧サーバーから新しい業者のサーバーへ、データをそっくり引越しすれはいいと聞いた。だがその手続が複雑で、まるで私の手に負えない。若い頃はマイコン、パソコンなどの世界へ先端切って挑戦したものだが、寄る年波のせいもあるのだろうか、今のインターネット空間にはまるでついていけない。

 それでもどうやら自力で引越しを終えることができたのは、昨年末ぎりぎりの12月30日のことであった。だからその二日後から始まった新年は、これから果たして継続してホームページデータをアップロードできるのか、リンクはうまく機能するのか、旧アドレスの読者が今後も継続してくれるのか、検索エンジンの旧データアドレスがどこまで新アドレスとリンクできるのかなど、ドキドキする中で始まったのである。

 そして5月、元号が平成から令和へと代わった。代わったことで私の生活に特別な変化があったわけではない。それでもこの二つの年号を、ホームページ上でどうレイアウトしたらいいかも悩みのタネになった。また改めて昭和生まれの我が年齢を確かめさせられる変化でもあった。

 9月になって、前回、前々回の発症以来真面目に通院していたにもかかわらず、突然三回目の脳梗塞が起き、2週間の入院を余儀なくされた。

 脳梗塞はとりあえず、特別な後遺症もなく無事に退院できたのだが、足首の痛みが入院前よりも多少悪化したように思える。ここ数年、杖突ながらではあるが、事務所へはJR電車の利用だけで足りていた。それが、退院後は到着駅から事務所までバスを利用することになったのである。

 ところで足首の痛みは、これ以上悪くはなっても良くなりそうにない。毎日歩くのが脳梗塞後遺症のリハビリになっていると自己診断していた。だが、足首の痛みは関節症によるもので、脳梗塞の後遺症ではない。従ってリハビリの効果と言っても、極めて疑わしいことになる。

 だとするなら、事務所通勤そのものが問い直される。まあ、考えてみれば、80歳を超えようとする老人が外に事務所を持ち、そこへの通勤に固執しようとしていること自体が、いわゆる「年寄りの冷や水」なのかもしれない。

 外部の事務所を止めて自宅事務所に変更するか、はたまた実態に合わせて税理士稼業そのものから手を引くか、そんな判断を迫られる時期に来ているのかもしれない。まさに秘密の基地の存亡が問われているのである。

 ともあれ、明日は大晦日。少なくとも今日は穏やかな事務所です。「どうやら無事に一年間・・・」と言う表現には、「一年を通じて無事だった」と言う意味と、「色んなことのあった一年だったげれど、少なくともこの年末は・・・」と言う二つの意味があるのかも知れません。

 もし後者の意味だとするなら、杖突き歩行の悩みを抱えてはいるものの、恐らく明日は自宅で平穏な大晦日を迎えていることでしよう。そして元旦は娘や孫たちに囲まれてうまい酒を飲み、何日後になるかは分かりませんが、いずれ事務所へ出てきてへそ曲がりのエッセイを書き続けることになるでしょう。だとするなら、まあそれなりの「満足できる穏やかで無事な一年だった」、と言うことになるのかもしれません。

 今年もどうやら一年間、こうしてエッセイを発表することができました。矛盾した表現になるかも知れませんが、「病気ながらも元気に過ごせた一年」、そんなことになるのかも知れませんね。

 令和2年がどんな年になるのか、先のことは分かりません。それでも今の生活をこれからも続けていく覚悟だけはあるつもりです。

 へそ曲がり老爺の繰言に、今年一年お付き合いをいただきありがとうございました。今年は今日で事務所終いにします。軽く酒でも飲みながら、事務所に感謝することにします。年明けの原稿など少しも用意できていないので、発表がいつになるか分かりません。

 前にも書きましたが、paypayにもついていけず、QRコードからも疎外される世代になりました。おまけに孫の大学卒論のテーマにも、分かった振りして応答していても、まるで理解できていない時代遅れの祖父がいます。やんぬるかな・・・。

 どうかよい年をお迎えください。


                    2019.12.30       佐々木利夫


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忘年の記