私たちが人類として進化してきた過程には、道具の発明というか新しい発見への飽くなき努力の積み重ねがある。石の破片で動物の死骸の肉をそぎ落としたり、硬い木の実の殻を割るなどの用法が、武器へと変化を遂げるまでには、恐らく気の遠くなるような時間と多くの人手を要したことだろう。

 爪を超える石片の力を発見したり、腕力を超える棒や槍や弓の力を見つけたことは、そのまま人間の力の限界を超える力を与えることになった。それはまさに奇跡の力を我々に付与するものであった。そうした力はやがて航空機を生みロケットを生んで、人類を宇宙へと飛び出させる力にまでに飛躍させた、

 最近話題になっているATや量子コンピューターも、そうした系譜につながるものであろう。そしてそうした流れは、これからも際限なく続いていくことだろう。

 人間は弱い。裸の人間単独の力では、恐らく犬や猫からさえも自らを守ることなどできないだろう。そんな弱い人間が、今や人類のみならず世界そのものを支配しようとしている。

 いやいや、支配できると思い込み、そんな風に行動している。その支配は自然、宇宙、そして動植物の範囲を超え、人類が他の人類を支配するまでに進んでいる。支配は自らの過信と奢りにつながり、支配される側の卑屈さを生むまでになってきている。

 何を言いたいかというと、道具は常に人間を越えるように進化してきたということである。その延長にAIも存在しているということである。

 そろばんは人間の計算能力を飛躍的に高めた。電卓は、そろばんとは異なる分野になるのかも知れないけれど、奇跡とも言える能力を私たちに与えることになった。そしてその先にコンピューターやスーパーコンピューター、更には量子コンピューターがある。

 飛行機は人間に翼を与えただけでなく、時としてタイムマシンとして機能するまでになっている。マイカーやトラックのスピードや輸送力は、私たちの能力をあっさりと超えている。顕微鏡は見えない世界に私たちを誘い、音楽や絵画の世界は人間を新しい世界へ導くことになった。

 このように、道具は人間の個々の能力を超えるものとして進化してきた。それは、道具が人間を超えることは、発明の始めから約束されていたということである。

 そうであるなら、そこに人間性みたいな思いなど、抱く必要はないのではないだろうか。例えば電卓が私の暗算能力をはるかに凌ぐ力をもっている。その能力は単に加減乗除に限らず、三角関数から対数計算にまで及んである。

 だからといって、電卓をジョークとして「頭がいい」と表現するのはいいとしても、「頭のいい人間」として認めるのは、どこか違うだろう。電卓を頭のいい隣人や、優秀な友人などと並列化するのは間違いではないかと言うことである。

 ところが、最近のAIに関する多くの発言は、そこに「人間性」みたいな感覚を持たせようにしているように思えてならない。そこにAIと言う道具に対する私たちの基本的な誤認、思い込みによる錯覚があるように感じるのである。

 こんなふうに言っちまうと、そうした表現自体に、道具への蔑視であるとか、マシンに対する偏見だみたいに言われそうだが、決してそうではない。私たちが電車に乗って札幌から東京まで旅行したとしても、別に電車や飛行機そのものに感謝したり、あるいは乗り心地に対する不満をぶつけることはないだろう。

 飛行機は私を「東京もしくはニューヨークへと運ぶ道具」であり、かつ、それで足りると思うからである。乗務員や機長の対応に感謝や不満を感じ、それを責めるようなことはあるかも知れないが、それだけのことだと思うのである。

 何にでも「人」を感じ擬人化してしまうのは、人間の持つ特性かも知れない。それでも擬人化はあくまで擬人化であって、その対象物が人間的な要素を持っていることを示しているものではない。

 百舌が「てっぺんかけたか」と鳴いたり、うぐいすが「法法華経」と囀ったところで、そこに人間との交流があるわけではない。それは飼猫がネズミを捕らえたり、飼い犬が不審者に吠えたとしても、それは「飼い主のため」の行動ではない。

 そうした行動を身近にいる人が、「私のためにやってくれている」と感じたところで、それはそれでいいだろうと思う。「私のため」と感じることと、「私のためとは無関係」とする事実とは、決して矛盾するとは思わない。

 ただそうした思いを、個人の意識を超えた「客観的な事実」としてしまう現代の風潮に、どこか違うのではないかと、私の曲がったへそが囁くのである。AIはあくまで道具に過ぎず、そこに人間性を求め、認めるような風潮は、間違った関連付けにこだわる結果だとしか思えないのである。


                    2019.11.18        佐々木利夫


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道具とAI