「沖縄には日本の米軍専用施設が不均衡に集中している」と大学教授は主張する(2019.1.12、朝日新聞、憲法季評、「沖縄 続く基地負担 二つの主権 政府の不全」、日本大学教授、蟻川恒正、1964年生まれ)。

 普天間飛行場の辺野古移設の名の下に、沖縄に新たな米軍基地が造られようとしていることに反対する意見である。沖縄県知事選では基地反対を主張する知事が当選し、辺野古基地建設反対の主張を県として政府に求めている。更には民間の反対運動などが沖縄各地で起き、そして更に沖縄県知事は、県民全部にに対して、基地建設の賛否を問う住民投票を実施するとの構えである。

 しかもこうした反対運動の盛り上がりをよそに、政府は司法の判決を御旗に辺野古の海の埋め立て工事に着手したことで、県と政府との対立が激化してきている。

 こうした対立に対して投稿者は、基地建設反対の立場からこの投稿を構成する。彼の主張は基地建設反対なのだから、政府の立場が「不均衡」であり、「米軍基地は沖縄へ過度に集中している」であり、更には「・・・人々の意思ではない意志を国家意思とすることは、国家権力の正統性を危うくする」と主張することは、当然のことかもしれない。

 確かに沖縄に米軍基地が集中していることは事実である。それが他の日本の地域と比べて不均衡に高いことも認めるのにやぶさかではない。

 それでも私は、彼の意見の「不均衡」の主張に違和感を覚えたのである。不均衡である事実を認めつつ、しかも不均衡であるとの主張に納得できないものを感じたのである。

 それは、世の中に「均衡」そのものが、皆無と言っていいほど存在していないからである。人類皆平等とか、天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、という。そんな基本的な主張ですら、世界中のどこでも実現されていないのである。貧富の差一つとった所で、世界の難民の存在、飢餓に見舞われている大勢の子供たちの存在、生活保護があり、路傍に暮らす多くのホームレスの存在、そして大金持ち100人の資産総計と数億人貧困者のそれとが同じ額だと言われている現状などなど、私たちの住むこの世の中は『不均衡そのもの」で成り立っているのである。

 そんなに難しい問題ばかりではない。田舎のバスの本数やスーパーや病院の近さや数、芸能ヤ展示に触れる機会の多寡などなど、人は収入や住んでいる国や地域によって違う生活を強いられているのである。

 いや、むしろそれは、「社会は不均衡を材料として作られている」と言ってもいいくらい当たり前になっているのである。「不均衡でない現実」など、どんな分野を探したところで決して見当たらないのである。

 私たちは不均衡の中に住み、不均衡を食べ、不均衡を呼吸しながら、不均衡に生きているのである。だから、不均衡をことさらに取り上げたところで、それは解決どころか問題提起にすらならないのである。

 そしてそれは、不均衡が悪だからなのではないからである。共産主義が絶対的均衡を最終目的としているのかどうか、私には分からない。分からないけれど、仮に絶対的均衡の社会が存在したとして、私はそんな世界に住みたいとは決して思わない。生き甲斐などまるでない世界のように思えるからである。

 もちろん均衡とは何かの問題は前提として存在する。頭の良い悪いの不均衡はどうするのか、絵を描くのが上手い下手もまた不均衡として是正措置が求められるのか、性格の差や美醜や宗教や信条などの違いも不均衡に入れるのかなどなど、多様さを認めることとすべてを金太郎飴に仕立てることとの対立は、果たして解決できるのだろうか。また、金太郎飴になることが究極の目的なのだと、不均衡是正論者は本当に思っているのだろうか。

 識者は、「何もそこまでの均衡を求めているわけではない」と主張するかもしれない。ならば是正すべき不均衡の「そこ」とは、何を基準に線引きしたらいいのだろうか。

 生物多様性が真剣に論議され、「みんな違ってみんないい」と金子みすずの詩がテレビで引用され、障害も同性愛も包括的に承認しようとする意見が拡大していく。でもそれはそうした背景に、それぞれが互いに異なっていることをお互い同士が尊重する、不均衡を不均衡として承認するという思いが前提として存在しているからこそ成立する理論なのではないだろうか。

 それはそのまま、不均衡が現に存在しているという事実を承認するという前提の存在を意味している。人はそれぞれ異なっていること、そして社会もまたそれぞれ異なっていること、個々も団体も不均衡を基にできあがっていることを認めあうとろから成立しているのである。

 極論かもしれないけれど、不均衡を否定し均衡へと向かうことを是とする意見は、結局男に子供を産めと要求することであり、盲人に映画を見ろと強要し、車椅子の障害者に自分の足で歩けと無理強いしているのと同じレベルにあるように思えてならないのである。


                                 2019.123        佐々木利夫


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不均衡な軍事施設