10日ほど前の「風情を感じた移動販売車の音」と題した新聞への読者投稿である(2019.2.5、朝日、48歳男性、警備員、愛知県)。彼はこんな風に移動販売に郷愁を感じたとしている。

 「・・・かつては色々来た。中華そば、石焼き芋、わらびもち。私は買うのが楽しみで、遠くからそれらの音が近づいてくると母から貰った小銭を握りしめて駆け出したものだ。現代の子どもたちはスマホを触るのに手がべとつくためチョコフレークを食べないなど過敏潔癖症の有り様だ。・・・移動販売よりもコンビニで、という現代の子どもたちは無風流でなんとも可哀想である。」

 店舗を持たず商品を顧客のもとに運んで販売する方法は、かつては振り売りと呼ばれていた。また、その掛け声が販売する商品によってそれぞれ異なり、その特徴ある売り声が郷愁を呼んでいる。現代ではこうした「食品を担いで売り歩く」という風情はなくなり、代わって軽トラックなどを利用した移動販売が活躍するようになった。

 それと同時に、陳列できる食品が多くなり、「食品ごとの売り声」という発想も少なくなってきた。とは言っても、今でも「焼き芋」、「屋台ラーメン」、「さお竹」、「古紙や中古家電の回収」、「アイスクリーム」などは時折その掛け声を耳にすることがある。

 そうは言っても「食品独特の売り声」といった風情はほとんどなくなり、商品の連呼と特定の音楽との組み合わせによる繰り返しに終始しているようである。

 あさりとしじみの売り声を、「あっさり死んじまえ」と誤解した話や、独特の節回しで「さおーや、あおだけ」、「屑ーい、お払い」、「とーふぃ」などの掛け声も今では、落語で聞くくらいでしか体感する機会がなくなった。

 ところで私がこの投書に引っかかったのは、「中華そば、石焼き芋、わらびもち・・・の音が近づいてくると母から貰った小銭を握りしめて駆け出した」との部分であった。それらの移動販売車が地域を巡回していただろうことを否定したいとは思わない。

 ただ、それらのいずれも「母から貰った小銭」で買うようなものではなかったように思えたからである。私の幼いときにもこうした振り売りはあった。ただ我が家は貧乏で、そうした振り売りの商品を親から貰った小遣いで買うような家庭環境にはなかったからそう思うのだろうか。

 子供が小銭を握りしめて駆け出すのは、決して「中華そば」や「石焼き芋」や「わらびもち」なんぞではなかったような気がするのである。せいぜいが「あめ玉」であり、「紙芝居のおじさんの売る水あめせんべい」くらいではなかったかと思ったのである。

 私が貧乏で買えなかったからといって、この投書の投稿者が中華そばを買えないとはいえないだろう。私には大金でも、彼にしてみれば石焼き芋やわらびもちなんぞは小銭の範囲に入る価格帯の商品だったことだって考えられるからである。

 それでも「中華そば」は、たとえ飲食後の「〆のラーメン」程度の軽さの食品だとしても、子供が小銭を持って移動販売車へ駆け出していって食べる食品だとはとうてい思えないのである。石焼き芋も、子供が母から貰った小銭で買うような「おやつ」だとは思えないのである。

 こんなふうに考えていくと、今でも昔でも、振り売りの多くは「子供の小銭」を当てにするような職業ではなかつたような気がする。それは大人を対象としたれっきとした商売だったと思うのである。

 投稿者は移動販売車の音楽に風情を感じるという。それは決して「小銭を持って買い物に駆けつける」という環境下にあったのではなく、大人の指示で買い物に行ったこと、つまり「子供の風情」とは無関係な事象ではなかったかと思うのである。

 この投稿の真意は、こうした移動販売車の音楽に風情があると感じたのではなく、むしろ「手がべとつくためチョコレートを食べない」という、現代っ子のスマホ事情を言いたかったのではないだろうか。

 投稿者の「風情を感じた」とする感触が必ずしも錯覚だとは思わない。ただその風情は決して「母からもらった小銭を握りしめて駆け出した」ことによる風情ではなく、単に移動販売車が最近は少なくなったなとの思いの裏返しから来る風情であり、それが最近の子供は手がべとつくとの理由で買い食いをしなくなったとの話題によって増幅された現象だったように思えるのである。


                                     2019.2.16        佐々木利夫


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移動販売の声