私自身も含めて、人が身勝手だということくらい、人生80年の中でイヤと言うほど知っている。だから、こんな程度の身勝手くらい、どうってことないだろうとも思う。そう思う反面、その身勝手さを余りにもあからさまに見せ付けられると、どこか私の曲がったへそが反応してしまう。

 最近、こんな投書を読んだ。

 「大学のサークル 娘は苦しんだ」、「大学3年生の娘が休学することになりました。・・・1年生のときは先輩が懇親会代を払ってくれる、とうれしそうでした。一方、参加しないと強制退部と言われたイベントもあったそうです。・・・2年生で幹部になると、・・・欠席・遅刻は一回2500円の罰金ルール。・・・今後の飲み会代と合わせて3万2千円を振り込めとの内容に、娘は完全に参ってしまいました。・・・」(2019.11.18 朝日新聞、中学校教員 女性、東京都56歳)。

 良くあるケースなのか、それともこのサークルが投稿の中で書かれているような「ブラック」なのか、そこんところは分からない。それでも強制とも言える負担金の取立てに、大学生の娘が精神的に参っていることくらいは分かる。

 だったらそうなる前に、なぜ退部しなかったのかなどと野暮なことは言うまい。そこまで割り切れるような性格の娘なら、休学するほど悩むことなど最初からなかっただろうからである。

 さて話を戻そう。毎月請求される負担金に、この娘さんは悲鳴をあげている。でも、投書を読むと、娘さんは一方的に負担金の支払いを負わされているのではないことが分かってくる。それは1年生のときに受けた彼女の処遇である。

 その処遇が、現在の負担金に見合うものなのかどうか、そこまでは分からない。だが少なくとも1年生のときの娘は、懇親会の費用の負担をすることなくタダで飲食を楽しんでいたのである。

 ただ、この娘さんは自らの受けたタダの利益を、単に「うれしい」としか受けとめていないことが分かる。そのことに私は、違和感を覚えるのである。このタダは、娘さんの意識の上でだけのタダである。経済社会において、タダということはありえないと思うからである。

 娘の懇親会費をだれが支払っていたのか、そこまでは書いていないので分からない。場合によっては、飲食店側が何らかの理由で割引提供していた場合だってあるかもしれない。

 でも多くの場合、その会費は先輩、つまり2年生以上のサークル会員が払っていたと見るのか常識的だろう。恐らくは伝統的に、新入会員の懇親会費などは、一年間に限り先輩が負担する、そんなしきたりがそのサークルにはあったような気がする。

 そのことの是非は問うまい。そうしたしきたりを悪しき習慣として、今後も続けていくかどうかは、そのサークルの任意な意思決定に委ねることだと思うからである。

 そうした習慣があった場合、2年生以上の先輩会員は、1年生の一年間の懇親会費などを自腹を切ることで負担しなければならないことになる。つまり、自分の懇親会費に上積みして一定の負担金の支払いが義務化されることになる。

 投書では1年生の懇親会費だけが話題になっている。こうした場合、学校側からの懇親会費などへの援助などはないと考えていいだろう。それは、極めて当たり前の措置だろうからである。

 さてここで考えてみると、負担金は必ずしも1年生の一年間の懇親会費だけに限るものではないことに気付く。このサークルの構成なり運営システムを私はまるで分かっていない。だから、確定的なことは言えないけれど、例えば卒業する先輩への記念品、指導してくれている教官や先輩に対する謝礼や懇親会などへの招待、特別な練習場の借り上げ費などなど、様々な負担が考えられる。

 もちろん、特定の先輩会員が自らの個人的利益のために後輩から負担金を徴収しているような、悪意ある不正を行っている場合があるかもしれない。でも、そこまでは考えないでおこう。それは犯罪だからである。

 会員の総意にもよるだろうとは思うけれど、少なくとも招待した人たちや後輩会員の懇親会費、卒業する会員に対する記念品など、費用を負担しない人たちの分の費用は、残された会員が負担しなければならないのが道理である。

 それがどこまで許されるのか、罰則を課したり、サラ金業者まがいに取り立てる手法がどこまで認められるかはともあれ、他者への利益供与は残った者の負担増として加算されることは理解できると思う。

 この投書の問題だけにしぼるなら、少なくとも娘さんの1年生のときの懇親会費は、先輩会員が自腹を切ることで負担していたのである。

 だからと言って、2年生になったら同じことをせよと言うことにはならないだろう。悪しき習慣として、そうした新会員の懇親会費無料と言うシステムを廃止すべきだと提案することだって、できるだろうからである。また、2年生以上の負担を少しでも軽くするために、懇親会やその他の立替負担を縮小することや廃止することなども考えられる。

 前年踏襲のスタイルが、いつまでも正しいとは思わない。にもかかわらず、私は娘さんの「精神的に参って休学した」ことに、どこか納得がいかないのである。

 それは、こうした負担のシステムに娘さんが、そして投稿した母親も少しも気づいていないからである。受けた利益は「うれしい」だけで済まし、自分が反対側になったときに負担増を理不尽であるかのように感じる、そうした気持ちが分からないではない。

 でも少なくともその二つの場面を理解した上で、それでもなお負担金が高すぎると感じたのなら分かる。その場合は負担金の内訳を知ることで、ここまでは理解できる、この部分はなくしてはどうかの提案をすべきだったと思うのである。

 恐らく負担金を含めた予算決算が、会員の総意で毎年議決されるのではないかと思う。自らの受けた利益は「うれしい、感謝する」だけで済まし、負担増にはそうした受けた利益を考慮することなく反対する、こうした身勝手さは、人の常だとは思うけれど、どうしても気になるのである。

 そしてそうした矛盾を自ら解決しようとはせずに、「学校になんとかせい」と要求したり、「メンバーは声を上げる勇気を持て」と叫ぶだけのこの投書者たる母親の姿勢にも疑問を感じるのである。

 メンバーの一人である娘さんは、「声を上げた」のだろうか。それとも、「だれかなんとかしてー」みたいな身勝手さだけを、休学という消極的な方法で訴えたいだけなのだろうか。


                    2019.11.30        佐々木利夫


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身勝手は人の常?