それはもしかしたら、どこかで人間であることの優位性を誇りたいとの思いが、私たちの中に潜在的にあるからなのかもしれないが、「人間だけにできること」みたいな話題が語られることがある。

 こうした話題に対して時に「そうか」と思ったり、時に「少し違うんじゃないかな」と思うなど様々だが、得てして「人間らしい」と納得できたり、「生物の長たる人間の優位性」みたいな感情をくすぐられる例が多い。

 例えば「笑うのは人間だけである」と言われ、「人間だけが言葉を使う」とか「会話するのは人間の特権だ」などと言われる。またもっと抽象的に「人間は社会的な生物である」などと表現されることもある。この他にも、例えば「泣く」だとか「恋をする」など、感覚的な位置に人間を置いて他の動物などと区別する基準にしていることも多い。

 もちろんそうした習性の違いが、人間と動物を区別する決定的な差になっているとは必ずしも言えないかもしれない。そしてその違いと言ったところで、それは程度の差に過ぎず基本的な違いにまではなっていないようにも思えることも多いからである。

 確かに会話するのは人間だけのようにも思えるけれど、鳥のさえずりやライオンの咆哮、ホタルの点滅やミツバチのダンスなどだって、何らかの情報伝達の手段になっていることは否定できない。何をもって会話と言うのかと問われると、明確に回答はできないけれど、一方の感情を他方の個なり集団に伝えるという意味に会話の機能を捉えるとするなら、それは音声のみによる伝達に限られるものではないだろう。

 確かに人間の会話などの伝達機能には、動物とは違う複雑さがあるように思えるけれど、それだって「人間が理解できた範囲内」に限られた「猫の気持ち」の推察であるに過ぎないのではないだろうか。犬の気持ちが人間の理解した範囲と同じである保証はどこにもない。

 バベルの塔の寓話で、神は民族間における互いの言葉を違えることで相互の理解を不可能にした。それは互いの交流ができないことで、バベルの塔の更なる建設を阻止できると思ったからだとされている。言葉や会話だけが意志交流手段のすべてではないとは思う。それでもまだ人は、人以外との会話にはいまだ少しも成功していない。

 そんなこんなを考えているうちに、「人間らしさ」というか人間固有の存在理由に、「悩むこと」があるのではないかという思いがふと浮かんできた。

 悩むことは、見かけ上人間にとっては不用であり、かつ邪魔な要素である。それは「悩むこと」は、結論になり得ないからである。複数の選択肢があり、そのうちから一つを決定しなければならない場面に人は得てして遭遇する。それが「悩むこと」の本質である。つまり、「一つに決定できない複数の状態の継続」、それが悩むことの本質になる。

 多くの場合、その選択は二者択一になるかもしれない。右か左か、上か下か、行くか行かないか、変えるか変えないか、買うか買わないか、選ぶか選ばないかなどなど、人は多くの場面で決断を迫られる。そして複数の選択肢を人は同時に選択することができない。そんな状況に追いこまれたとき、人は「悩む」のである。

 あらゆる場面で人は悩む。中にはそこまで悩まなくてもいいじゃないかと思えるような事柄にも、人は悩む。そして悩むということは、身動きできないことを意味する。悩んでいる間、人は「悩んでいるそのこと」にこだわり続け、身動きできないのである。

 だからこそ、悩むことが人間らしい行動であり、人間だけにしか与えられていない機能なのではないかと思えたのである。

 利害や得失を超えて人は悩むことがある。食べるか食べないかの決断は、腹が減っているかいないかで解決できる。多くはそうした単純な思いで決断することが可能である。

 それでも時に人は、悩む状態にこだわるときがある。「原爆を投下するか、しないか」に迷うとき、戦争に勝つことだけを基準にするなら、答えはすぐに出るかもしれない。目の前に餌となる動物がいて、飢えている私がいる。これも答えは簡単である。自分の子孫を残すために他のオスを排斥する、これも決断できるだろう。仮にその選択が失敗に終わったとしても・・・。

 でも原爆で兵士以外の一般市民、女性や子供や赤ん坊までの数十万人を、無差別に殺戮することになることを知った人間は「悩む」のである。臓器移植で、他人の臓器を単なる「物」として考えてしまうことに「悩む」のである。

 そうした思いを哲学的だとか宗教的だなどの抽象論へと持ち込むのは止めよう。根源的には「人間とは何だ」、「命とは何なのか」がそこに立ちはだかり、そのことに人は「悩む」のではないだろうか。だから、「悩むこと」は人間固有の、そして人間のみに残された思考なのではないかと思うのである。

 そしてそして、その「悩むこと」の末に、人間は時として間違うことがある。それはそもそも答がないからなのか、それとも答を超える何らかの要素によるものなのか、そして間違うからこそ人間なのか、そう考えてくると「悩むことの意味」が良く分からなくなる。もしかしたら人は、悩むことの中に混乱し続ける生物なのかもしれない。


                               2019.3.7        佐々木利夫


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悩むことの意味