受験シーズンたけなわである。今は幼稚園から受験戦争が始まるらしいから、少子化に伴う大人(親)の我が子に対する期待には私たちの幼少期とはまるで違った過剰なものがある。暇つぶしに、先日行われた大学センター試験の問題と回答が新聞に公表されていたのを見て、数学問題に鉛筆を持った。

 結果はまるで歯が立たず、問題の意味すらつかめないものすらあることに驚いた。数学好きを自認するぐらいの自惚れはあったのだが、せいぜいが素数や円周率をめぐる巷の話題程度の力しか持っていないことを、改めて知らされてしまった。

 四月の入学式に向けてこれから合格発表が続き、それが「サクラサイタ」になるのか、それとも「サクラチル」に身を浸すのか、受験生には厳しい二月、三月がやってくる。そうしたシーズンに合わせた投稿なのだろう、「受験する君へ」のタイトルで特集された新聞への投稿があった(2019.1.27、朝日新聞)。

 今日の投稿者は早稲田大学の野球部の監督であった。彼はこんな風に受験生に結論付ける。タイトルはもちろんここに掲げた「2浪したから今がある」である。

 「・・・経済的な負担があるので、ご家族の協力を得ないとできないことですが、本当に行きたい大学があるなら、合格するまで挑戦し続けても罰は当たらない、と私は思います」。

 まあ、「罰は当たらない」ことは事実だろうけれど、そんな言葉は、何の足しにもならないことくらい明らかだし、また慰めにもなりはしない。

 彼は少なくとも二浪して早稲田に入学し、そして野球部に入っている。だが二浪の経験を縷々書きながらも、彼のその経験がどんな風に自分の野球人生に影響を与えたのかについてはまるで触れていない。むしろ「・・・2年間の浪人は無駄だったかもしれない」とすら書いている。

 にもかかわらずこの言葉に続けて、「・・・でもそれがなければ、私はいまここにはいないでしょう」、と何の説明もなしに浪人経験と現在とを結び付けているのは論理の破綻である。

 確かに「3年の時に野球部監督に就いた石井蓮蔵先生は、厳しい指導でプロにいけるレベルまで引き上げてくれました」と、効果らしいことを述べている。でもこれは監督の指導が的確だったことを言っているだけで、二浪したこととはまるで結びついていないのは明らかである。

 仮にその師と仰ぐ監督の就任が筆者の野球部在籍と重なったのは二浪したからであって、現役で野球部に入ったならこの監督との出会いはなかったかもしれない(それすらも筆者は書いていないので、私の勝手な想像である)。

 でもそれは二浪したことに原因を求めるべきものなのだろうか。巡り会わせがたまたま二浪と重なって、それが筆者の人生の転機になったかもしれない。だからと言って、それを二浪の効果と位置づけるのは間違いである。そんな偶然を効果と考えるのなら、現役で合格したらもっと優秀な指導者と出合えたかもしれないからである。

 筆者の掲げるタイトルは「2浪したから今がある」である。このタイトルの意味は、この新聞の特集でも分かるとおり「受験する君へ」である。そして「受験に失敗しても諦めるな、私は失敗をこんな風に乗り越えた、浪人生活をこんな風に利用して私は自らの糧とした」などといった経験談を、二浪した受験生に伝えようとするものである。

 そんな時に「2年間の浪人は無駄だったかもしれない。でもそれがなければ、私はいまここにいないでしょう」と書くだけでは、何の支援にもならないと思う。「なぜ二浪が今の私に結びついたのか」を、たとえ筆者の作り上げた身勝手なサクセスストーリーに過ぎないとしても、「少なくとも私は二浪をこんな風に生かした」との説明づけるのでなければ、この投稿を読む二浪した若者には何の助けを与えることにもならないと思うのである。

 少なくとも二浪したことと筆者の現在とが、たとえ独断に過ぎないとしても因果関係を示唆する内容になっていない以上、この投稿は何の説得力も持たないと思うのである。果たして現役合格したとしたら、「今の私はなかった」のだろうか。二浪は果たして今の筆者にどんな影響を与え、どんな効果をもたらしたのかを説き、だから「受験の失敗を恐れるな」と結び付けるのでなければ、朝日新聞が「受験する君へ」と題する特集を組んだ意味がなくなってしまうのではないだろうか。

 この投稿は単なる読者投稿ではない。「受験する君へ」と題し、朝日新聞が受験生に向けて失敗しても負けるなと応援するための特集である。なのに私には、筆者の投稿がまるでこれに応えていないことに加えて、どうして朝日新聞がこうした投稿をきちんと意味あるものに仕上げて掲載しなかったのか、納得できないでいるのである。


                                     2019.2.1        佐々木利夫


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2浪したから今がある