NHKBS放送の今週のコスミックフロントNEXT(2019.5.16)は、人間の住める系外惑星(太陽系以外に存在する惑星)の発見がテーマであった。

 惑星とは自ら光を発することなく、太陽のような恒星の回りを周回する例えば地球や木星のような天体のことである。ただ、一口に惑星と言っても、中心となる恒星に余りにも近すぎるとその熱によって大気も水も存在しなくなってしまう。また逆に遠すぎると、アンモニアなどのガス惑星になったり、更に遠くなると惑星そのものが氷になってしまうなど、生命の存在とはほど遠くなってしまう。

 このように惑星にも様々な形態があるけれど、生物が生存可能な惑星としては、その惑星が水が流体として存在し得る環境(いわゆるハビタブルゾーン)にあり、かつ惑星そのものが岩石で構成されていることが要件だとされている。

 宇宙に存在するハビタブルゾーン内の岩石惑星を探せ、これが惑星探査の使命である。そして、その探索に従事する科学者をプラネットハンターと呼ぶのだそうである。それは、言葉を代えると、「宇宙に地球を探せ」ということであり、それも私たちの住んでいる地球に可能な限り近い距離に探せということであり、なんともロマン溢れる物語である。

 ここまでは、まさにロマンである。夢のような物語である。でも、人間は決してロマンだけでできているものではない。地球に似た水の惑星が見つかったとしよう。そしてその惑星へ、人類は移住しようと考える。するととたんに、私たちは現在世界中で混乱の火種となっている移民問題の「移民する側」に、好むと好まざるとに関わらず該当することになってしまうのである。

 どんな形態の生物がその惑星に存在するか、恐らく何度かの探査で研究されることだろう。その生物は果たして地球人類と交流できるのか、もしくは我々を超越するような知能を持っているのか、はたまたゴキブリや植物程度の知能しか有していないのか、想像もつかない世界である。

 ただ、どんな生物にしろ、そこが「地球人いらっしゃい」など、地球人を接待するために発達した惑星として、私たちに都合よく発達した環境の惑星になっているとは到底思えない。

 それを共存と呼ぶか、共生と呼ぶか、はたまた征服、侵略と名づけるか、それはともかく、いずれにしてもそこへ到達した人類は、どこかでその地の生物と折り合いをつけなければならない。ただそうした中に、地球人が奴隷となってその惑星の生物に従属するような選択肢はないだろう。

 そこに移民する側とされる側との確執が、ごく当たり前に発生する。奴隷となって埋没するのを拒否するなら、残るはゴキブリを飼いならすか、踏み潰すか、それとも殺虫剤を撒いて絶滅させてしまうかである。私たちの生存してきた人類としての歴史は、そうした手段のいずれかを選択してきたことを示している。決して共存という選択肢なかったのである。

 ここにきて、プラネットハンターは、「ロマンを求める惑星探査」という夢物語の主人公から、まさに「ハンター」つまり狩人に変身するのである。そしてハンターの使命は「相手の尊重」ではなく、常に「制圧」であり場合によっては「殺戮」である。「ハンターが勝者になる」こと以外の選択肢など、寸毫もない世界になってしまうのである。

 それは、必ずしもライオンを狩ることとは違うかもしれない。もしかしたら、草木を焼き払って小麦畑を作り上げることになるのかもしれない。でも、ゴキブリ類似の生命を絶滅へと追いやることと、地球人の食料にはならないと判断したその地の草木を焼き払って小麦畑にすることとは、果たしてどこが違うのだろうか。

 プラネットハンターの行く末は、まだ私の中ではSFの世界を僅かに超えたぐらいの物語にしか過ぎない。それでもその行き着く先は、今からはっきりと見えるような気がしてならない。宇宙人襲来の物語は、SF世界では当たり前に存在している。そうした物語の多くは、なぜか地球侵略であり、地球防衛軍などが総力あげて宇宙人を倒して地球を守る物語である。

 例外のストーリーがないではない。それでもそれは一匹としいうか少数の宇宙生命体が、偶発的な原因で地球に不時着した物語である。そしてたまたま善意の地球人と接触する物語に限られているような気がする。複数で訪れる宇宙人とは、なぜか地球あげての総力戦になるのである。

 考えても見よう。その反対の、善意とは言えない場面がプラネットハンターなのである。あらかじめその惑星を研究していた地球人が、地球型であると認定した上でその惑星に突然現れるのである。もちろん、宇宙人であるとか宇宙戦争の物語は、小説の世界の出来事である。まだ現実でない、SFの世界の架空の物語である。

 でも地球内でも、同じような場面が現在でも起きていることを私たちは知っている。かつてイタリアはローマが世界の中心だと考えた。黒人は獲物として奴隷ハンターの餌食になった。インカ帝国はスペインに絶滅させられ、アメリカとインディアンも同様の途をたどった。日本はアイヌや琉球や台湾、更には南太平洋を含む多くの国を制圧し、ヨーロッパの各国の国境は目まぐるしく変わった。つまり、力ある者が世界を席巻してきたのである。

 こんな例はいくらでもあげることができる。少しでも異質なもの、僅かでも弱いもの、そんなところへ人は力づくで征服してきた。これが人類の現実であり、そうした現実は今でも少しも衰えることなく続いている。寧ろそうした弱者への制圧は、強まりつつ世界に拡散していっている。

 そして恐らくはプラネットハンターも、宇宙人となってSFと同じ轍を踏むことになるだろう。これは私の何の権威もない単なる気まぐれな未来予想である。だがしかし、確信を持って言うことのできる予言でもあるのである。


                               2019.5.28        佐々木利夫


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プラネットハンター