この5月1日を以って、年号が平成から令和へと変わった。私は昭和15年生まれだから、三っの年号を生きてきたことになる。三っの年号を経たという感触は、私の年代でいうなら「降る雪や、明治は遠くなりにけり」と詠んだ俳人中村草田男(なかむら くさたお)の句を思い出させる。

 この句は1931(昭和6)年に詠まれたと言われているので、1901(明治34)年に生まれた彼30歳のときの作品である。詠んだ背景には、満州事変など日本が戦争へと突き進む過渡期にあったことや、そうした現状を強く意識せざるを得ない時代だったことがあげられるとは思う。ただ私なら、30歳でこんな境地になれるとはとても思えない。それだけ彼が、敏感な才能に恵まれていたということでもあろうか。

 それでも、80歳にあと僅かという年齢に私自身がなってみると、三代にわたる年号というのはそれなり、しみじみとした思いを伝えてくる。そうは言っても、それは三代を経験したという意味での感慨であって、令和という呼称そのものへの思いとは違う。

 数日前までの数ヶ月、メディアはあらゆるニュース・事件に「平成最後の○○」と、あたかもそれしか知らないように紋切り型で唱えていた。そして年号は令和へと変わった。

 結論を言うと、この年号に対する私の違和感は思ったよりも小さかったと言える。どうして小さかったのか考えてみると、私の中にいくつかその要素が内在していたように思えてきた。

 まず一つ目は、私の年齢である。昭和生まれの私はこれまでに昭和・平成という二つの元号を経験しているということである。つまり、年号の変更を私自身の中で一度実体験しているということである。こうした過去の経験が新しい三つ目の変化による刺激を、多少なりとも薄めたのではないかと思う。

 しかも、私の生まれた昭和15年というのは、戦時下で戦意高揚の意味もあったからだとは思うのだが、実は紀元2600年と呼ばれて盛大な祝典の行われた年でもあった。それはつまり私の生まれた年が、神武天皇の即位(日本の紀元)から2600年目にあたるという意味である。紀元という呼称は元号ではない。しかしながらその名称も加えるなら、私は四つの年号区分というか時代区分を経験したことになるのである。

 もう一つは、濁音がなく呼び方が短いことである。令和という元号には濁点がなく、それだけ言葉として流れやすい、読んでいて抵抗が少ない。そして「れいわ」と短く発音できることで耳ざわりが良いことも影響しているように思う。

 また、「昭和」の発音に似ていることも影響しているように思う。「れいわ」は「しょうわ」とイントネーションがほぼ似ており、昭和15年から63年まで約50年近くもの期間「昭和」を使ってきたいわゆる昭和生まれとしては、それだけそうした呼び方に慣らされてしまったのかもしれない。

 更には元号に対する重要度というか利用度の濃淡にも原因があるのではないだろうか。私の生まれた昭和15年は第二次世界大戦の真っ最中である。年号は昭和以外になく、西暦などという敵国の表示を使うことなどあり得ない時代だったと。そしてそうした習慣は、戦後になってもそのまま例えば官庁への文書などを含めて社会に広く浸透していた。つまり昭和生まれは、元号を使うという意識にそもそも慣れていた、もしくは慣らされていたということである。

 また、元号が変わることと歴史なり時流の変化が少ないことも挙げられるのではないだろうか。きちんと調べたわけではないけれど、元号の変更は西暦を使う習慣がなかったという以上に、「天皇の崩御」がその前提に常にあったということである。

 それに対して今回の元号変更は、天皇の希望による退位を原因とするものである。つまり、「神にも模せられている天皇の崩御」という衝撃が、少なくとも今回はなかったということである。それはつまり、元号の変更という事態の生じるであろうそもそもの原因たる衝撃が小さかった、もしくは無かったということである。

 2019年5月1日元号変更に関して、歴史も政治も国際情勢もなんら変わることはなかった。それは当たり前のことである。時代が区切られるのは、別に元号の変更や西暦2000年をミレニアムと呼称することなどに影響されるものではない。また、令和の呼び名が、万葉集が原典であるとか、「令」という文字が学説でどんな意味を持っているかということには無関係である。少なくとも私の中では。まるで無関係であった。

 ところで私は元号変更に伴う違和感が少なかったと書いた。それはもしかしたら、「元号が変わったこと」に対する感慨が私の中で小さかったことを意味しているのかもしれない。

 恐らく将来、「その時何してた」と聞かれる時がくるだろう。でも変更に伴う感慨が少ないということは、その問いに即座には答えられないということでもある。それはもしかしたら、令和への移行に伴う変化に対して、私が鈍感になっている証左なのかもしれない。できればいい方向への刺激を感じている人の多からんことを、どこかで望んでいる。

 そんなこんなを考えつつ、令和は穏やかな夜明けを迎えました。今日は風もない穏やかないいお天気に恵まれました。テレビは昨日は退位、今日は即位の話題でもちきりです。私は、昨日は妻と二人で札幌市内の円山公園で満開の桜の下でワインを傾けました。今日はいつもの事務所へ出て、これを書いてます。


                           令和元年最初の日・2019.5.1        佐々木利夫


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