どちらかと言うと私は科学系の物語が好きな方である。テレビなどで、生物の歴史だとか人類の進化などの番組が放送されると、多くの場合録画してまで見ることが多い。

 こうした番組はそれなりの視聴率がとれるのか、放映される機会が多い。また、BSにある放送大学の講座にも似たような講義があり、こちらはさすがに録画まではしないけれど、それなり見る機械が多い。そんな中で気になっている「生命誕生」に関する話題をここでは取り上げたい。

 番組を見ていて必ずと言っていいほど気になることがある。今から150億年ほど前に、ビッグパンと言う現象でこの宇宙ができたと言われている。その宇宙のほんの片隅に天の川銀河があり、そのまた片隅に太陽系が生まれ第三惑星たる地球がそこにある。もちろん、原始の地球に生命は存在していない。地球はまだ単なる物質とエネルギーのかたまりである。

 その地球で様々な物質が結合し、タンパク質というか有機物が形成される。物質が結合しエネルギーが与えられ、様々に変質していく。また更なる分解や再結合などがくり返され、新しい物質が誕生する。そこまでは分かる。そんなことは日常でも当たり前に起こっていることだからである。

 問題はその次である。水素があり、酸素や炭素や窒素があり、そして熱や雷や圧力など様々に変化するエネルギーがある。そうした中で物質が変化していく過程に、特に疑問はない。タンパク質ができるのだって、はたまたアンモニアができるのだって、格別違和感はない。

 問題なのは、こうした番組と言うか物語で突然何の前提もなく、いきなり生物が発生してしまうことである。何の説明もなく、結果だけが突然示されるのである。生命は物質ではないと、少なくとも私は理解している。酸素と水素があって、そこに何らかの刺激が加わることで水ができる、そんな変化なら理解できる。水は生命ではないからである。

 しかし生命誕生は、化学変化とは異なる現象だと思うのである。なぜなら、エネルギー不変の法則によって、化学変化は実験で確かめられるからである。タンパク質も科学方程式として、その生成過程を示すことができるからである。

 だが生命は物質ではない。化学方程式の一因子として記号化されるものではない。Aという物質にBという物質を混ぜ合わせ、それにエネルギーeを加えることで生命が出来る過程を、少なくも私たちはまだ説明できていないからである。A+B+e=C+命という方程式を、少なくとも未だに私たちは証明も理解もできていないからである。

 もちろん、神の一撃という発想はある。生命は方程式ではなく、神の一撃と言う人知を超えた神の司る作用の一つだとする説明である。つまり、A+B+e+神=C+命という方程式の成立を認めると言うことである。

 それはそれでいいだろうと、思わないではない。命は神が作ったのだと言いたいのなら、それはそれでいいだろう。だとするなら、そのことをきちんと生命誕生の説明の中に加えるべきだと思うのである。「宇宙は物質からできている。そして、その物質を使って神が命を作った」、それを番組なり科学者が明らかにすべきだと思うのである。

 にもかかわらず、誰もそのことに触れようとはしない。単に「物質があります。タンパク質があります。そしてある時に生命が生まれました」、それだけの説明しかしないのである。肝心の生命発祥の原因には、少しも触れられていないのである。

 命のできた後の進化の過程は理解できる。単細胞生物にしろ、そうした命が多細胞生物へと進化し、やがて水生植物、動物を経てやがて人類を含む多様な生物に進化したであろうことは、理解できないではない。

 でも物質から生命への間には、つながっていない大きな谷間、隔絶があるのである。濃いスープの存在が、それだけで生命になるものではない。単細胞生物から多細胞生物への進化には、私にその過程を説明できないとしても、そしてそれがどれほど大きな谷間だとしても、そこに橋がかかっていることくらいは理解できる。

 そうした理解は類人猿がチンパンジーとホモサピエンスに分化したことの理解と、それほど異なるものではない。でも物質と生命との隔絶は、説明なしに飛び越えられるような浅い谷間ではない。それはまさに底の見えない、しかも不連続なのである。その不連続を埋めることなく、科学者や科学番組が素通りしてしまうことに、私はあたかもそれが科学そのものの放棄でもあるかのような危機感を抱いているのである。それは神の一撃を科学が承認するよりも、もっと大きな危機であるようにすら思うのである。

 物質から生命へ、そこの納得できる橋渡しなしに、生命科学というか人類の進化みたいな理論は、存立しないように思えてならない。その断絶は、科学であることを科学自身が否定しているようにすら思えてならない。

 それとも、それとも、生命とは特別な機能なのではなく、単なる物質の相互作用の一種にしか過ぎないのだろうか。生命を物質とは異なるものだと断じ、その間に大きな不連続を描いた私の発想は、そもそもが大きな幻想だったのだろうか。もしかしたら命って、それほど大げさなものではないのだろうか。


                    2019.9.11        佐々木利夫


             トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ
 
 
 

生命誕生