日本独特の発達を遂げたといわれるバイキングだが、多彩なメニューの定額食べ放題のレストラン方式は、日本人の大好きなシステムになっている。通常外食は、麺類にしろ定食や肉類の食事にしろ、例えば味噌ラーメンとか親子丼、ハンバーガー定食などなど、料理を決めてから注文するのが通常である。

 ところがバイキングは、恐らく数十品目もの料理が1カ所に並べられ、その中から食べたい料理を自分で選んで自らの食卓に運ぶ方式である。価格はやや高額だが、料理の内容にもよるだろうが概ね一人1000円〜3000円程度の定額が通常であろう。しかも時間制限はあるものの、お代わりは自由であり、並べられている複数の料理の中から、好きなように選択し飲食できるシステムである。

 定額食べ放題だと、ついつい身の程もわきまえずあれこれ手を延ばして食べ過ぎてしまう傾向は、貧乏人の悲しい性かもしれないが、どうもそうした私たちの思いを逆手にとった番組がNHKで放送されるとの宣伝があった

 それは「バイキングで得する賢い食べ方」と銘打ったものであった。宣伝を見ただけなので、その放送内容を私はまるで知らない。知らないけれど、このタイトルを聞いただけで番組の内容が分かったような気がしたのてある。

 恐らく数ある料理の中で単価の高い料理はどれかを調べ、その高いことを番組の柱にして構成する番組ではないかと思ったのである。

 この頃の私は、食欲も年齢相応になってきている。だから、バイキングなどと言われてもそれほど食指が動くようなことはなくなってきた。少量でいいから、美味しいものを食べるだけで満足できるようになってきたからである。そしてホテルだの高級すし店などへ出かけるよりも、近所のスーパーや食料品店などで調達したものを、自宅でゆっくり食べるほうが美味しいことに気づいてきた。

 だからこそ、NHKの番組の「バイキングの得する・・・」に違和感を覚えたのかもしれない。私にはこの言い分が、とても悲しく思えたからである。恐らく番組宣伝の意味はコストパフォーマンス、いわゆるコスパを目玉にしたかったのではないかと思ったのである。

 バイキングなのだから、様々の料理が目の前にあるのだろう。その中には、普通のご飯にみそ汁みたいな組み合わせだってあるかもしれない。魚肉のソーセージから牛肉のステーキまで広い肉料理が並び、中にはジャガイモの煮っ転がしやもやしの油いためなどの庶民派まで、多様な料理が目の前に並ぶことだってあるだろう。

 そうしたとき、日常滅多に口にすること機会の少ない、例えば寿司(それもいくらやウニなどの高級と思われるネタを使ったもの)であるとか、ステーキなどを選ぶことが得だと評価したいのではないだろうか。仮にカレーライスや掛けそばやおでんなどが並んでいたとしても、そんなものは日常いくらでも口に出来るのだから、バイキングのときぐらいは高いものを口にしよう、それが「得」の意味だと感じたのである。

 そしてそれは、そう感じている私自身がいることからも分かる。だからこそ、そこに「得する」というイメージを重ねることに、何ともいじましいというか、貧乏臭いというか、「バイキングを楽しむ」という本来の意味から乖離してしまっているような違和感を覚えてしまったのである。

 どんな料理が美味しいかという発想から、「得する」という評価をするのなら分かる。でも恐らく得するという意味は、高価なものを選ぼうとする示唆にあるように思えたのである。「得」とは「美味しい」ではなく、「高価である」ことが基準とされているように思えたのである。そうした発想が、番組として視聴者に受けるだろうと考えた発案者の思いが、私にはとても悲しかったのである。

 現代は飽食の時代と言われている。ホテルや料理店やスーパーなどでの食品の廃棄が、経済に深刻な影響を与えているとまで言われている時代である。そんなに飽食で贅沢で、満腹が日常化している現代でありながら、それでも人は「損得」の基準を、味ではなくコストみたいなもので図ろうとしていることに、番組制作者の意図、そしてそれに踊らされるであろう視聴者の思いに、何とも言えない悲しさを感じてしまったのである。そして更にその選択を、「賢い」と評価する番組制作者の俗っぽさにも悲観したのである。


                                  2019.1.12   佐々木利夫


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バイキングの得