あるテレビのコマーシャルを兼ねたような番組でのセリフである。ある特別な技術を持つ専門家が登場して、アナウンサーの進行の中でこんな言葉を吐き、それがそのまま番組のタイトルになっていた。

 それは「腰痛、どんと任せなさい」であった。どんな腰痛でもたちどころに治します、そんな専門家を招いた特集番組であった。

 もしかしたらその放送はNHIだったかもしれず、もしそうならコマーシャルではなく、特別な専門家を招いた特集番組だったかもしれない。

 それにしても、「腰痛、どんと任せなさい」の番組は、まさに「どんな腰痛でも、ある種の体操と言うか運動をすることですべて治る」ことを中心に展開されたものであった。

 たかがコマーシャル、もしくはコマーシャル類似の番組である。表現に多少の誇張があったところで、目くじらをたてるようなことではないかもしれない。それは分かっている。だが、それでも多くの人が悩んでいる腰痛が、ある専門家に委ねることで、たちどころに治ると言うのである。私にはそのセリフが、どうにも気になってしまった。

 腰痛の患者が世の中にどのくらいいるのか、私には分からない。それでも多くの人、それも老人を中心に、ほとんどにと言ってもいいほどの人たちが腰痛に悩んでいることは、人伝てに聞いている。それは、「腰痛、どんと任せなさい」と言う番組が、企画されること自体に示されているだろう。

 そんな腰痛が、特定の動作をすることで治るとの神託である。こんな素晴らしいことはない、と思えるほどの大福音である。

 それでも私はそれを聞いて、この話は真っ赤な嘘ではないかと思ったのである。「腰痛がたちどころに治る運動」、そのことを否定したいのではない。世の中ではどんな発見や発明が、いつ、どこでなされるか、予想もつかないことくらい知っている。だから、将来も含めてそうした治療が見つけられる可能性だって、容易に想像できる。

 でも、「すべての腰痛がたちどころに治る」との宣言である。恐らく、何万人、何十万人、場合によっては何百万人とも言えるほど多数の人間が、完治せずに悩んでいる腰痛の話題である。その完治方法が発見され、「どんと任せなさい」と言えるほどの専門家を、この番組は見つけたのである。

 それがノーベル賞に値するような発見になるのかどうか、私にはまるで分からない。それでも、少なくとも日本の現代におけるこの発見は、大発見であり、活目に値する発見であることくらいは分かる。

 恐らく、腰痛に関する健康保健や医療のシステムを、根本から覆すような発見である。そんな画期的な発見であるならば、恐らく様々な実証実験がなされ、その検証結果が学術誌や学会などへ研究論文として広く発表されているはずである。そしてその論文は、世界的にはともかく、少なくとも日本では最大の賛辞を持って迎えられたはずである。

 にもかかわらずこの番組からは、そうした気配がまるで感じられなかったのである。また、カリスマ治療師であるはずのその講師からも、「どんと任せなさい」と言えるほどの世紀の大発見であるような発言は少しも聞かれなかったのである。

 もしかすると、「どんな腰痛でも・・・」は、本人の単なる思い込みによる錯覚だったのではないか、そしてこの番組はそうした錯覚に乗せられた、一種のヤラセみたいなものだったのではないかと思ったのである。

 腰痛は、人類が二足歩行に移行したことによる、生理的な現象であるとの話を聞いたことがある。だとするなら腰椎と言うのは、解決方法など見つからない人類の基本的な宿命なのかもしれない。そしてこれからも人類を悩まし続けていく、原始的な症状なのかもしれない。そんな風に思ったのである。

 ともあれ足首が痛むせいで、杖ついてのヨタヨタ歩きの私ではある。にも関わらず腰痛だけは、今のところ私を避けているように思う。

                    2019.11.15        佐々木利夫


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